子どもの頃に感じていたミッション
私たちは、それぞれミッションや目的を持って、地球に転生してくると言われます。
中でもスターシードやインディゴ、ライトワーカーなどと呼ばれる人たちは、地球の進化を助けるボランティアであるという意識を、早いうちから、何らかの形で持つと言われます。
当時は自覚がなかったとしても、大人になって振り返ると、そういえば、何となくそんな感覚があったと言う人もいるでしょう。
特に大げさな話じゃなくても、自分は何のために生まれてきたのかという問いを、子供の頃から持っていた人は、決して少なくないと思います。将来の夢という形で、ミッションが現れる場合もあります。
大人になってミッションや人生の目的を考える時、それは不思議と、子ども時代の記憶にたどり着くのではないかと思います。ばらばらに見えてつながっている筋道こそが、魂の道のりでもあると思います。
ということで、今回のアンケートは、みなさんが子どもの頃に感じていたミッションについてです。明確なものでなくても、「なんとなくそんな感覚があったかも…」みたいな感じでいいと思います。
・・・・・・・・・
アンケート
1.あなたは子どもの頃に、どんなミッションを感じていましたか?そう思うきっかけや、理由はありましたか?
2.それはあなたの子ども時代、またはそれ以降の経験に、どんな影響を与えましたか?
2.それは大人になった今、どのように実現されていると思いますか?
・・・・・・
私の例
1.愛で世界を救うためにやって来たと思っていました。なぜそう思ったかは、分かるようで分かりません笑。プリインストールされていた気がします。
2.何かにつけ、愛とは何かを考えるのが好きでした。大人になってから、ブランキーの赤いタンバリンを聞いたときは、自分の歌かと思いました。
3.ミッションの輪郭がぼやけたというか、範囲が広がったというか、要は何でもミッションだなと思うようになりました。愛とはすべてですからな。
・・・・・
アンケートの趣旨としては、単にミッションの話というより、子どもの頃のおぼろげな感覚が、いかに今の私たちを作っているかをシェアして、みんなで楽しめればいいなと思っています。
また、現在進行形でミッションや目的を探している人にとっても、何らかのヒントやインスピレーションになればいいなと思います。
人前でシェアするなんて恥しいと思う人は、子どもに戻って、ニューアース子ども会議に出席していると考えましょう。
ぜひあなたのミッションを聞かせてください。
回答は、コメント欄からお願いします。
1 美しくない物の中で生きてることにすごく苦しみを感じてました。だから何とかしたいと思ってました。でも、どうしたら良いかなんてさっぱりわかりませんでしたけど。
2 ほんの少しだけ見える美しさ、光にものすごく惹かれました。同時に同じくらい暗さに引きづられているのも知ってました。だから自分だけでできる世界を作り出す事に気付きましたね。
3 小さい頃からずっと絵を描いてます。テーマは光と美です。
1、そういえば、小さい頃から転校生の担当任されてました。
不安な人とか、みんなとの橋渡し役です。
転勤族の人たちだったから、仲良くなってはみんなまた転校していっていつも一番寂しくなるのは一番最初に仲良くなった私でしたね。
理由はわからないけど、何故か頼まれたし、自分でもそういう役目なんだろうなってざっくり感じていました。
2,人がほっとしたりとか、笑顔みれると自分のことみたいに嬉しかったです。
それは今もですね。
周りからも、なんであんな人助けるの?なめられてんだよと言われますが、損得なしに助けるって言うか、てを貸しちゃいますね。
ほんっとにアホだと思います。
でもそれが私の魂の喜びにつながってるのは最近気づきました。
3,自分自身も表現のしようのないほどの愛の中で生きてるってことがわかりました。
巡ってるんだなと思います。
1、ミッションと言うか、「誰かを一人にしてはいけない」って思っていました。だから沢山で遊ぶようにしていました。一人ぼっちの人を見ているのが淋しかったのかな?自分は平気なのに。
2、つるまない事を覚えた(笑) 自分の居場所が分からなくなって来た時かも。自分がどういう人間か調べ始めた頃ですね♪
3、19歳の時母親に「みんなが幸せであればいいんだよ」って言った覚えがあって、あまりに無意識過ぎててすごいなって思いました(笑)
外出する時は、いつでも人を助けられるように、運動靴です(マジ)
今は、全ての人・事・物が中庸である事を祈っています!
ミッションかどうか(悩)
※メーさんは「愛」ですね。昨日外出した時、愛について一人問答してました。しかも声に出して(笑)結構大きかったな声。
1.子どもの頃から、他人に親切にするのが、私にとってすごく自然
なことでした。あと、変な正義感に燃えていましたね.。
(鉄腕アトムの影響かも)
2.社会人になって、同僚から「どらえもんのポケット」と言われて
いました。よく相談に乗って、逆に板挟みになってしまったり。
むむ、これは利用されている?とお人よしの私が遅まきながら気づ
いたのもこの頃です。
3.今はフリーで仕事していますが、会社員時代、いい発注元だった
らしく、いまだに感謝されており、おかげ様で仕事仲間と飲み仲間
には恵まれています。
たまたま2,3日前、「私っておせっかいなくらい、周囲のことに
気を遣う、愛いっぱいの子どもだったよなぁ」と思いだしていたので、恥ずかしながら投稿させていただきました。
1. 幼少期、山間部の過疎集落の、閉鎖されたような環境で育ったせいか、そこに対応するのに精一杯で、すごく自己評価が低くて、ミッションのようなものを感じることってなかったです。
今にして思えば、都市部から嫁いできた母親のエネルギーを、モロにくらってたんじゃないかと思いますf^_^;。
ただおかげでその頃から、『自分を知る』とか『自分をどうやって活かすか』みたいなことは、やってたような気がします。
2. 中学に入って、勉強はできたクチだったので、別の学校からの友達ができたり、少し世界が開けてきたら、自分の能力を役立てたい、そうすることができるかもしれないと思えるようになってきて、『自分を知る』が『世界を知る』になっていって、いろいろ興味の赴くことは学んだりやってみたりに対しては、さほど抵抗感なくやれているような気がします。
3.『知る』とか『活かす』に関して、自他の区別があまりないというか、自分自身に向ける視線と同様に、他者や世界に対しても向けられるようになってきているような気がします。
それは他者が自分を映す鏡という点において言えることでもあるし、必要に応じて、そういった面とは全く切り離した、客観的な視点もだいぶ使えるようになってきてる気がします。
うーん、この話も、ミッションにあたるんかなあ?
ちなみに私は、高校のころに、エレカシの『悲しみの果て』聴いて、自分の歌やと思いました。
てことは、悲しみの果てのすばらしい日々を送るのが、私のミッションかもしれないです(笑)。
私の場合、ミッションや夢というのはこれとってありませんでした。
むしろ、「どうせ自分なんていなくていいんだ」と感じるような子供でした。
「自分はいなくてもいい」は今でも感じることがありますし、ある種それは真実でもあると思います。
いなくても世界は何も問題ないけれど、あえてここに存在して、何かしら人と関わり社会と関わっている。
その全てが結局ミッションなのかなと。
「私のミッションは〇〇です」みたいなのって、”周囲が自分に期待している”ミッションを言わされているんじゃないかなと。
回答になってるかなぁ笑
1.
体は神さまからの借り物で、別に善行を積んだわけでもないのに五体満足で親に養ってもらえているのだから、これまた別に落ち度があったわけでもなく困難の多い人には、手を差し伸べ「ねばならない」くらいに思っていました。ミッションていうか…罪悪感が強かったです。
その後、母がやっていた宗教で、「体は神さまからの借り物。死んだら返さなければならない。物が古くなるのは仕方ないが、借りたときと同じ状態で返すのが礼儀」と聞いたときは、コレだと思いました。
2.
なんだか知りませんが、学年に一人は障害のある子がいて、担当みたいになってました。あと、教室でゲロ吐いた子の後片付けも(笑。そういうの、「できない人」がいてもいい、でも私はできるからやる、て感じでした。
おかげさまで大病も骨折もなく40数年。死んだら献体して、解剖の先生に「この肺は綺麗だ、標本にしたいようだ」と言ってもらうのが夢です。
3.
販売→事務→介護と転職し、一応福祉関係の仕事をしています。いつかのコメントにも書かせていただきましたが、「この手を使ってください」というのは、ミッションであり望みですね。
将来は午前中だけ営業するおにぎり屋さんを開き、夜はこども食堂、たまに占い師、孤独死した人のペットの里親探しのNPOを同時にやるのはどうかしら? …な〜んて考えて、ワクワクしています。いまの仕事でこれくらいワクワクできたらいいんですけどね(笑。
ミッションとちょっと違いますが、小学生の頃、「絵と字がかける仕事につきたい」と思っていました。絵描きになる夢はとっくに諦めましたが、いま、仕事で絵やら字やら、かいています。魂の呼び声に従うと、面白いですよねメタさん!
失礼します♪
>「私のミッションはOOです」~言わされているんじゃないかなと。
超的確だと思います!
ありがとうございます^^
1 人間よりも植物の方が分かり合えると感じていた。悩み事は頭の中に住む妖精か、身近な植物に相談していた。人間に話しても無駄だと知っていた。幼少期の友人を思い出すと、みんな植物に当たる。
2 学生の時、ある事をきっかけにガーデニングに目覚め、あっという間に部屋も庭も植物で埋め尽くされた。大人になっても相変わらず深刻な悩みは植物にしていた。その後右往左往した挙句、植物関係の仕事に就く。
3 2012年にアウェイクニングした際、ミディアムの先生に私の意識は人間というよりも植物に近いと言われました。なるほど、私はそう生まれついたんだと安心しました。残りの人生もやっぱり植物に囲まれて暮らしたいと思います。
1.見える以外の世界があることは信じて疑わなかった空想の多い子どもでした。「今この石ころを蹴らなかったら、これからの道が違っていたかも」「この世界は誰かの細胞のようなものの中の小さな一部で、私は大きな何かを形成しているもの中のわずかな一部分ではないか」というようなことを小さい頃からよく考えていました。そして「自分の周りの人間と思う人は実は生きていなくて、自分の成長のためにいる作られている存在だ、思考も読み取られているから、良い事ばかりを考えないと・・・」と思っていました。強迫観念??
