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ペルーのシャーマン休暇村に行った話 その1.セレモニーの夜

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ペルーアマゾンに行くには、多くの場合、イキトスという町から入る。アマゾン川流域にある、かつてゴムのプランテーションで栄えた町だ。空港に降り立つと、青い空の下、ヤシの木が立ち並び、南国独特の熱く湿った風が吹いた。宿の人が、オープンカーのジープで迎えに来てくれた。

シャーマン休暇村は、主に欧米の人たちを対象とした保養施設で、ペルーにはいくつもある。私が行ったのは、当時新しく出来たばかりで、住み込みで働くボランティアによって運営されていた。ボランティアは食事と宿が無料で提供されるかわりに、給料はお小遣い程度だったが、そのように自由な生き方ができるのはうらやましかった。敷地には、地元の大工さんと共同で作ったというログキャビンがあり、ガスも水道も来ていなかった。かろうじてメインキャビンにだけは電気が通じていたけど、リビングにある共用冷蔵庫と事務所のパソコンに配線されているのみで、各部屋の明かりはオイルランプだった。トイレは、おがくずとまぜて堆肥にする仕組みで、洗濯はたらいで手洗い、風呂は桶に水をくむか、もしくは池だった。セレモニーに際して体を浄化しておく必要があるとかで、塩・油・砂糖・肉魚類・アルコールの摂取は控えるよう言われた。食事は、味付けなしで煮込んだ白インゲン豆をかけたごはんに、ゆで卵とブラックオリーブを載せたものがよく出た。

シャーマンのセレモニーは、夜9時から始まる。早めの夕食を終えると、宿の人たちとリビングに集まり、地元のシャーマンがやって来るのを待つ。ジャングルの夜は窓の外で漆黒に深まり、ログキャビンの中はオイルランプの暖かな光に包まれていた。 私たちは、それまでのライフストーリーや、神秘的な体験、夢と神話など、あらゆるスピリチュアルな話をした。 時折、話が尽きると、みんなが知っている歌を歌った。森の中では、動物たちの鳴き声が聞こえた。それはまるで世界の鼓動を聴くように、あたたかく血が通っていて、ひそやかで、神聖な時間だった。

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セレモニーは、特別なキャビンで行われる。奥に祭壇があり、床には各々が寝転がれるようマットが敷いてある。最初に、神聖な知恵を授けるティーチャープラントとされるタバコを、一口ずつ回し呑む。それからシャーマンがイカロと呼ばれる不思議な歌を歌い始め、魂の蔦、ヴァイン・オブ・ソウルが私たちの手元に回って来る。幻覚作用があると言われる樹木を煎じた汁は、どう見ても泥水のような色で、一気に飲むと、あまりのまずさに、涙がにじんだ。わざわざ24時間もかけて飛行機を乗り継ぎ、ペルーまでやってきて、世にも奇妙なまずい汁にむせているという自分の状況が面白かった。セレモニーでは、”浄化”の症状として、ひどい吐き気や下痢に襲われることがよくあると言う。 話には聞いていたけど、実際、キャビンの至る所には洗面器が備えてあった。 まじか。

ほどなくして、私も気持ち悪くなり、トイレに駆け込んだものの、まったく出てこれなくなってしまった。なにしろ上から下から、止まらないのだ。なんだこりゃ、っていうか、話に聞いた通りか。一体、なんで私がこんな目に…。お決まりのセリフが頭に浮かんだ。どれくらい長い間、そこにいたのか分からない。やがて落ち着くと、イメージの世界が私をやわらかく包んでいった。

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私は、子どもの頃よく過ごした部屋にいた。両親が共働きで一人っ子だった私は、小学校が終わってから母が帰ってくる時間まで、祖父母の家で過ごしていた。私は、その頃よくしていたように、こたつにもぐって、テレビをぼんやりと眺めていた。そこから部屋の隅々に至るまで、あらゆる細部がよく見えた。祖母が天井から下がる蛍光灯のスイッチに結んでいたリボン。近所のケーキ屋さんが包装に使っていたものだ。すべすべしたピンク色の先端には、重りとして花のブローチが取り付けてある。手を伸ばすと、蛍光灯の傘もよく見えた。私の足元には、ごわごわした手触りのオレンジ色の電機絨毯があり、スイッチを入れる時のカチリという手ごたえも感じた。隣の電機屋さんで買ったやつだ。目線を先に向ければ古いタンスがあって、引き出しの中には、おばあちゃんが若かった頃のモノクロの写真が沢山入っていた。

