UKEIRERUとは
最近、アメリカのメディアで「ukeireru」という日本語について書かれた記事をいくつか見かけました。『Why be happy? – Japanese Way of Acceptance (どうして幸せになれるの?受け入れるという日本人の技術)』という、臨床心理学者のスコット・ハース氏によって先月出版された著書の中で、心の平和を作り出す日本人の哲学として「ukeireru」とうい言葉が紹介されたのです。ハース氏によると、それは幸せでいるための秘訣でもあると言います。具体的に、どのようなことを指すのでしょうか。
”ウケイレル”には、単に自分を受け入れる以上の意味合いがあります。それは家族、学校、職場、コミュニティでの人間関係を受け入れることを意味します。それは、他者を認めることを意味します。そして、現実を受け入れ、自己というものに対する偏狭で矛盾し、疲弊した視野を広げるための文脈を作り出すことを意味します。
つまりそれは、あなた自身、あなたの家族、あなたの友人、あなたの同僚、そしてあなたのコミュニティを受け入れることです。
Ukeireru: The Japanese Art Of Acceptance & How To Practice It, Scott Haas, Ph.D. – MindBodyGreen.com
「え、そんなに大きい話だったっけ?」と日本人の私は思う一方で、もちろん、ハース氏の言わんとしていることはよく分かります。「ありのままを受け入れる」という教えはマインドフルネスの中にもありますが、確かに私たち日本人は「受け入れる」ことに関して、独自の哲学を持っているように思います。
日本語の「受け入れる」の意味
しかし、日本語ネイティブである私たちの立場から見ると、「受け入れる」という行為や、それによってもたらされる結果は、決してポジティブなものばかりではないように感じます。特に日本人は何事も頑張り過ぎてしまいますから、「受け入れる」の限度を超えて、「我慢する」という言葉の方が状況を正確に表すことも多々あるように思います。
そこで「受け入れる」という言葉の意味を辞書で調べてみると、以下のようになりました。
- 受けて入れる。「水を器に―・れる」
- 人や物を迎え入れたり、引き取ったりする。「留学生を―・れる」「海外の文化を―・れる」
- 人の意見や要求などを認める。「主張を―・れる」
興味深いのは、上記1の定義です。「水を器に受け入れる」という例文に象徴的なように、それは空の状態にしたオープンな心とマインドで、対象を自分の中に迎え入れることだと言うことができます。その時に負担や違和感、ストレス、抵抗などを感じるなら、それは文字通りの意味で「受け入れる」ことではありません。それを「受け入れろ」と言うのは理不尽です。本来、「受け入れる」とは、空の器と水のように包容力のある状態を指すのです。
Japanese Art of UKEIRERU ~受け入れる技術~
ハース氏は、「受け入れる」という行為を幸せの秘訣と考える時、決して相手に共感的になり過ぎることではないと語っています。そのような状態は、やがて互いに痛みをもたらすからです。彼は「受け入れる」という行為を説明するにあたって、日本人の沈黙を例に挙げています。日本人にとって沈黙はコミュニケ―ションの一形態として機能します。私たちは沈黙の中で相手に耳を傾け、尊敬を表明し、互いに信頼を築きます。自己に対する気づきがない限り、他者を真に受け入れることはできません。受け入れるとは、彼らの視点をよりよく理解することでもあります。身の回りのものを受け入れ、落ち着いて観察してみると、自分もまた社会の一部に過ぎないと気づくことができます。その時、私たちの心の視界は穏やかに澄み渡り、今いる状況をよりクリアに眺めることができるのです。
(ウケイレルことの)ゴールは、充分な気づきと自信を伴うくつろいだ精神状態を作り出すことにあります。喪失を受け入れ、抱きしめることです。受け入れることは、ある種の基本的な即時性を作り出します。それは、現在の瞬間に生きることです。
こうして見ると、私たちには素晴らしい哲学があると改めて気づかされます。私たちの多くが、ナチュラルにこの「受け入れる」という感覚を理解できるのではないかと思います。ここで言う「受け入れる」とは、決して受動的な行いではなく、変化の可能性を含んだプロセスであり、進化する心の在り方なのです。
自由とは何かという話になると、いつもCCと意見が対立します。UKEIRERU、読まないと。
わたしの受け入れるは
「そうなんだ~」が近いかも。
そんなのあるんだ
そうなんだ みたいな。
自分の中に取り込むのではなく
イエスでもなくノーでもない
宙ぶらりんのことですかね。
もっと高度な受け入れるもあると思うけど
それは得意じゃないです(笑)
以前は逐一マジメに他者の言い分を「受け入れる」または「受け入れなきゃ」と思ってましたが、