また、「何か想像もできないようなワクワクすることが起こる、起こる!周囲の人は来るべきときのために私にだまっている、うまくだまされたふりをしていないといけない、上手く驚けるかなあ」と楽しみにしていました
2.小学生後半?くらいから「あれ?他の人も生きてる・・・」と思い、「ワクワクするようなことが起きてこない・・・」とがっかりしました
3.今自分の身に時折起こる不思議なことにとてもワクワクしています。
質問の的を得ないコメントになってしまいました(;´Д`)
私は産まれた家庭がちょっと特殊な家で産まれ、誰もが心が満たされない思いを抱いている環境でした。
子供の頃は1人になったとき『帰りたい』と泣いてる事はよくありました。でもどこに?と自分に突っ込みを入れながら(笑)
1、そんな自分にも常に焦る気持ち、何かをしなくてはいけないと言う漠然とした気持ちだけはありました。
特に地球の汚染や、戦争シーンでは、人間ではなく、地球が可哀想だと思っている子供でした。
2、自分への自己評価が低くく、人に対して恐れもあるので、漠然と心の奥底で抱きつつも、日常生活を送るだけで精一杯の子供時代でした。
私も歌で言うと合唱祭の時に『空駆ける天馬』と言う曲を聞いた時に頭に雷が落ちたかくらい衝撃がありました。(アンドロメダを西南にと言うフレーズに)
3、子供の頃の自分を振り返る事で、自分について考え、様々なブロックを手放す事が出来ました。陰がわかるから陽がわかる。と言う感じです。まだ何も為しえていませんが、子供の頃に思った事は現実になっています。そして今は、『私沖縄に住む!』と声に出して宣言したことが、20年経ち現実になろうとしています。
1.悲しくて泣いている友だちやきょうだいを見るのがとても辛くて、悲しんでいる人のそばにいたい、力になりたいと思っていました。
2.なんだか、人の悲しみに引き寄せられてたかも?友だちの愚痴とかによくつきあってたような気がします。でも悲しみのなかで、純粋に笑い合う感じがすごく好きで。心がやさしくふれあう感じというのかな。
3.とってもまわり道をして、お話を聴くことを生業にしました。とはいえ、自分の悲しみを癒すのもたいへんで…仕事と自分のワークはリンクして進むことになってたのかな。
ミッションではありませんが、
私はお空から来て、いつか、お空のお父さんとお母さんのところに帰る…と思っていました。
小学校に入る頃までかなぁ…そんなことを思っていたのは。
って、そんなことを思い出したのは、ソウルメイトに出逢ってからです。(笑)
1. 世界はひとつ、人類皆兄弟だという
揺るぎない信念がありました。ニュースで戦争の映像を観て、えらいところに来てしまった、生まれて来なけりゃよかったと後悔しました。ミッションはよく分からず、地球に来て数年で逃げ腰に。
2. 色んな人と友達になりたい、異文化をよく知りたいと思い、観察するにはアメリカが一番だと思い、留学しました。ネイティブアメリカンが大好きに。
3.結婚して子供を育てて、普通の生活をしていますが、何かやらなくてはいけない気がして、ずっと悶々とした日々でした。メタさんのヒーリングジャーニーや寺暮らしに触発されて、最近重い腰を上げて、インナーワークに取り組んでおります。とりあえずは自分を救う、癒すことから始めようかと。 Coreyも言ってましたよね。メタさん、ほんとにありがとうございます。
1.自分はとてもインディゴらしく、大人の古いやり方や不公平、理不尽にものすごく怒りがありました。また子供だったので屈しなければいけないことが多く、弱いものいじめをする教師にもあたったりして、大人はほとんど全員クソだと思ってました(笑)。それは自分のミッション・特性を意識するためだったかもしれません。同じ土俵に立って、そういう大人の理不尽、弱いもの・純粋なものへのいじめをやめさせたいと強く思っていました。
あと 勉強や他の何かができない子とかにやり方を教えるとき、例えその子のことを嫌いでも自動的に公平になっていました。
その感覚は自分であって自分じゃないような、自動的に親切にというか親身になっているので「?」でした。
2.そういう子供だったので、とにかく屈させようとする大人が親含め常にまわりにいて、ずいぶんつらい思いをしました。強いつもりだったけれどとても傷ついていましたね。体にも影響がありました。他の子供たちとも合わないしいじめられていたので、ひとりで本を読みまくったり植物やカラスと交流してました。(カラスは家をのぞきに来ていました)
3.ある時からミッションも自分自身もまるで別人のように新しくなって、(特に何かしたわけでもスピリチュアルなことを続けてきたわけでもないです。その時が来たからそうなりました) だから子供時代に意識したミッションを今やるというよりは、今までの経験を生かして光を放つことだと思います。闇を知ったから人を深くパワフルに癒せる力が出るというか。それを今やっている最中だと思います。現実的な能力は本当にないですが。ハァε- (´ー`;)
1. 弱者に寄り添いたい気持ちが小学生の頃からありました。中学の時NEWSWEEKで読んだ虐待された子が親になって虐待を繰り返すという記事に「連鎖を止めなくては」と思ったのがその気持ちをよりはっきりさせた気がします。当時オノヨーコさんがまだ未知の病だったエイズの子どもを抱きしめキスするのを見て、どんな子どもにも愛が行き渡るといいのにという強い願いを持ちました。
2. 元々自分が毒親に虐待されていたのもありますが、愛情のない人の心無い言葉に「痛みは経験しない人間には分からないのだ」と思い、気が付いたらどん底人生に自らダイブしたりやたら痛い体験ばかりする道を選択してました。
3. 現在まさに痛みの最終形と言える病で闘病中ですが、この数年で何故自分が痛みを知りたかったのかを理解しました。周りを幸せにするためにはまず自分を幸せにすること、自分を幸せにすることは自分を大切に愛すること、愛とは導きでありすべてのもとであり世界であり己であると思い知るために、様々な痛みとつらさを体験させてもらったのだなと感謝しています。しつこい汚れみたいな怒りや悲しみがいまだに時々ふつふつと甦ってしまうこともありますが、それらが今病巣や痛みとして表現されてるものなのだなぁ、と体感してからはそれすら愛おしくなったりしています。大きなオペがひかえているのですが、変な言い方ですが生まれ直す機会として今から楽しみでなりません。
1.2 ミッションとは言えないかもしれませんが、
小学生の頃夢中になっていたのがおまじない。
妖精やUFO呼ぶための小道具を作ったり、お祈りしたり。笑
あともっと小さい頃好きだった色が緑。
女の子なのに変わった色を選ぶねと親は思っていたそう。森や雑木林をぼーっと見たり、おじいちゃんの盆栽見て空想するのが好きでした。
3.年齢とともにそんなことも忘れていったのですが、結局今やっているのはヒーリングなどのエネルギーワーク。疲れたら山に行く。
昔と同じじゃないか。笑
どんどん子供の頃に帰っていく感じです。
いつもはメタさんやコメントの方々の話を見ているだけですが、なんだか書きたくなったのでコメント失礼致します。
1.
子どもの頃、やらなきゃ!と思ってたことは二つ、
A「周りの人がしない事をする」
B「夢に出てきた人や景色を描く」
というのがありました。
A.例えば幼稚園のおゆうぎ会で皆が白雪姫をやりたがる中、緑色が好きだからとかそんな理由で率先して草むら役をやるような子でした。
多分生まれつきです(^_^;
B.確か小学二年生?の頃、背中に羽が生えたものすごくカッコ良い人の夢をみて、何とかその人を表現できないかと折り紙で鳥を折ったり、粘土で作ってみたり表現の事ばかり考えてました。
いま思えばあれは天使だったのかも?
2.
A.小中学校時代は、みんなと同じようにする事で頭がいっぱいでしたが、足が拒絶反応を起こして学校に行けなくなりました。
そのまま呆然と毎日20時間くらいを睡眠に充てるような堕落した生活を送った結果、「私はみんなの為をやめるぞぉー!」と通信制の高校ではじけました。
気になる物があれば道端でしゃがみこんで観察したり、飛行機の音がすれば(゜д゜)ポカーンと上を見たり、はたから見たら不審者としか思えない高校生活を送りました。
いま考えれば、心のままに生きる事を学んだんだな、と思います。
(成績はちょっと…笑)
B.ああでもないこうでもないと何年も表現方法を考えて、結局イラストに行き着きました。
しかし元々絵を描くのが大嫌いで、教科書の落書きくらいしかした事がないレベルでした。
でもある時「紙とペンがあれば出来るじゃん!安上がりだ!」と思い立ち、カッコ良い羽の人とか20時間睡眠で培った夢のアイデアなどをノートへ描けるだけ描きました。
相変わらず絵は嫌いで、だけど顔が見たくなったら描く、をずっと続けています。
誰もこんな絵の描き方はしないだろ!と思ってます 笑
3.
