CCと私は同い年なので、簡単に話が通じる部分もある一方、基本的な意見や好みについては、全然かみ合いません。我が家のレギュラーモードは、「私はこれが好きだけど、あなたは嫌いだよね」です。私も変人ですが、CCはそれを上回る変人なので(彼は逆だと言うでしょうが)、そのでこぼこさが上手に働く時もあれば、そうでないこともあります。
私たちが関係を保つ上で心がけているのは、「期待しない」、「言いたいことは溜めない」、「問題ではなく、解決策にフォーカスする」です。問題があった時にどうするかの姿勢が似ていたから、一緒に暮らそうと思った理由でもありました。
しかし、話し合って解決するとは、あくまで前提のようなものであって、実際は解決しないことだらけです。特に私たちの場合、育った文化も人種も違うので、お互いの「常識」がまったく異なります。「常識」とは何気ない生活の場にあるものですから、一つ屋根の下、私たちの食い違いは挙げたらきりがありません。日本人同士でも、ちょっとした感覚の違いが重なってストレスになることはよくありますよね。
表面上は些細でも、そこに至るまでの人生経験があり、時には痛みを通じてレッスンを学びますから、簡単には譲れないこともあります。そんな時に私が使うマントラは’it’s ok to be a human’です。仕方ないんですよ。これまでがんばって生きて来たんですから。変えられないことも沢山ある。人間だもの。
人はどんな時にイラっとするのかというのは、個人的には興味のあるテーマです。特効薬が分かれば、世界はもっとまるくなりますからね。イラっとする理由は人それぞれあると思いますけど、私の場合、自分が安全/安心を確保したい領域を侵害されるとイラっとします。
今回の引っ越しでストレスがたまったのは、私の安全ゾーンにCCがブルドーザーが突っ込んでくるようなものだったからです。そもそも私、サプライズが好きじゃないんですよ。特にCCのグッドアイデアは、かなりの確率で私にはバッドだからです。何度もそう伝えたつもりなのに、彼はサプライズが好きなので、すぐ忘れてしまいます。
また、私は自分の身の周りに関してコントロールフリークなところがあり、隅から隅まで自分の好きなもの、好きなデザイン・色柄で、自分のロジック通りにオーガナイズしないと気が済みません。気に入らないものと一緒に住むくらいなら、いっそ家出したい、困ったやつなのです。共同生活をする上で住み分けが大事で、ベッドルームとバスルームを”自分のエリア”として、完全自由に使っていいことにしてもらっています。CCがださいバスマットを買って来た時は、私はとてもイガイガしました。
新しい住まいは、家賃が安くなった分、以前と比べてぐっと狭くなりました。けれども、田舎育ちのCCは、常に広いガレージや物置がある環境にいたので、物を減らすという発想がありません。CCに言わせれば「これは使うからここに置いているんだ」そうですが、一度も使っているのを見たことがないグッズ(習字用したじき、ニワトリの絵葉書セット、ものさし、木刀など)が、共有クローゼットの一番手に取りやすい棚に並べてあるのを見て、私はイラっとしました。もちろん、彼の考えがあってのことなのでしょうけど、もう少し別のやり方があるのにと、私はつい余計なことを言いたくなりました。「そういうふうにしないで、本当に使うものを手前に置いたらどう?ニワトリの絵葉書なんて、いつ誰に出せばいいか分からないものを、あと3回転生しても使いきれないくらい持っていても仕方ないでしょ。私なら捨てる」。
CCの言い分はこうでした。「僕には僕のやり方があって、君のやり方が僕に効くとは限らないんだよ。クローゼットの半分はきれいなんだから、そっちに目を向ければいいのに、どうして反対側を見るの?フォーカスを変えればいいんだ。闇の中でも、明るい光の差す方向を見ればいいんだよ!」
出たな、アメリカン。まあ、確かに彼の言うことはその通りなんですけどね。
人間でいることは、少々の居心地の悪さを受け入れつつ、共存共栄することかも知れないと、最近よく考えます。マインドフルネスでは、居心地の悪い時は、その居心地の悪さを眺め、ただ共に佇みなさいと教えます。
’it’s ok to be a human’.
