アメリカで最も有名な映画批評家 ロジャー・イーバート
映画評論家の故ロジャー・イーバート氏(1942年6月18日- 2013年4月4日)は、アメリカで最も影響力を持つ映画評論家の一人として知られていました。彼は映画界からはじめてピュリツァー賞に選ばれた人物であり、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星にも名前が刻まれています。
今となってはすっかり昔の話ですが、かつて、映画評論家という職業が、映画界やテレビ業界と非常に親密な関係を築いていた時代がありました。日本でも、テレビ局が映画を放送する時は、必ずと言っていいほど、お茶の間でおなじみの映画評論家たちが登場したものです。
イーバート氏も、そのような時代の寵児だったと言えます。特に彼のよきライバルだったジーン・シスケル氏とはじめた映画批評のテレビ番組では、お互いに好みや嗜好が異なる二人が、時に激論をぶつけ合う様子が人気を博しました。そのアイコニックなスタイルは当時シンプソンズやセサミストリートにも登場し、二人が揃って高評価をする際の「トゥー・サムズ・アップ」という決め台詞は、後に登録商標されたほどでした。
日本映画との関係で言えば、彼は『火垂るの墓』や『もののけ姫』を高く評価したことで知られています。日本のアニメのストーリーテリングや技法の違いをアメリカのアニメーションとの比較で捉えた彼の批評はとても的確で、アメリカでジブリアニメが広く知られるきっかけとなりました。
しかし独自の偏愛に基づいてジャッジを下す彼のスタイルは、決して誰もが賛成するものではありませんでした。後年作られた彼のドキュメンタリーでは、友人の一人が彼を評して「ナイスガイだったけど、そこまでナイスでもなかった」と、冗談交じりに話したこともあります。それでもイーバート氏が多くのフォロワーに影響を与え続けているのは、幅広い分野の知識を持ち、ヒューマニティと正義を重んじ、決してユーモアを忘れない姿勢があったからです。それはある意味、アメリカ人が考える「善きアメリカの知識人」の姿でもあったのだと思います。
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声を失くしてから
彼の人生は、多彩なエピソードに事欠かない人でもありました。30代でアルコール依存症に陥り、立ち直ったこと、50代で劇的な恋に落ちた弁護士の女性と結婚したことなど、掘り下げればきりがありません。けれども、もっとも人々の心を動かしたのは、晩年の彼の身に起きた大きな変化でした。甲状腺がんを患った彼は、手術後の合併症から、下あごを切除することになったのです。テレビ番組で精力的に活動した頃の彼を見てきた人たちにとっては、大きな衝撃だったと思います。
下あごを切除した結果、彼は見た目も大きく変わりましたが、闘病を経た自身の姿を公にすることをはばかりませんでした。自身の肉声は失いましたが、過去の映像に残された声を分析し、コンピュータによって生成した人工音声が、彼の新しい”声”となったのです。その”声”を使ってTEDトークでのスピーチも行い、多くの人たちにインスピレーションと勇気を与えました。
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イーバート氏の見た「向こう側の世界」
アメリカという国は、ダーウィンの進化論を認めないキリスト教原理主義者たちがいる一方、科学しか信じないと言う人たちもいます。後者のタイプは知識人層に多く、神や宗教はもちろん、死後の世界や輪廻転生など、根拠が一切ないものを根拠があるかのように信じるのは、非常に子供じみたことだと考えるのです。
イーバート氏も例外ではありませんでした。彼は民主党支持者でもありましたが、神による天地創造を信じるジョージ・W・ブッシュ氏について、「ニューエイジャーと創造論者は大統領であってはならない」というエッセイで強く批判しています。タイトルからも分かるように、彼は科学的かつ論理的でないことを、半ば毛嫌いしていたのです。
しかし、そんなイーバート氏が亡くなる直前、それまでの彼からは考えられない出来事がありました。妻であるチャズ・イーバート氏が、アメリカで最も影響力のあった映画評論家の最期の日々を、このように回想しています。