A.今は、お給料をもらう仕事の時だけ人に合わせて、家では一人で好き勝手してます。
やらなきゃいけない家事も、やりたい事をやってるうちにやる気になるので、何とか回ってます。 笑
B.実は昨日、仕事前に早起きをしたので絵を描いていて、それがまさにカッコ良い羽の人だったんです。
描きながら「あぁ、コイツとも15年近く(初めて夢に出てきてから)の付き合いか(´ー`)」と考えていた所にこのアンケートで、なんだか書かずにはいられなくなって回答しました。
かなり長々と失礼しましたm(_ _)m
1 自然災害をはじめとする災厄を見届ける。死なない。真実を目撃する。自分を使って周りの人々を守るとも薄っすら。それから、数種の特定の動物とコネクションを築く。そのように設計されたかのようにミッションとして思い込んでいたことで、きっかけや理由はわかりません。黒~赤へのグラデを災害の色と心の中で呼んでいて、それを殆ど毎晩夢に見ていました。
2 偶々地震のない場所で育ったこともあり、揺れる場所へ生活が移ってからはP派が到達する前の時点でいつも恐怖していました。色々と過敏が酷く、飛行機を見かけると隠れたりもしていましたが、やがて何が起きても生き延びられる人間になろうという方向に転換し、多方面で鍛えまくったらあだ名がバキになりました。(※似てないです)また、ペットとしてやってきた動物と一生の親友になりました。色々な意味で愛という感情を意識させてくれた存在だと思います。
3 段や資格を集め、災害などの対応にあたる職にもそれなりの期間就きましたので、もしも何かあれば一応誰かしらの役に立てそうな気はします。しかし今では幼少期に感じていた、ミッション的なものがあるというような感覚自体が幻想かもしれない気がしてもいます。幻想でなければ一旦終わったか、何かが変わったか。謎です。
今はもっと、身近な人間関係の中で調整役になるというか、橋渡しをするというか、物騒なイメージのかまない方向からの引力が強くて自分からも意欲的に寄っていっています。
幼少期に薄く感じていた「周囲の人を守る」というのはあくまでも「守るという行為だけ」であって相手に何らかの情を感じるかどうかは別問題と捉えていまして、実はスピリチュアルなことへ興味を持つに値するのかわからないほど即物的な人間だった時間が長いです。
執着こそあれど広義にも狭義にも愛なんて自分の畑ではないと思っていたのに、最近基本的に何でも愛おしいですし、人間関係も良好ですし、勘違いかもですがいわゆるツイン疑惑な人にも遭遇してしまいましたし、そもそもメタさんの作ってくださったこの場に出会ったことが大分大きいんだろうと思います。成長めざましい期間かもしれないですからがんばります。
長々と失礼致しました。ナイストーフキラー
メタさんいつもありがとうございます。
1.なんでこんな所に居るんだろう?いつか私は自分の相応しい場所に行くに違いない、と思っていました。
2.なんでこんな場所に居るんだろ?が、なぜ私は生きてるんだろう?に変わり生きるのが苦しくなりました。
3.それが結果的にスピリチュアルに繋がったんだと思います。まだ時々苦しいです。最近、存在するという喜びを感じに生まれて来たのではないかなと思います。
1. お友達の面倒みたり、リーダー的存在だったり、愛というか母性というものを自分のテリトリーを順々に拡大していくことが壁のような使命のような。アンネの日記を読んだり、神社で遊んでは、神様に相談したり、京都の修行寺におてつぎ奉仕行ってました。
2.小さなエリアを愛したり親しんだりするので、他人からは不思議に思われたり、無視などと誤解されたりもしました。ひとりでいることで気を休めることも多く、未だに貢献してる居場所では浮いてます。
3.東京のコンクリートジャングルに環境ホルモンやダークサイドなエネルギーを感じながらも10年以上住み、医療従事していました。現在はエネルギーシフトとともに鎌倉へ移住し、有名寺で座禅したり、僧侶にVegan体質や薬膳茶を教えた時はピッッカーン!!と光がカラダに走りました。
面白そうなので、思わず書き込みします。
1 昔現在過去未来が書かれた不思議な空間で、長い銀髪の人にいろんな形の愛を学んで、あなた自身を完成させなさいといわれました。
2めちゃくちゃ波乱万丈の猫生になりました。死に掛けたこと数度TT、でも、奇跡的な確立で助かること数度。そして猫生に迷うとなぜかありがたいことにその時々にアドバイスを下さる方が現れたり。現実は小説よりも奇なりです。
3まだま~だ学びの最中です。愛すること、許すこと、祈ること、浄化すること・・。今この時間軸のこの次元にいられることに感謝です。
1.拝む事と、面白い事を考えるのが自分の役目だと思っていました。 拝むのは東西南北の神様って決めて、なぜかお風呂に浸かりながら 四方に向けて「どうかよろしくお願いします」とやってました笑。
そうする事が自然という感じでした。
面白いと言えば、当時TVでやってた「ルーシーショウ」と「デン助劇場」がお気に入りでした。(昭和の匂いプンプン) 幼稚園生にしては
高尚な笑いを理解していたなと思います。
2.思春期以降は、チベットとバッハと空海が好きで、本と音楽に囲まれてお香を焚いたり、なんとなくストイックな感じが好きでした。
河口慧海のチベット旅行記を読んで、自分は河口慧海の生まれ変わりじゃないか?と空想を巡らしていましたね笑。
笑いに関しては、よりシュールな笑いを求めるようになって、自分の内側に何かを求めている感じでした。
3.多少の変化はあるものの、拝むことや面白いこと探しは今も進行中です。そして今、笑いのツボが同じ人が側にいてくれるのも悪くない感じです。
1.あなたは子どもの頃に、どんなミッションを感じていましたか?そう思うきっかけや、理由はありましたか?
A1.世の中を正しい方向に修正しなきゃならない、このままではだめだと、もっとまとまりない感じではありましたが、感じていました。
2.それはあなたの子ども時代、またはそれ以降の経験に、どんな影響を与えましたか?
A2. 空気が全く読めない子になりました(笑)
3.それは大人になった今、どのように実現されているとおもいますか?
A3.それを仕事にしたいと四苦八苦、七転八倒、崖っぷち、一寸先は闇の人生を送っています。
1.私はトランスジェンダーで、小さい頃から自分は周りと違うということを感覚的に感じていました。物心ついてその事実に確信が持てた時に最初はショックと世界に対しての悲しみや憤り、どうして私だけこうなのかという不公平さを感じました。でもスピリチュアルな環境で育ったので、私自身がこの人生を「学ぶ」ためにあえてこの人生を選んだんだと考えた時には、自分を許して、そして同じ状況の人たちの指針になろうと思いました。
2.トランスジェンダーとして生まれたからこそ、人を愛することの自由さ、誰かを堂々と愛せることの大切さと美しさに気づくことができたと思います。また肉体(外見)に捉われることなく、相手の内面を見ることの大切さもこの人生を通して深く体験できるのだと実感しています。
3.まだ大人になっていないのですが、これからの時代はもっともっと個性が尊重されて、多様性が認められるような愛の世界が実現される確信が持てて、ワクワクしています。笑笑
1.どんなミッションを感じていたか?
A.〝ミッション〟という感じ方はしたことないです。
最近思い出したことがあったんですけど、
①コールタール状の渦に巻き込まれる夢をよく見た。
②軽く夢遊病的な気があった。夜中、母親の枕元にたって、「こんなむずかしいことできない」って泣いてたそうですw
2.子ども時代、それ以降の経験にどんな影響を与えたか?
A.1でいえば、そもそもミッション感がないので、ないです。
ただ、スターシード云々を知ったとき、「これ、オレやんけ」って解りやすかったのと、これまでの生きづらさみたいなものの理由として腑に落ちやすかったです。ストンって音がしましたもん。
3.大人になった今、どのように実現されていると思うか?
A.2年ほど前から絵を描き始めて、最近は漫画なんですけど、実は子どもの頃から絵を描くのが好きだったんですよ。漫画家になりたかった。
〝自称〟漫画家として実現しました^_^
1 型にはめられる集団教育にずっと居心地の悪さを感じていました。
周囲の信仰する(親など)特定の宗教の縛りや義務や条件付きのご利益も、嘘だと思っていました。
恐れが原動力になっている人や、恐れを植え付けようとする大人や集団からは逃げたいのだけど、子どもでは抵抗するのはなかなか難しい世の中だと感じていました。
2 窓際のトットちゃんやモモの本を読んで、私たちの世代がしていくのはこういう変革の作業なんだろうと思い、自由教育の学校に携わってみたり、時間泥棒にやられないような、今を楽しむってことを気の合う人達とやったり、大人になって自由に生き方を選べるようになってからは、喜びや楽しさを原動力にしています。
3 自分のなかでは実現できてる気がしますが、社会全体が実現できてるかと言えば、まだ恐れはあちこち転がってるように見えます。でも、とりあえず自分はそういう生き方貫くのがミッションなんだろうな、と思います。
1. ただ漠然と、人は皆何かしら世の中の役に立つために生まれてきたと思ってました。友人たちに「当然だよね」と同意を求めると、「なに理想論を振りかざしているの」と言われ愕然としたものでした。
2. 結局、まるで何かに導かれるように医療従事者になっていました。
3. 仕事は辞めましたが、友人、知人から色々な相談を持ち込まれ、話を聞いています。オラクルカードを引くと「あなたはヒーラーです」ばっかり出ます。真に受けてはいませんが、これからも地味にお役に立てればと思ってます。
1.ミッションというより、人がこうすべきと決めつけている事に対してものすごく疑問や抵抗がありました。自分らしくいようとすると指摘され、怒られ、誰からも理解されず。周りからいろいろ学びました。
2.人をジャッジし、競争することを学び、賢く社会的にハマる方法を学びました。しかし、社会人になると疑問だらけになり、苦しみました。何かが違う、私が生まれきた理由は社会に適合し、賢く生きるためではないと。私は周りに反発をうけながら自分らしく生きることにしました。今もいろいろ言われますけどね☺︎♡
3.私にミッションはありません。ただ目の前の人が私の子供の時に感じたように、周りのジャッジにくるしんでいたり、孤独を感じている人にあなたはあなたのままでいい、過去にとらわれなくていい、ありのままで素敵なのだと胸を張って言ってあげられるだけです。上も下もなく。優劣もなく。ただみんながみんな自分の人生を自由に創造でき、人生の責任者であり、自分らしく楽しく生きるということを、自分の人生で地味に示していくだけだなぁと。他の人ができて、自分にできないことはなく、自分ができて他の人が出来ないことなど、何一つありませんから。
子どもの頃、地球の誕生から現在の人類に至るまでの歴史が知りたくて、当時のプレステのソフトで、調度その辺が学べるものがあったんですけど、それを夢中でやっていたことを思い出しました。宇宙飛行士の毛利さんが登場するやつです。
どうしてここにいるのか、とにかく知りたくて仕方なかった。
小学3年生の頃からずっとです。
そしてその頃から、昼夜逆転があり不登校でした。
ミッションは、ルーツに辿り着くことかな…
その流れで、子ども時代から恐竜が死ぬほど好きだったんですけど、今、恐竜を祖先に持つ鳥さんと暮らしているのが幸せです!
