エクトプラズム講習会に行ってみた
しばらく前の話になりますが、今年の2月、エクトプラズム講習会というものに参加しました。インターネットで別のイベントをチェックしていて、たまたま見つけたのです。新型コロナウイルスによるパンデミックも始まったばかりで、ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に停泊していた頃でした。アメリカではそれほど話題になってはいなかったと言え、私は日本のニュースをチェックしていましたから、人込みの中にでかける心配もありましたが、こんなマイナーなイベントに人が集まるとは思えませんでした。だいたい3人くらいじゃなかろうか。
このページを見ている人なら、エクトプラズムについてもすっかりご存知だと思います。ウィキペディアの説明によると、以下のようなものです。
エクトプラズム(ectoplasm)とは、シャルル・ロベール・リシェ(1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞する)が1893年にギリシア語のecto(外の)とplasm(物質)を組み合わせてつくりだした造語。この造語は心霊主義で用いられるようになり、霊能者などが「霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のもの」を指して用いられる。エクトプラズム – Wikipediaより
つまりはスピリット/霊魂のエネルギーが物質化したものですが、詳しいことは知らなくても、エクトプラズムの写真を見たことがある人はいますよね。ちなみにここから下は、怖い写真が嫌いな人は要注意です。
ウィキペディアから写真を並べて見ると、どれも明らかに作り物くさいのですが、牛乳からチーズを濾しとるのに使う薄いガーゼを使った偽物であると結論づけられているようです。[1] このようなエクトプラズム写真が流行したのは、19世紀の終わりから20世紀前半にかけてのことです。当時、カメラは今とは比べ物にならないほど高級品でしたから、このような”トリック”写真が与えるインパクトも大きかったのでしょう。
エクトプラズム講習会とスピリチュアル
エクトプラズム講習会は、とあるスピリチュアリズム系の教会の二階で行われました。スピリチュアリズムとは、私たちが考えるいわゆる「スピリチュアル」とは違いますが、その一端を担った宗教哲学です。キリスト教の神ではなく、それに代わる存在として無限の知性を説き、魂の普遍性と進化、死んだ人々の霊とのコミュニケーション、ヒーリングの可能性を信じます。19世紀半ばにイギリスの中流・上流階級の活動として始まり、アメリカにも広がりました。神智学は、スピリチュアリズムをより哲学的に発展させたものです。
さて、講習会の会場となる教会に出かけると、当初は3人くらいしか来ないと想像していましたが、その10倍近くもの人数が来ていました。参加者の年齢層は、30代後半~60代で、どうやら真面目な講習会であることを感じました。私が想像していた「ほん怖クラブ」的なものとは全然違うようでした。
受付を済ませると、教会の二階にある図書室に案内されました。築120年以上も経っているその教会は、存在がもはやアンティークですから、図書室もまるでホーンテッドマンションのような、ただならぬ雰囲気がありました。
6畳ほどの小さな部屋の四方は本棚で囲まれ、その内周をぐるっと円を描くように椅子が並べられていました。その中央にはやはりアンティークのテーブルがあり、その上に水が張られたガラス製のサラダボウル、同じく水の入ったコップ、そして古ぼけたウサギのぬいぐるみなどが置かれています。
空いている席を見つけて、60代ほどの男性の隣に座りました。挨拶がてら、「どうしてここに来たのか(What brought you here?)」」という定番の質問をしてみました。彼は若い頃からスピリチュアルなことに興味があったそうですが、何年か前に本格的なアウェイクニングを迎え、仕事を辞めてヒーラーの道を進むことにしたそうです。熱心に学んだ甲斐あってヒーリングのスキルにも自信を持てるようになりましたが、スピリットと、見える・聞こえる・触れるなどの物理的な感覚を使って交流する機会がなかったので、ぜひ自分の肉体で経験するべく講習会に参加したとのことでした。
会場の座席がすべて埋まった頃、霊媒師の女性が登場しました。いかにも霊媒師然とした様子で、江原啓之氏と髪が黄色くなる前の美輪明宏氏を足して二で割った、”一人オーラの泉”のような存在感を放っています。うーむ、これは本物っぽい。
つい見とれていると、おもむろに彼女はこう言いました。
「これから交霊会を開きます。一端、輪の中に霊を呼び入れたら、交霊会が終わるまで席を立つことは出来ません。トイレに行きたい人は、今のうちに行ってきてください」
なるほど、こっくりさんと同じ方式だと思うと、ますます期待が高まりました。
ついにエクトプラズムが現れる!
