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ティール・スワン「Authenticity―嘘のない真実の自分になる」オンラインワークショップの感想

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ティール・スワンのオンラインワークショップ2回目は、「Authenticity―嘘のない真実の自分になる」というテーマで行われました。オーセンティシティとは、スピリチュアルでは非常によく使われる言葉で、直訳すると「信ぴょう性、信頼性、本来性、真正であること」などとなりますが、一般的には「自分らしさ」、「本来の自分」とも訳されます。一般の文脈の中でオーセンティシティ/オーセンティックという言葉がよく使われるのは、料理に対してです。どういうことかと言うと、ルーツである文化に忠実で、アレンジを一切加えていない、純正レシピの料理、そういうものに対して使われる表現です。ですから、オーセンティックな人とは、自分自身に嘘やごまかしのない人、自分に忠実な人というニュアンスがあります。

スピリチュアル界におけるオーセンティシティとういのは、マインドフルネスの普及以降に出て来た、比較的新しい潮流だと思います。メタ通を始めたばかりの頃の私は、まだ日本に紹介されていないか、普及していないものを広めたいと言う野望があり、「オーセンティック・セルフ」という言葉もそのひとつでした。似たような表現で、一昔前には「トゥル―セルフ」という言い方もありました。宇宙の真実そのものである自分と言う意味で、日本語では真我と訳されたりします。オーセンティシティとは、そのように素晴らしい自分と、そうでない自分という切り分けをするのではなく、すべて自分の中に含めた上で、これが自分だと言うようなニュアンスがあります。

本当の自分に戻るとは、私たちが本質的には神のソースの一部であると気付くことだというような言い方がありますよね。確かにそうではあるのですが、それはスピリチュアルの旅路で考えたら、ほんの駆け出し、幕の内弁当で言えば、弁当箱の蓋を開けて、メインのおかずを一口食べたくらいのファーストステージです。

もっと大きなはずの自分を探す旅に出たつもりが、実際は、人前で本音が出せなかったりする、そんな時こそオーセンティシティというテーマが身に沁みるわけです。

 

 

オーセンティシティとは

さて、日本初となるティール・スワンのワークショップシリーズは、今回で2回目です。前回は、彼女の自己紹介やテーマについての説明もそこそこに、いきなり質問コーナーから始まるという荒業でしたが、今回もいきなりイメージ誘導ワークでスタートしました。今回のテーマに沿って、自分で自覚している「自分」と、実際の自分には、どれほど違いがあるかに注意を向けるためのイメージワークです。変容のシンボルであるレイブンに誘導されてイメージの中を移動し、もう一人の自分を眺めに行くという、シャーマニックジャーニーに非常に近いものでした。ちなみにシャーマニックジャーニーとは、北米インディアンの儀式で、スピリットガイド/アニマルガイドに導かれ、ガイダンスにつながります。今回のティールのアプローチもそれと非常に似ていたのですが、あまりにいきなり始まったので、戸惑った人もいたのではないかと思います。しかし、そこで揺さぶられ、無防備な自分が出てくるのが、ライブならではのギフトです。

そのようなワークがひとしきり終わった後、オーセンティシティとはどのようなことかについて、おもむろに説明が始まりました。このテーマについて、ティールの話が面白くない訳がないんですよ。彼女の教えのすべては、そこに向かっていく流れのようなものだと思うからです。実際、どこを切りとって引用したらよいか分からないほど、全体的に圧巻でした。

まず彼女は、私たちとはどのような存在であり、いかにして自分のオーセンティシティを失ってしまうかについて説明しました。

 