そして、私たちのルーツも、ここにコメントしてるぐらいですから分かってきちゃったってことです。
今、アンケートの答えを書きながら、なんだ子どもの頃のミッション、何気にクリアしてんじゃん!すげーじゃん!自分!とか気付いて、嬉しくなってきました。
結局、答えはいつも自分の中にありますね。
1.「寿命」という概念を一掃すること
5歳くらいの時に買い物帰りに病弱だった母と手を繋いでいるときに思ったのが最初でした。
私は常に幸せだったのですが、いずれ経験するだろう不幸と全ての人の不幸の源が永遠性の欠如からではないかと思ったのです。両親も他の大人たちも、それを伝承し続けてきた人間たち全てに「なんて、もったいないことを脈々と・・・正気の沙汰ではない」と、5歳の子供が(笑)
2.そんな事を忘れていた高校生時代、遅刻してぼーっと音を消してテレビを見ているときに唐突に「神・・・無限能力の源を忘れてた」!!と
心臓病の母は自分でやりそうになかったのと、自分がまず試してからというのがきっかけで
それから一般生活と常識を出来るだけ忘れずに、お決まりの?神霊治療・ヨーガ・チャネリング・UFO遭遇・宇宙人の学び終わってるのに執着して誘拐されそうになったり・瞑想・様々な出会い・人間の苦汁etcを獣のように貪って・・・あちらを覗き見させてもらったり、いろいろ思い出したり、ついに合一したけど地球時間数日で追い出されたり(とりあえず私は今は長く合一してしまうとこの世界で学ぶ意味が無くなって本当に終わっちゃう 人によっては覚者がミッションの方もいるのでしょうね、そこのあなたかも!)
3.ミッション・・どうもこうも、結婚生活もあり毎瞬生きるのに精一杯ですが、
永遠性を伴ってない自分は塵にも満たない(塵の大きさもない、というか無い!)となっている今では当初のミッションは実現されているのだなぁと思います進行形で。
かつて内から静かな爆発によって広がって家に帰った私は途絶えたことさえない愛の交流でした、今一度人の形を保ったままどこまで近づきながら生ききるのか葛藤した時期もありましたが今はもう出来る事はする、謎は謎のままでと生きてます
愛とはすべてですからな。ですからね。
同窓会気分でメタさんのHPを覗いて遊ばせてもらってます。
ありがとうございます。。
1 はっきりしたミッションは感じたことはありませんでした。「何で生まれてきたのだろう、何でここにいる?」という違和感は感じていました。
2 そんなことを考える子供は周りにほとんどいなかったので、表面的な日常と、内面の違和感を抱えて今もそれは続いています。スピリチュアルなものに解決を探っていった人生になりました。
3 大人になってから見た夢で「光の柱」というイメージがずっと気になってます。それがミッションかもしれませんが、具体的に何をすればいいのか、テーマが壮大で途方に暮れています。自分のペースでやればいいのでしょうけれど、すでにシニア世代になってしまいました。
いつも楽しく拝見しています。今日は思わずコメントしたくなってしまいました。よろしくお願いします。
1.この世から少しでも多くの寂しさを減らしたいと思っていました。友達を作る能力が無かったからです。もう一つあって、心を込めて声を発することです。小学生の頃から今に至っても尚、朗読やナレーションは何故か褒められてきました。
2.友達がいないわけですから、自身でさみしさを埋める術を無自覚のうちに身につけてきました。特に、自然にしろ人工物にしろ、美しいものを眺めることです。また、身近なことについて考察したり、神話や寓話、先人の残した思想や言葉について解釈するのを楽しんで過ごしてきました。高校生くらいまでは、イラストを描いてアウトプットするのに夢中になりました。
3.自分なりに出力した言葉を声に乗せて、美しいものを紹介する職を得ました。大好きな自然の光を、大好きな人工の光で再現して、観て聴いて頂く場所。そこで、演出やナビゲーターをしています。労働を通して祈りと愛を表現できるということは、本当に幸福なことです。
長々と失礼しました。
1、小さい時はユニークぼうやと言われるような風変わりで自由奔放だったようですが、物心ついた頃から自分の思いを素直に表現しない大人の言動や行動に違和感を感じていました。だから自分自身も自分を表現する事を躊躇し始め、どこかでいつも孤独感を味わっていました。
高校一年の時に父親に「お前の事を愛していない」と言われた事が「自分はなぜこの世界に生まれたのか」と自分に問うきっかけとなり、「一人ひとりが自分の思いにただただ素直に生きている世界を実現したい」という意識が強くなりました。
2、それ以降は、自分の思いを歌や言葉にする事で自分が違和感を感じる事に対して、向き合い、立ち向かっていました。愛を求める気持ちが強い分だけ常にこころに哀しみや自分や社会への怒りを感じ、本来の自分、本来の世界を探し続けていました。
3、20代後半に脳腫瘍を患い、その経験と学びと成長という機会を与えてもらってからは、こころびとという生き方、こころびとカラー音叉チューニングサウンド、こころびと言の葉を通して自分の存在自体が愛なんだと気付く機会をいただいています。
このように思いを分かち合う機会をくださり、感謝しています。
ありがとうございます。
1絵を描く事を通して何かを達成するという使命みたいなものを感じていました。かと言ってそれを職業にしたいとか、それでお金を儲けたいとか、有名になりたいなどの気持ちは全く無かったです。ただ漠然と自分は「将来わたしは美術年鑑に載る」と知ってました。
2子供の頃も、大人になってからも、特にトレーニングする事がなくても芸術に触れる時間や気持ちを忘れないだけで何の苦もなく腕を上げる事ができました。絵の存在で、どれだけ辛い時も救われました。ただ絵を仕事にしたら自分の自由に出来ないようになりそうな恐怖があり、美術学校には行きませんでした。
3画家兼デザイナーをしています。子供の頃に美術で自分が救われた事もあり、地元の美術展にこども絵画部門を立ちあげるために頑張っています。子供に絵や自己表現の素晴らしさや、得意な事が人生にある豊かさを伝える事、そして自分の作品を通して芸術から受け取ったエネルギーを世の中に少しでも還元する事がミッションだと感じています。
1. かなり小さい頃、多分幼稚園に入る前から「何か思い出さないといけないことがある、それがなんだか思い出せない、、早く思い出さなくちゃ」と思っていました。
2. 本当のことが知りたいという探究心が早くからあり、小学校の高学年〜中学生で心理学の本を読んだりしていましたが、同じ頃バシャールの本に出会いやっと探していたものを見つけたと感じていました。
3. 今は、毎日の生活の中で自分が吸収したことを実践しています。特にここ数年で、愛や許しの本当の意味についてたくさん学んでいる気がしています。
1.なぜか鏡を探していました。鏡のことを考えていました。
具体的にいうと「鏡の謎を私が一番に解いてバーンと発表するんだ。解き明かすまで、私が鏡の謎を解いていることは誰にも知られないようにしなくては」など。
なぜ鏡は映すのか。小さい頃、物心ついたときからずっと考えていて、幼いなりに「見えるのは光だからだ」に到達できたことは、小さい自分がんばったな、など今、思います。
大きくなるにつれ鏡のことは忘れていたけれど、今は、そこから発展している今と感じられとても気分よく生活できています。何年も。
2.42才の今、思い返すに、子供のころは修行していたのではないだろうか、と思います。赤面症でした。思いが言葉にならなくて、昔は口ごもること多かったです。
今はそのおかげで洞察、人のふり見て自分を直せ、みたいなこと普通にできるようになったので本当によかった。もはや敵なし、みたいな。
3.占星術に出会って、鏡は占星術であったのかな、と思います。占星術と鏡は似ているんです。真正面からみるだけではなく角度を変えて、見えない裏も推察する、みたいな。
ミッションは、地場調整かな、と思います。胸で響かせる。
メタさん。ありがとうございます。ご自愛ください~
1.ずっと「安心」を求めてました。母の精神が不安定だったことが要因かもしれません。あと「もう二度と生まれたくない」と思っていました
2.「安心」を選択するごとに「安定」から遠ざかってゆく生活に疑問と不安を感じてました笑
3.「安心」が分からないままオバさんになりました。昨年猫が死んで火葬したお骨を見た時、生まれて初めて「絶対的安心」を感じました。
ミッションかは分からないけど…「死」は「安心」だと気付いてから生きるのが楽になったので、そういう人がどんどこ増えるといいなーと思ってます
1、ミッションと考えていたことは特になかったように思うのですが、一つだけ強烈に覚えているのが(そして今でも興味が尽きない分野なのですが)、幼稚園だか小学校低学年だったかくらいのときに何故か私はある日一人で家にいました。その静かで音のない空間に一人佇んでいたときふと、「今いるこの部屋って、私がいないときでも時間が経っているのかな。」と疑問に思いました。さらに息を潜めて部屋を見渡して「今この瞬間、時間って流れているのかな」「たとえば10年間この部屋に誰もこなかったら、それでも時間って10年流れているのかな。この部屋だけ時間が経たないで今のままなんてことあるのかな」なんて考えていました。またある時は自分の手や足を見つめて、動かしたりしてみて「なんで、、、、これ。なんで、、、この体に私が入っているんだろう?だれか別の人が入っててもいいんじゃない?なんで私がこれなんだ??」と感じていました。別にいやだとかじゃなくて、なんか不思議だったんです。
2、この経験があるから、次元の話やアセンション、生まれ変わりのことなど違和感なく受け入れることができ、今の時代の変化に乗っていけているのだと思っています。
3、特にこれで何かを成し遂げた!とかはありませんがずっとこの辺りの興味は尽きませんし、むしろ理解が深まるたびに楽しくて嬉しいので、このままつっぱしって地球全体の次元次元上昇に役立てたらと思っています。まだ具体的なお役目の話はないのですがね。あるのかもわからないですけど、あったら嬉しいなあと真剣に思っています。
ちなみに関係ないですが、子供時代の「なんでこの体に、私が入っている!?」というのと同じ経験をした男性に出会ったので運命の人かと思いましたが、なんか違うようです(笑)。
そうだ、話がバンバン飛びますが、メタさん、今度私たちのようなライトワーカーの男女の(男男、女女ももちろん含む)恋愛パートナーシップについて書いていただけませんか?おそらく私たちの多くが、このスピな部分を共有できるロマンチックなパートナーを欲してると思うんです。でも、(私の場合ですけど)まだ巡り会えていない。このスピの部分ってとっても私にとっては大切な部分だからぜひシェアできる人と一緒にいたいのですが、どうなんでしょ。私と同じような悩み(?)を持っているライトワーカーって多いはず!よろしくお願いします!m(_ _)m
皆さんのコメントを読ませていただいて。。とっても楽しい気分になりました^^♪
有り難う御座居ます♪
1.あなたは子どもの頃に、どんなミッションを感じていましたか?そう思うきっかけや、理由はありましたか?