まず最初に、簡単に基本知識の説明がありました。エクトプラズムとは、スピリットが人体のエネルギーやエレメントのエネルギーを使って物質化した時に起きる現象で、時には物質を動かすこともあるとのことでした。古い心霊写真では、霊能者の身体、特に口や鼻から出ているように見えますが、現代では条件さえ揃えば、誰でも経験できる現象と考えられているそうです。
やがて霊媒師の女性は部屋の明かりを夜間灯だけに落とし、その場にいる全員に心の準備が整ったことを確認すると、霊の召喚を始めました。召喚の言葉を唱え終わらないうちに、輪の中央にはうっすらとした白いもやが立ち込めて…なんてことは起こらず、参加者は固唾を飲んで成り行きを見守っていました。
ほどなくすると、向かい側に座っている誰かが、テーブルの上のガラスボールを指さしながら、静かにこう言いました。
「もしかして、水面から白い湯気が上がってない?」
霊媒師の女性は、さも当然と言う風情でこう答えました。
「そうよ。もう来てるわね…。これは水道から汲んだ常温の水で、湯気が出るような温度じゃないの。彼らが来ている証拠よ」
私はテーブルを挟んで反対側に座っていて、ガラスボールは私から2メートルも離れていなかったと思います。暗がりの中で目を凝らすと、「湯気」が見えないこともありませんでしたが、炊き立てごはんのように活発な湯気ではなく、自動販売機のあったかコーンスープ缶を開けた時に見えるような弱々としたものです。ひょっとして、座席の向きが関係するのかも知れない。
しかし、会場は次第に静かな興奮が渦巻き、そこから参加者たちは次々に心霊現象を目撃しました。たとえば、壁にかかった絵の中のライオンのしっぽが揺れる、同ライオンの数が減ったり増えたりする、もしくは伸びたり縮んだりする、肖像画に描かれた人物の見た目が老けたり若返ったりする、ウサギのぬいぐるみの’耳がかすかに動くなど、湯気が積極的に立ち上るなど、次々に驚くべき現象が起こり、参加者たちは霊を驚かさないよう、静かに驚嘆の声を上げました。しかし残念なことに、そのどれもが私のいる位置からはよく確認できませんでした。
乗り遅れたような気分でいると、隣に座っていた男性が私の方を振り返って言いました。
「僕の口からエクトプラズムが出てるのが、君に見える?」
そう言われて再び目を凝らすと、確かに彼の口から、かすかな湯気のようなものが出ていました。しかし、当日は2月の半ば過ぎ、小雨が降る寒い夜であるにも関わらず、部屋には暖房がないという、言ってみれば、口から白い湯気が出て見える条件は揃っていたのですが、それがエクトプラズムでないという十分な証拠もありませんでした。確かに白いものが出てると言うと、彼は心から満足したようでした。それを見て、私もよかったと思いました。
そうこうするうちに、ほどなく終了時間となり、興奮に包まれたままエクトプラズム講習会は終了しました。
エクトプラズムという現象は、あるのかないのか?
物質的な形を持たないスピリットが、湯気や煙をサインの代わりに使うという説は、スピリチュアルの世界ではよく知られています。
もう10年以上前、私が子どもの頃から慕っていた叔母が亡くなりました。私たちは師弟関係のようで、世間的には道を外れながらも自分の好きに生きる叔母の姿は、私に大きな影響を与えました。彼女の葬儀が終わって、親戚の家にいた私が何気なくフィルムカメラで食卓の写真を撮ると、現像して出来上がったのは、食卓全体から「湯気」が立ち上っている写真でした。暖かい湯気は、空気中で膨らみます。けれども、その時、写真に写っていたのは、線香からまっすぐに伸びる煙のように見えました。食卓の上からは、そのような「煙」何本も立ち上っていましたが、食卓の上に載っていたのは、冷や奴やおしんこなど、まったく湯気が出そうにないものばかりでした。
妙な写真がその一枚だけだったら、何かの間違いだと思いますが、叔母の死に際して、私は他にもぎょっとするような心霊写真を数枚撮ってしまい、向こう側の世界はあるもんだとつくづく感じたものです。
けれども、エクトプラズム講習会は、期待が大きかっただけに、少しがっかりしました。ナンみたいなものが見えると思ったからです。
コロナが解決しない限り、僕はカレー屋に行ってエクトプラズムを出す機会がないのです。。#ectoplasm #恐怖新聞 #うしろの百太郎 #ナン #Covid_19 pic.twitter.com/bJMbGn7aa1
— 都築宏明の映画人生武道生活 (@hiro_tsuzuki) April 8, 2020
スピリチュアルでも、パラノーマルでも、見えない世界のことは何でもそうですけど、巷で言われているより圧倒的に微かですし、そうでなければ、まったく予期しない時に限って起きるものかも知れません。でも、向こう側とこちら側を隔てるヴェールが希薄化して、よりダイレクトなコミュニケ―ショが盛んになったらいいですね。