こうした光景の数々は、それまで一度も思い出すことがなかったものなに、こんなに詳細なヴィジュアルが意識の中に残っていることに、自分でも驚いた。

イメージの中の小さな私は立ち上がると、こたつの天板をずらし、自作の滑り台で遊び始めた。 楽しんでいるように見えて、それは時間をつぶすためだけのものだった。 いつの間にか隣で眺めていた私は、 近づいて、小さく頼りない”彼女”を抱きしめた。

『いつも誰かが来てくれるのを、こうして待ってたんだよね』話しかけると、”彼女”の目はみるみる涙でふくらみ、鼻水を垂らした。 『寂しい思いをさせて、ごめん。大丈夫。私たちは一緒だよ。そうだ、どうせなら、みんな呼ぼう。0歳から35歳になるまで、これまでの私を全員呼んで、誕生パーティーをしよう』

髪の短い私、眼鏡をかけた私、 三つ編みを結った私。一人一人呼び出してみると、狭い部屋は、すぐに私でいっぱいになった。35人揃うと、すっかり楽しい気分になったので、みんなでパレードをすることにした。私たちは外に出て、思い思いに太鼓やラッパを鳴らしながら、近所の商店街を練り歩いた。

『誕生日おめでとう!ようこそ、この町へ!』

次のシーンで、私は母の胎内にいた。そこは、あたたかく安全な壁に守られて、静かな場所だった。いよいよ外の世界に出ていくのだと、私は思った。新しい始まりにつきものの胸騒ぎはあったけれども、とても自然に、何かに導かれるように、ほの暗い産道を進んでいった。すべてはなるべきようになり、結果は必ず好ましいものであるという確信しか、私の中にはなかった。やがて小さな光が見え、徐々に大きくなり、突然、私は真っ白な光に包まれた。産室の窓から朝の日差しが輝くばかりに降り注ぎ、私はこの世に生まれたのだった。母がいて、父がいて、見えない天使たちもいた。

『誕生日おめでとう!ようこそ、この世界へ!生まれてくるのを待ってたよ!大いなる祝福を!』

そうか、やっぱり生まれて来てよかったんだ。私はなんだか分からない感動と喜びでいっぱいになり、まるで産声のように、大声を上げて泣き出した。

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一体、これらの風景が幻覚だったかと言うと、決してそうではない。私が記憶の中の子どもの自分に入って、思いつくままに眺めたイメージに過ぎない。目を閉じていたほんのわずかな間に、短いシーンがフラッシュバックするような、ごく内面的な経験だった。

しかしこの時、実際の私はと言えば、目を開けて確認するまでもなく、真夜中のペルージャングルで、おがくずトイレにこもり、ゲ〇まみれになっていた。

いつまでも出てこない私を心配した誰かが、ドアをノックした。
「アーユーオーライ?」
彼女の肩を借りて、私は部屋に戻った。

翌日、目が覚めて見たのは、まるで洗い立てのように、鮮やかな色と光で輝く世界だった。リビングにいた他の宿泊客たちにそう話すと、「それは大きな浄化だったのね」と、誰かが言った。

・・・・・・・・・

日本に帰ってしばらくして、以前の同僚に会う機会があり、その紹介で新しい仕事に就いた。 毎日は再び忙しく過ぎ、人生が劇的に変わるようなことはなかった。

けれども、収穫はあった。一番大きかったのは、自分の中に深く入ることで、自分を癒す方法を学んだことだ。結局のところ、そのために、特別なツールを使う必要はない。意図と感覚とイメージがあれば十分だ。シャーマンたちは、それをジャーニー(内面世界への旅路)と呼ぶ。私たちの身体は、自分という小宇宙だけでまかなえるように出来ている。スピリチュアルの旅路は、自分を癒していく道のりだ。その気付きは、先々至る所で私を助け、導いた。

それから振り返ってみると、ペルーでの経験が、その後のターニングポイントとなったのも確実だ。どこでどっち向きにターンしているのかすら、分からない人生だけれども。

ランプの明かりの下でシャーマンを待ちながら語り合った経験は、私の印象に強烈に残り、いつかスピリチュアルコミュニティで暮らしたいと考えるようになった。
ボランティアとして住み込みで働きながら、世界を渡り歩くというライフスタイルがあることを知った。
そのボランティアの一人から、カリフォルニアにあるチベット仏教コミュニティの話を聞いた。
数年後、私も実際にそのコミュニティに暮らすようになった。
そして、そこで働いていた人と知り合い、結婚して、今に至るという訳だ。