小学校に上がる前は、祖母の庭の植物や花、アリで一人遊びしていました。(周りに友達があんまりいなかった)
小学校の1,2年の担任に、「何を考えているかわからない」と言われるような、半分くらいボ~~っとした子でした。
人が沢山居るところでは、音がうるさかったりで、半分寝てるような状態になっていたみたい。
夜がとても怖かった。真っ暗にして寝ることが出来なかったなぁ。。
そんなこんなで、ミッションは全然全く感じていませんでした。
2.それはあなたの子ども時代、またはそれ以降の経験に、どんな影響を与えましたか?
優しい女性が好きでした。(傷つけられない、安心できる。。的な?)
小学5、6年の頃の担任の先生(男性)が、赤ちゃんの頃に股関節脱臼をした女の子に、身体的な傷つくような言い方をしているのを見て、かなり怒りを覚えました。
月間「ムー」を買い始めたのはこの頃だったかも。。
3.それは大人になった今、どのように実現されていると思いますか?
今でも緑の近くに居るととっても心地いいです。
一人遊びも好きです(笑)
無神経な男性 の言動に対して、我慢できなくて、男性を怒らせるのが得意かも(笑
ぎりぎりまで我慢をして、突然爆発するので、パートナーとなってしまった男性はビックリするらしい。。けれど。。最近、私のような女性(我慢してしまう)とお話しすると、お互いに共感できて、面白いなぁ。。と感じています。
不思議系、スピ系、ボディワーク、エネルギーワーク、心と身体、最近は、特に女性の自立について。。。に興味がつきないです。
1.正しい行いをする。
2.かなり幼い頃から、「正しさとは何か?」をよく考えていました。
正しさ=親や先生に褒められること??そしたら誰も見ていない時にした親切って無駄なの??…とか、理不尽に褒められたり、逆に叱られたりする矛盾に苦しみました。
そのうち漠然と「正しい行い=愛にもとづいた行い」であることに気づき、すっきりした覚えがあります。
3.すべての出来事はそれぞれの正しさ(=愛)によって起きている、と思えるようになったので、人を嫌ったり、憎んだりすることが少なくなったような気がします。
今でも常に「愛にもとづく正しい行い」がしたいと思い生活してます。
1.どんなミッション?
鍵ッ子で父死亡で母もっと働く、という孤独な環境だったので、社会的なミッションというより、ひたすら自分の内側へ入るよう促されていた気がします。
2.それはどんな影響を与えましたか?
人の心のメカニズムを解明したいという想いに発展し、人が怒ったりすると「なんで怒るのか?」という怒る「理由」に興味が向くようになりました。
2.それはどのように実現されていますか?
ヒーリングの際に心理学からのアプローチとしても役だってます。
1.
なんだかやたら、わたしが助けなくちゃ!っておもってましたね。長女ゆえ?とか、おかあさん病気だから?とか、なんか理由がなきゃおかしいとおもうほど、それが当然だと感じていました。
あと、愛情を平等に与えてるって押し付けられるのに疑問があって、愛ってそんなんじゃなくね?っておもってたなぁ。
2.
とりあえず、困ってる人を放っておけない。金髪でピアスだらけのころでも、それは変わらなくって、優等生にも真面目人間にも、おしゃれバカにも、不良にも属せない、もうれつな孤独につながりました。ゆえに「孤独」は人生でとっても大事なキーワードです。つながってるって気づけましたからね。
わたしもブランキー聞いてましたよー!(同世代に共有できないやつ)
なんてったって長らく住んでるのは、ベンジーたちのふるさとの地ですからね。ふふふ
なんかブランキーの音楽ってアメリカっぽいなってずっと思っていました(行ったことないのに)
3.
やさぐれ期もとうに通過して、なんやかんや子どものころ考えてたことを実行してるんですよね。だれかを支えられるつよさに気づけたんですね、きっと。
1. 動物や植物と仲良くなり、平和な世界を作ること
2.常にエコロジーを考慮し、平和について考えた青春でしたし、そうしたことを発信するマスメディアで働いてきました。メアドは生態学を意味してますし。
3.そしてなんと、人生の後半に入ってから、環境コンサルの会社でバイトを始め、複数の資格を取る予定です。さて、それらをどう活かすか…ここ数年が仕上げの時期になるはずです。
1.小さなころは何の疑いもなく「何か大きなことをやる、普通の人にはできないことだ」という確信をずっと持ってました。ただ調子に乗ってるみたいでウケますが・・・笑
2.どんな影響があったかは分かりません。
勉強を真面目にやってる「できる子」だったので、高校生ぐらいにはその感覚を理性と常識で否定していました。同級生どうしの悪口などを、すごくアホくさくつらく感じていました。何かを作ったり絵を描いたりして暮らしていたかったし、何故か自分はそうなるものだと思っていたので、そうできないのがものすごく苦痛でした。
3.活かせるとしたらこれからだと思います。
現在、死にかけたりした後でようやく立ち直ってから1年ほどなのですが、プロのヒーラーさんから「ヒーラーの素質がある」「多分あなたはインディゴ」と言われてこのサイトを見たりといろいろ勉強し、子どものころにそういう感覚がずっとあったことを思い出しました。
今はいろいろなつらいことが必要なステップだったのだと思っています。
自分の描いているものと同列に語るのはおこがましいですが、「絵を仕事にしたら自分の自由に出来ないようになりそうな恐怖」僕も分かる気がします。
美術系の学校に行って学んだら逆に「描ける何かが小さく狭くなってしまう」ような気がしていて、普通に就職に有利な高校に行きました。現在ふつうの仕事をしながらイラストを描いています。
追記:
さすがに大人になった今現在は「すごいこと、大きなこと!」や「普通の人にはできない!」みたいなおそろしい捉え方はしていません・・・w
でもその傲慢さのようなものが、結局辛かった時期も自分を支えていた面はあったと思います。
1、子供の頃に感じていたミッションはないですが、記憶では保育園に通っていた時から臆病で、人付きあいも苦手で生きづらさを感じていました。
二十歳になるかならないかの時に、
自分の生きづらさはアダルトチルドレンだからかも?と思うきっかけがあり、
その時に、「この家系の負の連鎖を私が止める」と決心したのを覚えてます(笑)
2、数年後の現在、ヒーリングやカルマの浄化が生活の中心になってます。
3、実現できてるのかなあ、よく分からないです。
でも私のエゴかもしれませんが、
「自分が癒されれば他の人も癒される」というのをどこかで読んだので、
そうだといいなあ と思ってます。
① ただひたすらに母を守ること。
② 父方の家族が子ども心に美しくない人たちだなーと好きじゃなかった。
母が宗教にはまり始め、孤立しそうになっていたので、ひとりぼっちにさせてはいけないと思い、自分も組織宗教の一員として生きるようになった。
自分が鬱病になって、もはや母のためだけに続けるのは苦しくなり、宗教から離脱。
母とは絶縁かと思われたが、付かず離れず。
③ 場のエネルギーの調停役、空気読みまくる。のがミッションかどうかは分からないけれど、無意識にやってたことがけっこう役だっている。
☆間違えて過去コメントを全削除してしまうという大ボケをこきました。お話ししてくださった皆様、メタ様、大変失礼いたしましたm(__)m
この場を借りてお詫びいたします。
子供の頃から、今思えばドロップアウトしている人達とよく一緒にいました。
私はドロップアウトしてないですが、心は誰よりもアウトローでした。
集団のヒステリーさを見るのが滑稽におもえていました。
例えばちょっと前に不倫問題で世間がギャアギヤアしている時もバカバカしいなと。
今、不登校に関するブログやら、今の学校教育が気持ち悪いというのを流布し、日本の学校教育を変えたいと活動。冥王星強め。
原子力事故の活動もしてます。
1.あなたは子どもの頃に、どんなミッションを感じていましたか?そう思うきっかけや、理由はありましたか?
大人達が
常にいがみ合い憎しみやら
解決する方法がわかり
言葉やユニークや あちらこちらに伏線を置いたり
時間がかかっても
お仕事のようにやってました
2.それはあなたの子ども時代、またはそれ以降の経験に、どんな影響を与えましたか?
大人になるにつけ 世界や国や家庭の
常識や価値観に飲み込まれ
そのトキメキ能力が徐々に消え
いや 忘れてさしまいました
3.それは大人になった今、どのように実現されていると思いますか?