今は私も「そっかぁ、そうなんだね」と、否定も肯定もしないで理解する・それが私の「受け入れる」かな(^ー^)
全部受け入れようとすると、苦しくなることもあると思うんですよね~。
関係ないけど・以前のメタさんの記事の、CC氏の「ハラハチブ」発音を思い出してニヤついてしまった(笑)
「受け入れる」という内容の夢を見て、夢日記に「受け入れる」と書いた日に、
メタさんの「UKEIRERU」の記事がアップされました(笑)
日本人の奥深くにある哲学としてとの「UKEIRERU」は、
「流れて来て、やがて去る」という感覚かもしれないな、と思いました。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、、、」
空の器に水は絶えず注がれるけれど、器の底には実は穴がある。
だから受け入れた水は淀むことなく流れ去るので、器の水は常に澄んでいる。
そして、器の中では常に変容のプロセスが起きている。
そんな状態をイメージしました。
上から溢れてしまうのと、下から順次流れていくのとでは、
変容プロセスのスムーズさが違うことをイメージすると、なんとなく納得しました。
受け入れる っていう言葉を聞くと 一瞬 上から目線のイメージも頭をよぎりますけど
自分自身がなんでもオケーの状態の時って ジャッジしていないんですよね。
ほんとになんでもおけーっていう状態。(決してなげやりではないです)
それが 受け入れる ってことなのかなあと思います。
追記
私にとっての「UKEIRERU」の正体は
「自分が自分を100%受け入れること」
ということだったことが分かりました。
自分の体の特徴もなにもかも受け入れる、自分自身をまず、全身くまなく100%受け入れる。
ライオンズゲートの解消課題だったようです。
受け入れて、だからこそ変容するのだったんですね。
メタさん、こんにちは(*^^*)
数年前にもコメントを入れさせていただいた者です。
確か、英語の幼児youtubeをご紹介下さったことにお礼を申し上げました。
もし、ご存じなら教えていただきたいのですが、海外では今でもライオンズゲート概念ってあるんですか?
日本では5、6年前に海外から流入して取り上げられて以来、
定着しましたが、海外ではどうなんだろうと思いました。
日本特有のクリスマスやハロウィンイベントの様になっているのかという印象がありますが…
なるほど、面白いですね!確かに、日本人の「受け入れる」って凄く良いコンセプト。でも、それをその理想通りに行えている人は少ないのかも知れません。行きすぎて我慢、妥協、それを他者にも押しつける。。。といった悪循環もありますものね。
でも元々は、仏教の悟りのように、結局は今目の前のことは受け入れるしか選択肢がないというシンプルな現実に気づいている、ということであって、考え方や行為ではないような気がします。昔の日本人はそういう風世界を見れていたんじゃないのかなぁ。。「受け入れる」の概念は、その名残りなのかな、と思いました。
海外(英語圏?)には受け入れるに当たる言葉が無いのですね。初耳でした。
あれやこれやそれが、そのままで在る事をそのまま赦し認める事、と感じます。
構わない。結構。ええんやない。それでいいのだ。何でもいい。どうでもいい。どっちでもいい。似た感じの言葉は結構ありますね。
最後の3つは投げやりではなく、何がどうなろうと良いという最強の決め付けです(笑)
このような感覚があるからこそ、受け容れられるのかもしれませんね。
少々意味が違うかもしれませんが、半眼という言葉が思い浮かびました。
目の前の出来事を100%受け入れようとするから苦痛を伴うので、半分だけ受け入れて、あとの半分は受け流したり忘れられるのであればGOODではないでしょうか。後から落ち着いて考えたりして対処すればストレスも溜まらないのでは。
なーんて悟ったようなことを言っていますが、夫との意見の食い違いの時は、半眼なんて流暢な大人な対応は吹っ飛んでしまうので、夫を視界から消すために、自分が部屋を移動します!(^_-)-☆
こんにちは、メタちゃん。(^_-)-☆
夏バテ、コロナバテしていませんか?
日本では、「ぺこぱ」というお笑い芸人が売れています。知っていますか?
全てをポジティブに受け入れるというネタが受けています。
実際にネタを見ないと一行だけの説明ではわかりませんよね~。苦笑
もしかしたら、受け入れるお笑いネタは、日本人がより強く共感出来るのかもしれませんね。
関西人ですが、会話の最後に『知らんけど』
ってつける風習があります。自己ツッコミ的な。
考えや意見を述べた後に、それがホントかどうかなんて定かじゃないよって意味で、笑いも取りつつその場が和やかな空気になります。
遊びがある、緩める感覚で、優しさを感じます。
対立や闘いが目的じゃない、『受け入れる』って、大きな意味で、赦しなんだなぁと思います。