オーセンティシティとは、コピーではないという意味になります。つまり本物である、リアルである、嘘がないという意味です。このことを理解するために、みなさんが生まれて来るまえのところに話を戻したいと思います。一人一人は、ソースの意識の具現化したものとしてこの世に現れます。それは何を意味しているかと言うと、みなさん一人一人にユニークな本質があると言うことです。唯一無二のエネルギーシグネチャーを持って生まれて来ました。そしてこの本質の中に、みなさんのユニークな目的、願望、ニーズ、そしてこの大きな宇宙に置いてのユニークな役割が含まれています。そして人生は、それらのものが展開していくプロセスであるわけです。

たとえば、子育てというのは、その子の本質を表面に出してあげるサポートです。しかし社会性を身に着ける、親にしつけられる、学校教育を受ける上では、そのように物事は進みません。一人一人の子どもの自然な才能を発見する代わりに、粘土を型にはめるようなことをしています。

そのような環境に生まれつくと、こういうことは社会的に認められる、それをやると周りに愛してもらえるという条件を受け入れるようになります。そして、そうではないことをすると恥ずかしい奴だと言われ、罰を受け、社会の端に追いやられてしまいます。

自分の中で社会が認めてくれる要素だけを前面に出すと、本当の自分からはかけ離れていきます。社会から拒絶される部分は、自分で隠すようになるのです。その部分を自覚できていないとしたら、どうでしょうか。

 

 

恥と感情の抑圧という日本的なバイブレーション

このシリーズの一回目にティールは、集合としての日本人には恥のバイブレーションが強いという話をしていました。嘘がないとは、自分の中で矛盾がない状態ですが、多くの場合、私たちは意識的/無意識的に感情を抑圧しています。嫌いなことを仕方なく続けていたり、好きではないものを好きだと言ったり、本音と違う建前を取り繕ったりするのは、自己防御でもありますが、社会から要請される、いわゆる世間体やマナーと呼ばれる、私たちを強く縛るソーシャルコードだったりします。

 

ある種の感情は社会に許容されないので、それを感じないようにしているというのも矛盾です。これは日本では大きな問題だと思います。日本は感情的な抑圧がたくさん行われている地域です。心の中は嵐のようでも、外側には何も起きていないかのように平然とした状態を作り出す、そのような不一致があります。内面の自分と、外側に出している自分との間に、どのような不一致があるかについて考えてみてください。

オーセンティシティというのは、何がリアルであるかに気づくことです。そして、自分にとってのリアルをシェアしていく方法を見つけることです。オーセンティックである上で、もっとも大きな障害になるのが、拒絶、否定です。恥や痛みを避けるために、私たちは徐々に本当の自分自身から離れてきたと言う話をしました。人からいい人だと思われたい、自分でいい人だと思いたい、他人から悪い人だと思われたくない、自分の悪いところを見たくないからです。日本では、「悪い」と言うよりは、「間違っている」と言った方がしっくり来るかも知れません。

 

日本人は、表面はにこやかで礼儀正しいけど、実際は何を考えているか分からないとよく言われます。これは日本人が本音を言わないとか、アメリカ人は開放的だと言う話でもなくて、日本人には、日本人だけが理解する、ある意味サイキック的なコミュニケーション方法があるとも言えます。空気を読むとか、思いやるということです。それは良い悪いではなく、私たちの文化の特徴であり、シグネチャーだと思うのですが、その一方で、間違うことへの恐怖と自責の念は、日本人に非常に顕著な感情です。西洋は罪の文化で、日本は恥の文化だとよく言いますよね。

 

 

本当の自分に立ち返る時

私たちが自分の内側と外側で矛盾を抱えてしまうのは、いい顔をしたいということよりも、相手を傷つけたくないとか、迷惑をかけたくないという思いがあるからだったりします。そう考えるよう型にはめられてきたからとも言えますが、決して悪いことばかりではないですよね。ただし、何事もバランスです。

 

正しい自分になる、四六時中そんなことを目指していたら、本当の自分になることは無理ですね。私たちが本当の自分に立ち返るのは、そうしないと本当に辛い時です。そのように感じるのは、受け入れなくてはならない部分が自分の中にあるからです。