もう選択肢がないほどの事件に何度もなり
もうだめだという 地点からリミッター解除がおこり
今 アウェイクニングなのです
その後にこの場合にたどり着いたのです
ありがとう ありがとう 新しい教科書なのです
ミッションてのじゃないのですが、自分が不思議でしたね。自己っていうんですかね?なぜこの体でこの環境に生まれたのか。その答えというか「あぁそうか」と思えたのは最近なんですね。自分の小さな足を見下ろして自分というこの認識はどこからくるんだろうとか不思議でしたね。前世の記憶でもあればすぐ納得できたんでしょうね。
言葉で言い表せないミッションもどきもありましたね。今しているような事ですね。
絶望しない、しゃんと立って生き抜くみたいな事ですね。
1 自分の中の世界を発信したいという願望があった気がします。絵、演技、写真など。あと見聞きしたものをその人が体験できるかのように話したい、みたいな、そんな事が好きでした。
2 大人になる過程で、自分の世界を見せることに恐怖心が植え付けられていきましたが、絵だけはなんか続けてました。でも楽しく描くってことは出来なくなって苦しかったです。悲しいけど、今はそんな自分を受け入れましたが。
3 結局今も絵の仕事で生きてます。今は断捨離と手放しの時期なのでほんとにそれしか残ってませんが、なんか意味があるのかなと。点はたくさんあるから、線になる日が楽しみです。
ミッションありました。
小学校低学年の時に放課後の校庭で
『古代の秘密を探すんだ』って思いました。
でもどうやって??
その後しばらく忘れてました。
それとは別に相手を癒そうとする子でした。
皆さん書かれているみたいに無意識にです。
4人家族の中に病人が2人いて
無意識に人はどうやれば病気になるのかを
じーっと観察してきたと思います。
ひどい?
ハハ、ああいうのは止めても聞きません。
全力で止めたけど
病気になるご用があるんです、多分。
ひとが病気になるのは自分自身を裏切った時。
自分が悲しんでたり、つらい思いをしてる時
ばかちんでもアホたんでもあり得なくても
自分に寄り添えるって大事なことだと思います。
今は情報が多くて
ほんといい時代になったと喜んでます。
宇宙人を好きなのは、彼らの方が
私の探しものに近い位置にいるからだと思います。
私にとって古代の叡智っていうのは
個人の尊厳だったり自由意思だったり
本来個人が持ち得るはずのパワーそのものなんです。
誰かや何かに預けるのではなくて
取り戻す活動推進中なんですが
どうやってやるわけ?ってよく思うんです。
答えは知ってるけどすぐ忘れてしまって(笑)
私自身が幸せでいること。
今でも毎日、
あちこち役に立ちそうなものを探して
旅してるって感じです。
1.普通・平均・常識といったことに疑問をもつことや覆すことを楽しんでいました(笑)
そうやって大人たちを困らせるのが使命だと思っていたようですね。
2.物事を一方的に見ないクセがつきました。
3.私の生き方そのものになっています\(^^)/
1、世界を良い方向に変えたいという想いがあったような気がします。
セーラームーンやアニメ版のBLUE DORAGONやみんなのうたのCRYSTAL CHILDRENが好きだったので光と闇の対立や宇宙、スピ系に興味はありました。
今でもここらへんのもの大好きです。
リアルのきっかけとしては東日本大震災を経験したり、原発で自主避難したりがアウェイクニングの始まりだったと思います。
2、物事の光と闇の側面が分かるようになりました。誰でも心に光と闇を抱えていて程度の差があるだけなんだと。あとは人を癒せるようになったりしました。
3、世界に光を増やすために善き戦いを戦うようになりました。今は世界の問題点をどう解決するかをけっこう考えたり、自分にできることはないか探しています。
693さま、
コメントのお言葉、表現の数々に共感して、まるで自分自身の想いを読んでいる気持ちになりました。
そして、
693さまが長く大きな痛みを通して理解された愛、読んでいて息をのむような思いでした。
私など苦しい、つらいと感じるだけで‥いったい何をそこから学んだのかと思えました。
うまく書けないのですが、ご理解を分かちあって下さり、感謝申し上げます。
これから迎えるオペはご心身にとって確かに大きなことであると同時に、お体と手を取り合っての、693さまの新しく力強いはじまりなんですね。
自分の気持ちを一方的に書いてしまいました。もし御不快に感じられましたら、お詫び申し上げます。
どこか冷めている子どもでした。
幼稚園の頃に将来なりたいものを書きなさいと言われて書くことができず、友人と同じものを書いてごまかした記憶だけが残っています。
なりたいものはない…夢やら希望などもない
家庭環境が複雑だったのも手伝って、自分の人生と言うものをどこか冷めた目で見てしまい諦めていたのかもしれません。
小学生の時に、人は生まれ変わっているんだと漠然とそう思いました。今のように生まれ変わる事が当たり前に言われてない時代だったように思います。
そんな子供でした。
ここ7年ばかり大変だと思われる出来事が続いて、もうだめだと思いましたが、人生で一番辛い1年を過ごした後に、人生で一番幸せだと思える1年を過ごす事ができました。世界の色が明るく見えました。
ミッション等と言うものを考えた事はありませんが、楽に生きる事ができるようになりつつあるので、今後も私に優しく回りの人にも優しく生きて行きたいと思っています(^O^)
ものすごくよーーーく考えてみたのですが、今も昔も自分の『ミッション』を自覚したり、思い出す事がないんです(>_<)
でも、子どもの頃から何故か普通に『人類皆兄弟』と思い、自分はディズニーの「イッツ・ア・スモールワールド」のような世界に住んでいると思っていました(^ー^)←大間違いでした(笑)
小学校低学年くらいの時は、コンパスで『フラワー・オブ・ライフ』のようなパターンを紙一面に描いて、色鉛筆で塗るのが好きでした。
↑ネクラか(笑)
そして今は、『触媒』であれたらいいなぁ✨と思っています(^ー^)
いろんな「あれ」と「これ」をつなぐ『触媒』、
個人的には『ピコ太郎的存在』と思っていますが、そんな存在目指して日進月歩しているつもりです(^∇^)
nekonekoさん、
私は逆パターンで、他の子とかぶる事を書きたくなくて将来の夢は「がっきやさん」と書きましたよ(≧∇≦)
今も昔も楽器とは全く無縁の生活を送ってますが(笑)
お邪魔しました~♪
①
地球が故郷じゃない感はもれなくありましたが、ミッションと感じるほどのものはなかった気がします。日常のいろいろな瞬間をじっと感じて詩情を育み、空想と創作に没頭する毎日でした。
②
長い間、自分限定趣味でしたが、だんだん世界の美しいところを伝えたいと思うようになりました。恩返しのような感覚です。
③
良き出会いがあり、作品も発表して、眠ってた他の能力もちょっとずつ出てきました。ミッションがあるとすれば、ただ目の前の世界を愛することなんだろうなぁと思います。
preludeさん
初めましてお返事ありがとうございます(^O^)
そうなんですね。皆とかぶらないことを考えると言うとしっかり自分を持っている感じがしますね。
素敵な事だと思います。
私自身も自分を持っている子ではありましたが、顔色を伺いながら暮らしたためにそれらは表に出さないようにしていたようです。
その事に気づくためのここ数年のいろいろな出来事だったのだなと今は思っております。
ちなみに当時、私は幼稚園の先生と書きました。
現在、娘がその職業につきたいと言っています(^O^)
私が一番なりたかったのは「お母さん」だったようです。
三年位前に一番なりたかったのはお母さんだと気がつきました。
あまりにも当たり前にお母さんやっていたので、気がつかず…
長々と書いてしまいました。
返信のコメントを頂くのはこんな気持ちなんですね(^O^)
うれしいものなのだなと…
どちらかと言うと返信コメントを送る側でしたので…
ありがとうございました。
素敵な1日を♪
周りを明るくしてあげようとしてもうまくいかず、無力感ばかり感じていました。人を助けること、人が悲しんでいないかばかり気にしていました。
今は、頼まれれば手助けもしますが、深入りしないことを学びました。
人を助けるよりも、自分が人生を楽しむことを学びたかったようです(´∀`)。今は毎日楽しいです。このコメントも、長いこと行きたかった北海道旅行中のホテルで書いてます♡
楽しいアンケートありがとうございます^ ^
同じく小学生の頃、
他の生き物と人間だけが違う、
他の生き物は神様に導かれていて
地球に迷惑をかけてない。
人間なんかいなくなればいいって
悲しく思っていたのを思い出しました。
今なら何かを言ってあげられそうです。
久しぶりにこちらに来たら、楽しそうなアンケートが( ☆∀☆)
遅くなりましたがまだ大丈夫かな?
1.物心ついたときからすべての浄化をミッションとして感じていました。問題を解決したり、スムーズに事が進むように流れを作るとか。
2.子供の時はリーダーになって全体の流れをスムーズにするために色々動いてました。自分が犠牲になることもしょっちゅう。
でも、10代で自分の思う場所から遠ざかり、大人の思うその時代のエリートコースに行かされそうになってリーダーになることをやめました。
それからはさ迷い続けてます(ーωー)
3.周りの人達を見て、自己犠牲は利用され、依存と支配は進化を妨げ、この世のエリートには高次元寄りの人と地位と権力に取り憑かれた人と分かれることに気づきました。
今はミッションの意味は自分自身の事を浄化する事だと感じています。
今の私はメシア(救世主)とかアセンションとかより、watcherでいることが合ってるみたいです。
いろんな人を見てお勉強中かな。
( ゚∀゚)あと、子供を産んで育てる事が夢の一つでしたが、それが今世の私にどれほど気づきを与えたか知れません。
(もちろん、あくまで私に当てはまることで、子供を産まなくても気づきはたくさん得られます。)
子供の存在は私の人生にとってすごく大きいです。子供といっしょにもう一回人生やり直してるみたいです。
1.