人間だからいろいろな感情がありますが、どれかだけが絶対なのではなく、私たちはミックスバッグです。人生のスープを間違って塩辛くし過ぎてしまったと思っても、後から誰かがトマト缶を足してくれるかも知れない。
引っ越し騒動も、後から考えたらいい思い出話になるのかな。
「にんげんだもの」最強マントラですね(^ー^)b✨
後から思い出して笑えたり面白いエピソードは、大抵その時あったトラブル!
さっき観ていたテレビ番組でヒロミさんが言ってました・
「俺が50%、ママが50% ふたりで100%でいいじゃない」
メタさんとCC氏はそういう関係に見えますよ(^ー^)
ふたりの「棲み分け」がうまく進みますように✨
メタさん、こんばんはです!
なんだか絵本の世界みたいに感じました。
使わない習字用したじきって…超かわいいですね(^^)
メタさん こんにちは。
恐らくメタさんはミニマリストかと思うので(引っ越しの荷作りが1日で済ませることができるようなのでそう思いました。)ミニマリストがマキシストと暮す時によくある問題だと思います。
私が、ミニマリストのブログを拝見して思う解決策です。参考までに。
マキシストと同居するミニマリストで上手くいっている人の特徴は、「相手の持ち物に対して捨てろとは絶対に言わない」でした。本人に判断を任せるのです。それと、家族共有している場所は(メタさん家ではベットルームとバスルームですね。)個人のモノを置かない約束を死守してもらいます。この点は大丈夫そうですよね。そして生活動線で必要な“例外“は、話し合って決めます。例えば、玄関に鍵と小銭を置く場所が欲しい、等。
不思議なことに、ミニマリストブロガーさんの家族の方にもミニマリストが伝染してるんですよ。高い確率で。旦那様がアメリカ人のブロガーさんも、ある日一度も使った事がない寿司柄のネクタイと、部屋着にすらしないスラング入りのTシャツを捨て始めたので国籍は関係ないと思います。
ただ、ホーディングとか、ディオゲネス症候群のように、どうしてもモノを手放せない人もいます。
お二人にとってベストな方法が見つかるといいですね。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
*捨てろと言わないで、勝手に処分するのは論外ですよ。念の為。ゆっくりと確実に信頼関係がなくなります。
ダサいバスマットで人を殺しそうになる…
そこまでじゃなくてもダメージは
大きいです。
物からの響きというか何というかが
整ってないとイヤなんだもの。
別に綺麗な部屋ってわけじゃないけど
説明出来ない何かがありますね。
最近旅行した際
ホテルの部屋があっという間に自分色に
なったことにびっくり&感心
普段意識しない自分らしさを垣間見ました。
誰かと住むのは合わない点も含めて
1セットで楽しいんだと思いますが
夫婦は似てくるという説もあるし
物に関してはメタさま寄りで落ち着くと
いいですね。
it’s ok to be a humanっていいですね。
「it’s ok not to be ok」というNetflixで見ていた韓流ドラマを思い出してしまいました。
人って自分に許していない事を相手がやっているとイライラするそうですよ。
私はとにかく静かが好きなので、大きな物音を立てる人が苦手だったんですが、たまには自分でもガチャガチャ音が出てしまうものを、あるがままに大きな音を立てるのを許したら、ほんの一瞬、数ミリ程度ですが、そういう人のことも許せた気になったかも?です。
なのでたまにはメタさんもCCの真似をしてみるとか?w
いつか楽しい思い出になると思います。
今すでに空の上の方にいるもう一人のメタさんはこの状況を楽しんでいる気がします。
いいところはたくさんあるのかもしれませんが、公のブログ、しかも読者も相当いるところに、亭主がどれだけダメか?嫌かを間接的文書で書いてしまうのは、相当マインドが参っていて、悲痛な叫びに読み取れます。だからと言ってそれがワタシにはなんの関係もないので非難する必要性もないのでどうでも良いと言えばどうでもいいことですが、これはスピリチュアルとか有名なブロガーとか以前の、三次元で生きるヒトとして、メンタルやられているやばい状態のライフスタイルで、暮らしの空間は日々の自分の様々な状態を左右しますから、ひとりで暮らせる生活力を身につけて、自分の空間を持てるようになって、家賃を下げる為に犠牲を払って愚痴を書かないメンタルを保ちながら、結婚相手を探した方が良かった、そのことをココで言う必要が何か?はワタシには分かりませんが、非常に不安定でも生きていられることを身を削って書いてくださっているけど、宇宙ってもっと簡単で幸せを掴めるものであって、ご主人があなたを考えてくれない、思考がそこに至らない、という件はお家の中に閉まって、自慢?しないほうが後で嫌な気持ちにならないのではないか?自虐的すぎるなぁ、と不思議に思いました。