4月4日、彼は体調が回復し、自宅に戻れることになりました。娘と私は、車で彼を迎えに行きました。私たちが着いた時、看護師さんたちは彼に服を着替えさせるところでした。彼はベッドに座り、家に帰れることがとても嬉しそうでした。彼は微笑んでいました。彼はまるでブッダのように座り、それから、少し頭を下げました。彼は瞑想しているのだと思いました。もしかしたら、彼の経験を振り返り、家に帰れることを喜んでいるのだろうと。誰が最初に気付いたのかは覚えていませんが、誰かが彼の脈を確認しました。もちろん、最初は私は完全に我を失いました。誰かがコードを持ち込み、機械が運び込まれました。私は動くことが出来ませんでした。けれども、彼がこの世界を超えて、向こう側へ渡ろうとしていることが分かると、静寂がやって来ました。機械のスイッチが切られ、病室は平和に包まれました。私は彼が好きだった音楽、デイヴ・ブルーベックを流し、彼の耳にささやきました。あなたを行かせたくない。私は何時間も彼の傍に座り、その手を握ったままでいました。
ロジャーは美しく見えました。彼はとてもきれいでした。何と説明すればよいか分かりませんが、彼は穏やかで、若く見えました。
皆さんが驚くだろうことが、ひとつあります。ロジャーは自分が神を信じるかどうかは分からないと言っていました。それには疑いがあると。けれども、彼の最期の日が近づにつれ、ある興味深いことが起こったのです。ロジャーが亡くなる前の週、私が見舞いに行くと、彼はこの世界の向こう側を訪れたと話しました。私は彼が幻覚を見ているのだろうと思いました。合わない薬を飲み過ぎたのだろうと。けれども、彼は亡くなる日の前日、私に一枚のメモを渡しました。それには「これらすべては手の込んだデタラメだ」と書かれていました。私は彼に聞きました「デタラメって、なんのこと?」。すると彼は、この世界という場所について、話し始めたのです。「すべては幻想だ」と彼は言いました。私は彼が混乱しているのだろうと思いましたが、そうではありませんでした。彼が訪れたのは、私たちが考えるような天国ではなかったそうです。彼はこのように説明しました「それは想像もつかないほどの広大さ」であり、「過去、現在、未来が、同時に起こっている場所だ」と。
– Oral Histories of 2013: Roger Ebert’s Wife, Chaz, on His Final Moments, Esquire.com
2013年、彼の死に際し、スティーブン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ、スパイク・リー、ローランド・エメリッヒ、クリストファー・ノーランなど、アメリカを代表する映画監督たちが哀悼の意と、その功績に対する感謝を捧げました。
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イーバート氏の妻であるチャズのンタビューは、彼の亡くなった2013年に書かれたものなのですが、今になって突然、私の携帯電話のGoogleニュースフィードにひょっこり現れました。お盆だからかな。
「向こう側」をどのように体験するかは人によってバリエーションがあると思いますが、彼の話は私が経験したこととも似ていて、興味深かったです。まったく何もない世界ということではなく、体験したいと思ったものは、体験できるんですよ。頭の中でイメージしたり、想像するのと似ていました。でも本格的に向こう側に渡ったら、また違うバージョンになるのだろうと思います。
メタさん、CCさん、皆様、残暑お見舞い申し上げます!
この記事を読んで、じんわりこみげてくるものがあって、涙眼になりました。
以前紹介してくださった、ストレス軽減のガムと、ローズウォーター購入してみました!
ほんのりローズの香りがいいですね。
そして、このご時世もそうですが、私は、ただいま介護中なので、このガムありがたいです!(^^)
限られたものの見方が
窮屈に感じられるようになり
新しい理解がやってきて
新しい視点をもたらす。
地球上で死を恐れるのは
人間だけで
人間だけが
死が何かを知らないからだ。
願わくば
死が近づいたからという理由以外で
あちらの世界を覗きたいです。
最期を悟った人が残すメッセージって、無条件に、なんかグッときますね。死後の世界への興味って、時代も人種も問わず人類共通の関心ごとだからでしょうか。
>>「過去、現在、未来が、同時に起こっている場所だ」
これもすでに頭では理解している 気 が す る次元の話だと思うんですが、それも遅かれ早かれ誰しも体験するのだろうなとも思うけど、あわよくば生きている間に、実感してみたい~~~です。
ところでメタフィジックスさんの体験記ってどこかに記事になっていましたっけ?…上原忍さんの書籍がそうですかね。
ロジャーさんについて初めて知りました。シェアしていただきありがとうございます!読み終わったあと、夫婦っていいなと思いました。