子供の頃は、周りから優しいから看護師になるといいといわれていました。
人を癒してあげるのが好きだった。マッサージをしてあげると、的確で喜ばれた。
今考えるとそれはミッションかあと思います。
2.
人の感情や疲れその人の状態がすぐにわかるので、癒してあげることができる。
が、両親が自分よりも周りのためにというタイプで、そのように育てられたため、元々献身的だったところに輪をかけたので、自分が体を壊した笑
3 .
今は、大げさかもしれないけど、汚れている地球を癒したい。不登校の子や、行き場をなくしている子に、あったかいご飯を食べさせてあげたい。というのが夢です。
他人との境界線を上手に引くことができ、自分を愛するというところを本当にできるようになれば、
本当の意味で、周りの人を癒してあげれるようになれるのかなと、思っています。
1. 子供の頃は感受性が強すぎて、とにかくこの世界の色々なものが怖かった印象があります。好きだったのは自然と動物と絵を描くことで、当時はよく分かっていませんでしたが、いつも家の周りの自然というか空間から何かを感じていて、それは優しさとも畏怖とも呼べるものでした。あまり遠くに行きたくなくて、安全な場所にいたいという気持ちが強かったです。
2. 内気で恥ずかしがり屋で、人の心の表裏なども分からず、この世の中の仕組み的な部分に疑問を持ちながら育ちましたが、ある時から一転してそういった自分を恥じて封印し、社交的になり、色々なことに興味を持って飛び込んでいく様になりました。その間ずっと様々な人間関係で大変な思いもしましたが、子供の頃のピュアさはどこかでずっと保たれていて、今思うとその時期は自分の本来持つ力を沢山の人に与えながら、自分も沢山の経験を積んでいた時期だったのかなぁと思います。
3. ここ数年はその修行?もひと段落して、子供の頃のように自然と動物に囲まれて大好きな家で絵を描く生活をしています。かといってこれが最終形態とも思っていなくて、こういう時期はその後また力を使うための充電期間なのかなという感覚があります。地球や人類のために何かしていきたいという気持ちをまた思い出し、今後どんな形であれ自分をそういう方向に使えたらなぁと思いながらも、今は目の前の狭い世界に幸せを感じています。
というわけで、子供の頃に何か特別にミッションを感じていた覚えはないのですが、こう振り返ってみると、ミッションって何か明確な行為や職業ではなくて、自分そのものというか、自分の持つそのままの力を必要な時に使っていくことなのかなーと思いました。
1
(あぁぁ…マズッた…ど、どうしよう…とんでもないとこ来ちゃった)
という想いでいっぱいでした。ミッションは分からず。でも何故か
(おじいちゃんはシワシワだけど僕はそういう風にならないんだ)
といった人生半ばでなにかある的な。今現在の事ですよね
その辺りを指す感覚はありました 4〜5歳の頃
2
子供の頃はパーっと走って行ってその場を笑かした直後に
またパーっとどっかへ飛んでく、落ち着きのない明るい子でした。
3
ハイヤーセルフ直結だった子供の頃に帰る!
大人になった今、人生最大なによりの目標です。
アンケートの答えではなく申しわけないですが…
みなさん、幼少期から色々感じてきたのですね。生き辛かったことでしょうが、素晴らしいです。
私はとことんネガティブ系なんだなと思い知らされました…
私は幼少期の頃からスピリチュアルに強い興味がありましたが、頭が悪く意地悪で嫌われ者でした。
思い出は、怒りと嫉妬と罪悪感の感情しかありません。
スピを学んだ今も、それは変わらず。
早く死んだ方が、この星にとって有益なのではないかと、毎日考えてしまいます。
愛の中に生きているみなさんが羨ましい。
>怒りと嫉妬と罪悪感
の中にいるときは本当にしんどくてツライものですよね。痛いほど分かるので、Mocaさんのコメントを読んでいると涙がこぼれそうです。
みんな同じ感情を経験していると思います。ただ、そんな自分を許すことを学んだのです。「こんな自分はやく消えた方がいいけど、それでも精一杯がんばってきたよね、偉いぞ自分」って。
ワタシ個人は、ポジティブ側にいたほうがラクだな?と気付いてそっちを選択しています。「愛の中に生きてる皆さん」と「愛」がどんなものか見えているということは、Mocaさんがそれ選択すると決めればいいのではないかな。
それでも、それでも、ネガティブの中にいたいと思うなら、そこに解放されたがってるものがあるということかもしれません。キツイかもしれないけどじっくり向き合ってみてください^^
1.いつの頃からか、愛を媒体する蚊のような存在として生きたい、と思うようになっていました。
2.文化や国などさまざまなバックグラウンドの人たちと交流した10代から、いろいろな「愛」というものを経験しました。「違い」と呼ばれるものの中に「普遍」を見出そうとしました。わたしたちは皆同じだと。心が震える愛、途方にくれる愛、すべてを包み込む愛…などなど。あらゆる愛を経験し、自分を愛し、一つの完全な存在である自分を受け入れる長い長いプロセスでした。現在も継続中です。
2.今、その愛を体現する存在として、蚊として生きようとしています。
mocaさま
何でこんな人間が生かされてるんだろうってしょっちゅう泣きながら、
そしてメタフィジック通信の記事、皆さまのコメントに涙をとめてもらったりしながら、
今日も生きています。
私は、どんなときも自分がだめに思えて仕方がなく、小学生の頃から今年39才になる今もいくつも自傷をし続けています。
身体も容姿もぼろぼろになっているのに、自分を傷つけるのが完全には止められません。
私も自分を傷つけないでいられる人が、愛にあふれて生きているように見えます。
羨ましくなることもあります。
ただ、そのことを伝えたくてコメントをしています。
勝手に共感されて御不快に思われたらお詫び致します。
mocaさまの思い出、mocaさまというお人も、周りの方々にはまた、全然違って存在しているのではないでしょうか。
きっと、mocaさまがコメントで書かれている印象だけでない、
いくつもの存在があると思います、
私には、mocaさまのお顔は見えませんが目に見えないことを沢山感じるからこその内省をもって、愛をたたえた方だと感じます。
私はまだまだ勉強の足りない身ですが、メタフィジック通信を読んだり、コメントされている方皆さんにそうした人間性というか魂性が、共通と感じております。
一方的なコメントを、失礼致しました。
失礼します♪
>早く~有益なのではないのかと
私もそう考えたことがありました。でも、怒りと嫉妬と罪悪感の感情が出るということは、愛について(少しでも)考えるからこそそういう感情が出てくるのだと思います。
私も、今もなお意識してマイナスなことを考えないよう努力しています。考えちゃう時は重い腰を上げて走りに行きます。(ランニングで苦しくなって忘れられた)
走りに行くのもマイナス思考でした。
人間の鼓動(脈拍)の数は決まっている→走れば鼓動が速く打つ→鼓動の数カウントダウン→倒れる→永遠に眠る。という予定でした。でも、走れば鼓動が速く打つまでは予定通りでした→何回も走ると慣れる→早く走れてしまう→1分間の脈拍少なくなる→走る前より何だか健康的になってしまいました。脈拍少ないと、決まった数に到達するにはそれなりに歳を”生きる”ということです。(他にも色々息が絶えそうなことをやりました)
仕方ないなぁって思っています。←良くない言い方。
何か考えて感じて経験して勉強するように「生かされている」としか思えないですよね?(ふぅ~)
※れん☆さんAkikoさん私が投稿しいるのも愛だと思います!(勝手な事沢山言っててごめんなさい)
メタフィジックス通信はもちろん来ている人のコメント読むのっていいですよね。私も勉強になるし勇気づけられています。
れん様、Akiko様、mar様
沢山コメントありがうございます。嬉しいです。愛をありがとう。
今日からポジティブに生きると自分に誓いを立てても、気付けば怒りと嫉妬にまみれ、勢いのままネガティブ行動に走っては毎日酷く後悔しています。情けないですね…(笑)
ここに書き込んだのも、ただ書き捨てたかったのでは無くて、誰かに共感していただきたかったのかもしれません。ありがとうございます。
生まれながら愛に生きてる人でも、様々なネガティブや葛藤をご経験されているのですね。私も解放できたら、ポジティブを選択できるようになれるかなぁ…
ご指摘等り、ネガティブに気付いて向き合えることって、愛について考えているからこそですよね。
自分の悪さに気付けないまま生きていく事の方が、楽だろうけど、嫌です。
いつかこんな自分を許して、愛のために生きたいです。メタさんのブログで一緒に勉強させてください。
消えたいと思ってしまうけれど、逃げる事だけは絶対にしたくはないです。
自分のことを書きますね。
頭の中でずっと声が聞こえてたんです。
こんなんじゃだめだとかなんとか。
宇宙人の声じゃなくて 笑
ハイアーセルフの声でもなくて
自分をせめるのは『誰かの声』なんです。
ずっと愛と毒が混じったものを渡されて
今から思えばめちゃくちゃ困ってました。
相手を優先しすぎてることに気がつかなかった
んです。
他人本位を自分本位(自分ファーストです)
に変えてから楽になりました。
今も、椅子に座って見えるところに
『自分を大切にするってどういうこと?』
って書いて貼って時々じっくり見てます。
あとね、もしかして
小さい頃から
身近に強力なエネルギーヴァンパイアが
いたら上記症状が出ますね。
自分のことは置いといて
ちょっと周りをよく見てね。
dtrさんコメントありがとうございます。
声、私も聞こえます。
無意識に一緒になって「死にたい」「じゃあ早く死になよ」と呪文のように唱えてしまい、人に聞かれてしまうこともあります(笑)
dtrさんも、大変でしたね。
私は自分本位すぎるのがいけないのだと思っていました。自分本位の意味を深く考え直してみます。
自分を大切にできていない怒りが、他者へ向いてしまっているのかなと、今ふと思いました。自分本位になれれば、気持ちも落ち着くかな。