こうして列挙すれば、すべてが一続きのストーリーのように思えるけれど、実際、点と点の間は、何年も離れている。10年前の私が今の自分を想像できかなかったように、ここからどのような道を歩むか、今の私にはまったく予測もつかない。でも、それを不安に思うこともない。後になって振り返れば、何の矛盾もないストーリーが出来上がると知っているからだ。

ばらばらの点と線を結ぶと、時空を超えて、まっすぐな道が現われる。
その道の上では、見えない天使たちが空を埋め尽くし、限りない祝福をシャワーのように降り注いでいる。

スピリチュアルの旅路とは、つくづくそういうものなのだ。


ちなみに、この時、もちろんマチュピチュとナスカにも行きました。ペルーは大好きな国の一つになりましたが、日本からは遠過ぎるし航空券も高いので、帰国の際には、もう二度と来ることはないだろうと残念に思いました。

しかし、人生に「絶対」「二度とない」なんてものはないと、後で知ることになります。アメリカ西海岸からペルーヘのフライトは、日本から飛ぶよりも、ずっと手ごろなのでした。

いつだって道は開けるし、まだまだ旅路は続きます。

「ペルーのシャーマン休暇村に行った話 その1.セレモニーの夜」への28件のフィードバック

  1. いくつもの心の風景が文章化されていて
    子供の頃の風景は重なりました。
    あの重い空気
    つい最近も改めて出会った空気

    ゆっくりと変容が起きて
    まだそこにあるけど
    大丈夫だって思えるようになりました。
    大丈夫だなんて
    ワンダホーですよね。

  2. ステキなお話、ありがとう^_^こちらまで浄化された気がします。
    私も今までの私全てに感謝の気持ちが湧きました。本当にありがとうございました。

  3. ついつい自分は、人の年齢と比べてしまうんですけど。ブッダが家出したのは29歳だからそれよりもオレは早かったなーとか、でも35歳で悟ることはできないかなーとか、キリストも確か若かったよなー、ムハンマドも若かったよなーでも啓示を受けたのは40歳だからまだイケるかなーとか、そうやって毎年毎年、自分の成長と偉人たちを比較しながらやってきて、この人生で最後にしたいけど、なかなか進まないなーとか思い始めて数年、2012年を超えて2020年を迎えるこの時、メタさんの記事に勇気づけられました!波動上昇も現実創造も気分改善も全部、内面感情が癒されることが大切な要素なんだなってことを実感した気がします。怖い怖い怖い、淋しい淋しい淋しい、悪くないもん悪くないもん悪くないもん。

  4. 「私には私がついてる」って、いつも思います。
    めたさん、生まれてくれてありがとうございます(*´∀`*)

  5. ムッチと仙人

    心の中で深い涙と頷きが繰り返され清らかに響く

    だからなんですね
    だからなんですね と

  6. メタさん、すごいです!文章力がヤバいです!!
    私はスピリチュアルや自己啓発系の本しか読まないのですが、メタさんのこの語り口で紡がれる物語なら、ぜひ読んでみたいと思いました。

    ちょうど今日、自分のブログの中で「リアル」と「ストーリー」のある話に興味が惹かれる、ということを書いたのですが、まさにメタさんのアウェイクニングストーリーがドンピシャで心に響きました。自分もこんな文章を書いてみたいです。

  7. 私もメタさんの表現力文章力に引き込まれました。シェア有難うございます。
    35年分のメタさんの集結を想像して温かい気持ちになれました。自分もやりたい(笑)

    メタさん♡いつもありがとうございます!