では受け入れるとは、どういうことでしょうか。ほとんどの人は「受け入れる」ということを、「賛成をする」とか「肯定する」ことだと思っていますが、しかし全くそれとは無関係です。受け入れるとは、何かを変えたいとか、何が好きで何が嫌いかとは別なところに存在するものです。それは、何かに価値があって、それがリアルだと言うことを、ただ認識するだけのことです。

私たちが本当の自分から離れるのは、自分の中の何かを拒絶したり、受け入れたくないと抵抗する時です。そのように拒絶や抵抗をするのは、それがあることを認めてしまうと、とても傷つくからです。

 

今回のワークショップは、前回の「どうして孤独を感じるのか」というテーマを引き継いでいて、それは自分の中で受け入れられない、認められない部分があるために、周りから自分を切り離してしまうと言う話でした。私体は、自分一人でいる時にも無意識のうちに自分で認めたくない部分を隠しているのですが、人前に立つと、それはより顕著になります。その意味において、本来の自分になるということは、相手に対して(もちろん自分自身に対しても)弱さをさらけ出せるかということです。

そこでこの話は、来週行われる最終回、「関係性における信頼と自己信頼」というテーマにに続いていくと思うんですけどね。

今回、本当に旬なテーマと言うか、集合/コミュニティとしての日本人にとって聞きごたえがあるものになっていると思います。孤独、恥、本当の自分、信頼というこれらのテーマは、難しく話そうと思えばいくらでもできるのですが、それを直感的・エネルギー的な視点から、非常にニュートラルに、だからこそより本質的なものとして話すのが、ティールのよいところだと思います。

 

なお、ワークショップの詳細は、以下のリンクよりどうぞ。ワークショップの動画は、終了後、約1か月の期限内で繰り返し視聴できます。

日本初開催!ティール・スワン2020年オンラインワークショップ・スケジュール – VOICE/シンクロニシティジャパン

 

受け入れられない自分を受け入れるワークについては、ティールの著書『完了プロセス』に詳しく書かれているそうです。気になる人は、ぜひチェックしてみてください。

完了プロセスー失われていた自分の一部を取り戻す実践法 – ティール・スワン (著), 奥野節子 (翻訳) – Amazon.co.jp

 


オーセンティシティについて、常に本音を言えるから偉いわけでも、自分を犠牲にするから悪いわけでもないと思うんですよね。あえて言わないけれど、自分の真実は自分が知っているということも、オーセンティシティのひとつの様式です。

たとえば自分が痛くてダサいやつだと受け入れることで、前より痛い奴になるかと言うと、実は真逆だったりします。だから人生もスピリチュアルも面白いのだと思います。

 

 

「ティール・スワン「Authenticity―嘘のない真実の自分になる」オンラインワークショップの感想」への7件のフィードバック

  1. こんにちは、メタさん、いつも貴重な気づきをありがとうございます。メタさんのティール・スワンWSレポート拝見して、今回受講してみて、私にとっては「本当の自分(ひどいとこもある感情含めてリアルを知る)とすり合わせて意識的な選択をすればよい」ってのが、これからの一瞬一瞬の行動についての指針もらえたようで大きな喜び得ました。
    拙い私の感想ブログ。
    https://ameblo.jp/aiko-self-awakening/entry-12629360403.html

    メタさんのサマリーは、主観ありながらもさすが正確性高くお伝えされていて、再度深く学びなおせましたシェアしてくださり、ありがとうございます✨

  2. 記事を拝読して、中島淳の「夫婦」という短編を思い出しました。
    南方の島の話で、恋愛沙汰でもめた女達がめちゃくちゃ激しいキャットファイトで勝負をつける風習を書いてあります。(架空ではなく実際にあるもの)
    相手をズタボロにして最後は服をむしり取り、負けたほうは前を隠して泣きわめきながら退散します。
    どんな理不尽な不貞女でも、このファイトで勝ったほうが認められるというめちゃくちゃさ。