この記事を読んだおかけで、ずっと「捨てたいな〜」と思っていた、とある紙モノをついにゴミ箱にダンクシュートすることができました。
20年も誰にも出してないのに、中途半端オシャデザインに「惜しみ」が出て捨てられない絵ハガキを私もたくさん持っています。
引っ越しのたびに「こいつら死ぬまで持ってそう」と思います。
そういう絵はがきには、確かに転生してもくっついてきそうなエナジー感ありますね。。
旅先でいらないのに「いる!」と思いこんで買ってしまう変なグッズって、もしかして……。
ウズベキスタンで「オレの兄が描いたんだ、金が塗ってあるだろ?」と見せられた
明らかに印刷物に金の絵の具でちょっとラクガキしただけの絵を
なぜか超欲しくなってアホみたいな高値で買ってしまったことがあります。
「あ〜これ、前世で棚に放置してた絵はがきがおっかけてきたやつだったんか」
と思うと謎が解けた感があります。
その絵は帰国後、袋に入れたままで出しもせずクロゼットに放置してます。
次回転生でも出てくるな、こりゃ……。
何度か書くか書くまいか逡巡して
書きますね。
Gaucoさんの書いてること
メタさまはそういうこと書いてるんじゃないと思います。
今日本に流れているある種の正しさ真っ当さはとても息苦しいものです。
これは余計なことだと思いつつ
わたしはメタさまの心のままに書いた記事をこれからも拝見したいと思っています。
メタさん、だいじょうぶ! ”引越し騒動も、後から考えたらいい思い出話になるのかな?”と最後に言われている事は、正にそのとうりです。 経験者の私から一言。 今振り返れば2016年のいつ頃だったか、夫がしきりに昔話を懐かしく語り、”あの時は楽しかったね。”と旅の思い出などを話していました。
私はその度に同意する事なく、”でも覚えている? あの時もあなた又怒り出して・・・”
その年の暮れに彼が他界した後に、私の愛情の足りない言葉で、彼を悲しい気持ちにさせた事を後悔しました。そして今では不思議に、良い思い出ばかりしか残っていません。
夫婦をやっていれば、噛み合わない事だらけで、色々な感情で一喜一憂させられ続きます。そして私が今やっと分かった事は、”それで良かったんだ!”という事です。何故なら、人間になって色々な感情を経験するのが学習科目の一つだった訳ですから。 最近の山川亜希子さんのブログの中で、彼女がご主人(紘矢氏)に文句を言う事が減った為、喧嘩が少なくなったと有り、大先輩の彼女も同じだ、と知りました。
”私たちは霊の存在ではなく、肉体に宿って感情を持って生きているので、色々な感情を経験できる。その感情を善と悪に分類する必要がない。両方を経験する事で、”愛の真髄”を模索する事ができるから・・・
そして 愛のあるスピリチュアルリーダー達は、模索中の真摯な姿を顕にしている。 もし誰かが、自分には問題などなく、霊的に成熟していると自慢するならば、全くの偽善者に他ならない。何故なら、そう言う人は霊の世界に残っていれば良いのであって、地球に生まれ出る試験には不合格になっていたはずなのだから。今生地球で生きている一人一人は、それぞれが自分の経験する困難付きシナリオを持って生まれ、自作自演の地球ドラマに挑戦している勇敢な俳優達なのだ” と、自分自身にもエールを送りたいと思う今日この頃です。
メタさんとCC氏と僕と僕のパートナーは全員同い年なので勝手に親近感もってます!
勝手にね!
こちらのサイトは、メタさんが時にため息ついたり苦笑いしながらもこの地球ならではの体験をエンジョイしているようすを、飾らずに読ませてくれる貴重な場です。書かれているすべて愛おしいです。
この記事のおかげで、僕も学生時代から持ってた黄ばんだ絵はがきコレクション処分できました半分くらい!