  8. 35人のわたしという絵本を一瞬想像しました。
    面白そうで読んでみたいと思いました

    過去の自分を慰めて抱きしめるというのはやった事ありますが
    わたしみんな出て来いパーティーだ!(私にはこのように感じました)
    実際にはどうせならみんな呼ぼうでしたが
    メタさんらしい豪快!と笑ってしまいました。

    私は生まれてくるときに引っ張り出されたので
    その時の影響で片目の視力が伸びません。視力も悪いです
    加えて両方違う感じの乱視であります。
    悪いほうの目で夕方見たものが線香花火のようでとても綺麗でした。

  9. 私も一人っ子で、コタツの天板を斜めにずらして滑り台はよくやりましたよ、ひとりで黙々と。あと蛍光灯のスイッチ、紐を長くして下に重りをつけて、というやつ、当たり前のように記憶にたくさんあります。
    私は5歳から8歳まで南米チリで暮らした経験があり、最後日本に戻る際、ペルーで半月ぐらい過ごしました。寒かった〜。もちろんマチュピチュも行きました、崖から落っこちそうな心もとない列車に乗って。で、遺跡で先に到着してた尼さんたちがどこからか人骨を拾い上げてヤッホーイって写真を撮っていたのを覚えています。
    その頃のペルーの記憶に実はあまり良い印象はないのですが、あれから何十年も経ってごく最近、「聖なる予言」という本を読んで再びペルーに親近感を持ち始めています。
    スピの道って、やっぱり途切れ途切れながらも必ずどこかでちゃんと繋がってますね。今になって何十年も遡った記憶がふと蘇り、「あぁ、そうか、そうだったんだ!」という気付きがいろいろ増えています。人生ってほんとうまくできているなぁ〜と感心してます。
    スピさんいつもありがとう。毎回毎回、更新楽しみにしてます!

  10. 22階の一番奥

    メタさん、素晴らしいです。
    今日、このタイミングで読めた事に心から感謝します。
    素敵な世界を有難う。

  11. いい読み物だったわあ♡
    「世にも奇妙なまずい汁」っていうフレーズが好き。くふふ。

    ゲ○まみれ、ってあるけど、
    そういう、汚かったり倒れそうなときに、大事なモノを垣間見ることありますよね。
    なんかすごいもの見えたー! でもわたしの状態ヤバいーって分かってるので
    口の端で「ふへっ」って笑う感じ。

    浄化パワー受け取りました。
    自己価値観の低さを、ひとつ捨てることができたの。

  12. メタさん、いつもありがとうございます。
    なんか上手く言葉がみつかりませんが、出会えて本当によかったです。

  13. 素晴らしい経験を書いてくださり深く感謝しています。私はこのところ大学の卒論や今度入社する会社の勉強などが忙しく瞑想はしているものの、スピリチュアル的な内容からは離れている生活を送ってました。今日は寝る前にこの記事を読ませて頂いて心がとても温まりました。最近はストレスのせいか何も感じずただ日々が過ぎていくのをぼっーと眺めている感覚でした。夕食の食材を買ったスーパーの帰り道に寒い車の中で昔起きた出来事を思い出して寂しい気持ちに浸りつつ、愛で包んであげてタバコを吸いながら浄化しているような毎日です笑
    メタフィジック通信に出会い私のアウェイクニングは進みより拡大していくことを日々実感できるようになりました。いつかメタさんとお茶でも飲みながらお話を聞く機会があったらいいなーと思いました笑 ほんとにいつもありがとうございます!

  14. メタさんアワヤスカ体験してたんですね!(興味ある方は書籍があります)
    インナーチャイルドの統合…最近私も同じ経験をしました(ブログ参照)

    薬を使ったとはいえ、はるばるペルーに行き下手したら危ない薬を飲んで参加するって、普通の覚悟じゃ出来ない。
    本気で自分を変えたいと覚悟した者にしか訪れない境地ですよね。

    ツールは関係ない。
    この本気度がアウェイクニングだと思うんです。
    今の自分じゃない、変わりたい!と強烈に願う。

    プライドもエゴもかなぐり捨てて、自分をとことん壊し、真の自己を救出する。
    かなり辛い作業で何年もかかるのが普通で、巷のスピリチュアルのように、生易しい甘くふわふわしたものではないです。

    したくない人はしなくていいと思う。
    したからと言って偉いモンでもなく、また次の難関が待ち受ける。

    メタさんのおっしゃる道は、武闘とか華道のような鍛錬の道のように感じました。果てしなく続く。
    貴重な体験談ありがとうございました。

  15. 欲しい道を手繰る。
    手繰って行くといつか欲していたものがひょっこり出てくる。
    欲しくない道を歩く必要はなく、欲しい道を取る。
    自分の前に置かれたたくさんの選べる道は、早い者勝ちで取り合うような道は一本も無いことを知って、安心して取り手繰れば良いのですよね。

    メタさん、素敵なお話ありがとうございます。

  16. 青花さんのコメントを読んで誤解が生じていたら嫌だなと思いました。
    自分は薬はやりたいとは思いません(^_^;)