    ところが、こういうトンデモ事件があるのに最終的には関わった男女みなが、どういうわけか収まるところに収まり、全員なんだか幸せになってしまいます。
    トンデモぶりが面白くて好きな話です。

    現代日本から見れば目が飛び出るような価値観ですが、少し前の時代には日本にもこういう土俗的、原始的、野性的にも見える文化がさまざまにありました。
    そしてそういう「感情の爆発」「性の発散」がなあなあに認められている社会では、自殺がめったにおきないんですよね。

    中島淳は、日本人がのきなみ引きこもり的「私性」に向かった時代に、世界標準的に人間を観察できていた稀有な人のように感じます。

    人間の人間性のみならず、地球上のさまざまに出会っていくだけで、単純に人生はすこぶるおもしろいのだと思いました。

  3. メタさん、こんにちは

    感想レポートありがとうございます。
    前回のレポートはそうそう!と頷きながら、私の思ってたことを全て書いてくれていたので気持ちよく読んでしまいました。

    2回目は参加しませんでしたが、
    前回のを思い出しながらメタさんのレポートを読みました。
    やはり率直でわかりやすい、実践的な内容ですね。
    それになんとなくモヤモヤと違和感を感じていたことを明確な言葉にしてくれたり、
    実態が何かがわかるので
    恐れる必要はないということを知ることができました。

    まだまだ私は実践的に活かせそうじゃないので、ティールさんの書籍を手元に置いて繰り返し読みたいなと思っています。

    3回目のレポートもお待ちしてます!

  4. 「私たちが本当の自分から離れるのは、自分の中の何かを拒絶したり、受け入れたくないと抵抗する時です。そのように拒絶や抵抗をするのは、それがあることを認めてしまうと、とても傷つくからです。」という表現にぐっときました。

    自分の中にある「恥」を他の人に見せてしまうと、受け入れてくれないんじゃないか、とか嫌われてしまうんじゃないか、と思ってしまう自分がいます。「恥」をさらけ出すと、いまの生活(会社や家庭)が成り立たなくなるような気がしています。

    でも、自分が思う「恥」を他人も同じように「恥」と思うかどうかはわからないし、そもそも自分が思っている「恥」は本当に恥ずべきものなのか?それを恥だと考えてしまう背景には、バシャールの言うネガティブな信念(ネガティブビリーフシステム)が潜んでいるんじゃないか?とも思っています。

    まずは、このインターネットの世界ではせめて正直な自分、ありのままの自分(オーセンティック・セルフ)でいたいと思います。そして恥も外聞もなく、ここに率直な思いをつづりたいと思った次第です(笑)。

    innervoyage
    https://innervoyage.jp

  5. 内容に感激しました!
    シュリとキアラの今月のエネルギー予報にあった10月は真実が明らかになる
    というメッセージとも重なっていると思うのですが
    真実の自分 ということに対する
    リアルという説明が
    分かりやすくて
    胸にギュンと来ました♪

  6. 今回も素晴らしいシェアをありがとうございます☆
    「言わないけれど、自分の真実は自分が知っている」
    私も最近はそう思うことが増えています。
    もう外から植えつけられたもの全部いらない。
    自分に正直になれること、自分にとってのリアルだけでいいですね。
    そして受け入れるって聞くと無理やり好きにならないといけないように感じるけれど
    認識するだけでいいんですね。
    なんか本当にこのページのどこを読んでも
    全部が心に響きます!メタさん、ありがとうございます☆

  7. ほうじ茶を飲みながら拝見しています。
    ほうじ茶は久しぶりで
    この重さはいつも胸が苦しくなるのに
    また忘れて飲んでしまったわとか
    ぶつぶつ思ってました。
    食べものに対して
    心がつぶやくことって正直だし
    精妙なものなので
    この感覚を他のものにも
    使えばいいって思いました。

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