    イメージの中、ハートを拡大していったら…
    キラキラした温かい想いや反対にズドーンと重たい想いも感じられると思いますし…
    イメージの中で過去の自分たちとお茶会したいという意味です。
    加えて幻覚は死にそうな極限状態だと誰でも見るのではないかしら。。

    戦後は覚醒剤が薬局で売られていたと聞いたような気がします…ヒロポンだったか。
    とりあえず案外身近にあるんだろうな、と思うわけで心の片隅に危機感は置いています。
    ニュースやらで一部の子供たちも手にしていたりするので。

  17. メタさんの最新の記事がアップされ、コメント数がどんどんカウントされていき、素敵な記事なんだろうなと思って、記事を開こうとすると体がガチンガチンに強張り、今の今まで開くことが出来ませんでした。

    私事ですが、ここ数日、次から次へと目まぐるしく色んなことが起こり続けていました。

    自分に必要な情報は、必要なタイミングで、目に、耳にすることが出来ると言いますが、メタさんのこの記事は、私にとって今、この時がベストタイミングだったようです。

    メタさん。
    メタさんの貴重な体験談をお聞かせくださり、ありがとうございました。

    メタさんの体験を、私の魂にインストールさせてもらって、自身がこれからどのように変化していくのかが楽しみです。

  18. クリームソーダ

    何だか分からないけれど、嗚咽が止まらなくて困りました。
    とても良いものを読ませて頂きました。ありがとうございました。

  19. 昔、安部譲二さんにハマった時期がありまして、もう昔のことで、うろ覚えなんですけど、彼が少年院だったか、刑務所の便器を素手で洗っている時に悟りの瞬間が訪れた。。。と、いうような内容の文章を読んだことがあります。

    私は、まだ、その時、十代だったか、二十代前半だったと思うんですけど、結構、早熟で大人びた考えをしていまして、人間って、どんな環境で、どんな設定で、生まれてきた意味を知ることが出来るのかは分からないんだな。。。と感じました。

    幼い頃から、親に、安定、安定とお題目のように言われ続けていましたので、何故だか、その時、とても安心の心持ちになったと記憶しています。

  20. とても貴重なお話をありがとうございました。
    この地球という、ひとつの惑星の中で今このページを開いた
    その瞬間、覚醒された方がいらっしゃる事でしょう。
    万人が等しくその恩恵にあずからん事を、、、
     そして「百匹目の猿」に私はなりたい☆そして信じます☆
    メタさんに感謝の気持ちを伝えたくて
    コメントさせて頂きました。
    重ね重ねありがとうございました。

  21. 一週間ほど前から、骨が本来の場所に戻りたがっているようにモゾモゾと勝手に動き始め、下痢をしたり大量の尿が出ることが続いていて、何か体がドンドン軽くなっていくので浄化が起きているのかな? って思っていたら、急にメタさんのこの記事を思い出して読み返しています。

    この記事を読みながら、メタさんの最近の記事のラムダスさんのように、ドラックで『神』を経験してスピリチュアルを開眼するってどんなだろう?

    メタさんがペルーで経験されたことってどんなだろう? って思っていましたら、『そっか。私にもある。。』と思い出しました。

    私は37歳の時に難病が酷くなり、脳に作用を及ぼす副作用のある薬を大量に3日間点滴で体内に入れた経験があります。

    その薬は依存性が高くて急にやめると心臓が止まってしまうので、医師の管理の下、10年間少しずつ量を減らしながら同じ薬の服用を続けました。

    その間、私にも普段とは違う鋭敏な感覚があったことを思い出しました。
    夜、眠りしなには、岡本太郎さんが描くような強烈で鮮やかな原色の色たちが頭の中に舞っていたりしました。

  22. 今にして思えば、私もその鋭敏な感覚のお陰で、自分自身の内面に深く入ることが出来るようになり、自分で自分を癒すことが少しずつ出来るようになっていったように思います。

    あの時期、私の病気が急速に悪くなり入院してパレス療法を受けることも、私の人生に必要なことだったんですね。

    私も点と点が結びついて、新しいストーリーが出来上がってきました。

    目に見えずとも、私たちは日々、限りない祝福の花吹雪が舞っている中にいるのですね。

    嬉しくて、幸せで、ウキウキしてきます。

    メタさん。

    いつも、ありがとうございます。

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