エネルギーヴァンパイア…自分がそうなのだと思っていました。周りにいる可能性もあるのですね。
よく真っ黒な霊?を見かけるのですが、それも関係あるのかな。
自分だけじゃなくて、周りを見る時間もとってみます。ありがとうございました。
皆さんのお話、興味深いです。
横からで、大変、失礼します。
頭の中でずっと声が聞こえる、こんなんじゃだめだ、っていう声…とてもよく分かります。
私は、それを内面の(大事な)声だと昔は思っていて…それが浮かんでくるということは「あぁ自分はまだ十分じゃないんだな」と思って、特に20代は走って生きていました。
で、ある時、気づいたんですが、その声は、私がいくら頑張っても、必ずダメ出ししてくるんですよね笑。
その声は私が何をしてもどんなに努力しても認めてくれない。自分の粗探しをして来る。特に、エネルギーが落ちてる時など、真実の様に、キツいことを言ってきます。
それに気づいた時、その声が自分じゃないとしたら、一体誰なんだ?と考えて、恐らく親の声なんだろうと思いました。そんなに褒めてもらった記憶がないので。
でも、その後、色々親に、今まで言えなかったことも含めて沢山ぶつけた時に、親は、そんなに私に多くを望んでいないってことが分かりました。(元気で暮らせてたらそれでいい的な)
それが分かった後でも、私の内面からは、自分にダメ出しする声がありました。父でも母でもないとすると、この声は一体誰?私をこんなにいじめるあなたは誰?と思いました。
今は、エゴの声なのかな、と思っています。
今では、この子が私をいじめて来るパターンが少しつかめてきたので、何かを言ってきても(お前なんか何やってもダメだ、とか言って来る)、はいはい、あっそ、あーそうですか、って流しています笑。
この声は他にも、早く早く、もっとやらなきゃ、頑張らなきゃ、(さもなきゃダメになるぞ)みたいなことも定期的に言ってくることも、ある時に気づきました。それに気づいてからは、その声が出ても、流す様にしてます。
この声の原型は、恐らく親とか周りの大人に言われたことなんだろうけど…今はエゴの声なんだろうと思っています。
自分はこの声に、10年以上苦しめられて来たので、この声に耳を傾けなくていいんだと分かってから(昔は、これが大切な内面の声なんだと思って聞いていた)、大分、巻き込まれなくなって来ました。
でも、今でも、巻き込まれる時があって…そいつの声はとても真実っぽくて、自分は、この世界からおさらばしたくなる時がありまります。笑
私がおさらばすると、内面の声の君も、おさらばだよ、それでもいいの?って言うんだけど、隙を見て定期的に攻撃して来ます。
これも、巻き込まれずに気づけると、そこから抜け出せるのですが、巻き込まれるとなかなかキツイです。これからも、気づける様でいたいと思うと同時に、こいつは一体誰なんじゃーとも思います。
エネルギーバンパイヤが昔に近くにいたっていうお言葉も、そうなのかもなと思ったりします。
長文乱文、失礼いたしました。
mocaさま
御礼などとんでもないです、こちらこそ
mocaさまの心からのコメントを通して私自身を振り返ることができてます、
そしてお返事のお言葉や表現が聡明で、素晴らしいと思いました!
お話してくださってありがとうございます。
自分を責める声は自分の声じゃありません。
その声は返ってもらいましょう。
自分本位って調べたら
自分勝手とかなんとかかんとか
ぜんぜんいい意味書いてないんです(笑)
何か参考になるようなのないかなって…
アシュタールAミナミさんのブログがおススメです。
自分が主体ってどういうことか
分かりやすく書いてる気がします。
(キレ気味の宇宙人、さくやさんが好きです)
私は黒いものは見たことないけど
そういうのも確か書いてたような気がします。
好みがあるから合わなかったらゴメンね。
私が声に悩んでて、声の尻尾を捕まえたとき
一緒に働いてるキラキラ女子に
自分を責める声が聞こえるか聞いてみたところ
聞こえるって言ってたから
現代病ぽいんやなと思いました。
『コウペンちゃん』もオススメ!
頑張らんでいいよ、ってか
すでに頑張り過ぎてるよって教えてくれます。
何かにつけてほめてくれるから(笑)
見てみてください。
私はコウペンちゃん基準です。
すみません、重ねて返信致します。
私も長かったですが、エゴというよりは
親とか祖父母とかテレビとかの世間基準の声でした。
誰が言ってたことか特定すると(本に書いてました)
自分の意見じゃないとわかって
聞こえなくなりました。
でも…誰かわからないんですよね?
いらんこと言うんですよね?
帰ってもらってください(笑)
後になって、この声が聞こえるのは
自分より誰かを上に設定してるんだって…
思いました。
Akikoさま、返信いただきありがとうございます。
ごたいそうなことを書いていますが実際はまだまだ怒りに揺すぶられることも多くて…修行は続く…という感じですが、オペで一旦これまでとこれからを切り離した方がきっとわたしみたいなタイプには腑に落ちるだろうよ…という宇宙の計らいだと勝手に解釈しています。
Akikoさまの真摯なお言葉、嬉しかったです。ありがとうございます。Akikoさまもご自愛なさって、素敵なアウェイクニングの過程を楽しまれてください。
「ミッション」について明確に自覚したことはなかったし、今もよく分かっていませんが、何となく思い浮かぶことを書かせていただきますと、ひとつは母のことです。
普段の母は気さくで明るくお喋り好きなところもあり、誰にでも分け隔てなく接する人でしたが、今改めて思うのは、母はエンパスでありライトワーカーで、インディゴなり何かしらのスターシード性を持っていたのだということです。時にそんな母の辛さや悲しみがどうしようもなく私にも伝わってきて、私も悲しい、みたいな。子ども心に「母を悲しませてはいけない」とどこか思っていました。そんな母も10年前に病気で亡くなり、それから何となく漠然と思うようになったことがあります。それは生まれてからこれまで、私をかたちづくってくれ、ここまで連れて来てくれたもの、自分の意識するしないに関わらずそういったすべてに感謝して、与えられたものを別の何かよいものとして受け渡していけたらいいなあということです。私は今後母のようには結婚せず、子どもを持つことはないかもしれない。「自分」というただ一人の人生を考えるとき、それは重苦しくしんどいものに思えますが、もっと大きな流れの一部として捉えたとき、何かしら繋いでいけるものがあれば…と考えるようになりました。
もうひとつは、他者の光に触れることです。
小学生の頃はどちらかというとクラスで目立つ側のグループに属することが多く、その中で無視したりされたり、愚かなところも多分にあったと思います。そんなところもありつつ、普段クラス内であまり目立たない方だったり、無口で大人しくいつも一人で自分の席に座っているタイプの子にわりとよく進んで話しかけるのが好きでした。最初はポツリポツリとだけ返ってくる言葉も、会話を重ねていくうちに次第にどんどん増えてきてごく自然に話してくれるようになり、笑顔もよく見られたりして。話してみなければ分からなかったその子の意外な一面やユニークさ、面白いエピソードなど、それらを知ることができるととても嬉しくなったのを覚えています。何というか、その人がいかに特別で、その人だけの素敵なものをたくさん持っている。それを知りたいし、その素晴らしさを何より本人に伝えたい、そういうことなんだと思います。これはあくまで私側からの視点による一方的な記憶で、見方によってはすごく傲慢なことなのかもしれません。でもとにかく、本来は人が好きで、その人の中に必ずあるはずの光を信じていたのだと思います。そのうち社会に出てからはどんどん自己否定が強くなっていき、人がとても怖くなりました。他者の光にとにかく目を向けようと必死に努力するうちに、自分の中の光を見失っていたのだと思います。人に囲まれている時ほど孤独感は強まり、皆で他愛ない話をして笑っていると、心の奥底がどんどん冷え切っていくのを感じました。それでもこれまで関わりのあった人たちのことを思い返すと、私にだけ見せてくれる、どこかそんな一面があったように思います。自分のネイタルチャートにも、そんなかんじのことが鑑定書に記されていた事を思い出しました。なんていうか、「皆、すばらしくヘンだなっ笑」と感応する力というか。そんな時期を経て、今年新たな出会いのなかで再び、この事を思い出す機会があり、ずっと続いているんだなあと、しみじみ興味深く感じているところです。
最後にもうひとつ。私は子どもの頃から絵を描くのが好きで、現在に至るまでひたすらずっと描き続けているのは、女の子です。これはつまり、自分がなりたい理想の姿なんですね。その理想像を体現すること、何だかんだとこれまで本当の意味ではちゃんと向き合わず叶えてこなかったなあと。誤解を怖れずに言うと、「美しい自分」で在ることが本来の自分に返るということであり、ひいては周りの人も幸せにすることもあるのだと、結構真剣に思っているところです恥。ゆ○ふわだっていいんです、今さらとか、歳考えろとか、いたいとかきもいとかゆる○わだとか。あらゆるツッコミを自分内でやり倒し、周回遅れの、数十周目の大真面目。
ちなみに私がこれは自分の歌だと思ったのは、キリンジの「千年紀末に降る雪は」です。
当時聴いてすぐに、
「我が人生のテーマ曲ここに!!」となったのを覚えています。
長々々と本当にすみません(´`:)
質問項目に上手く当てはめられなくて、かなりとりとめのないものになってしまいました。アンケートは実は昔から苦手で、わりと避けてきた方なのですが、普段大変お世話になっているこちらで、こんな自分のくっっそ恥ずかしい回答も、もしかしてもしかするとどこかのどなたかのお役に立てることもあればいいと思い、寄せさせていただきます。
かなりのスペース頂戴しまして、ありがとうございます!
失礼します。
>外出する時は、いつでも人を助けられるように、運動靴です(マジ)
ありがとう。涙
mar様、こちらこそお話してくださってありがとうございます。そう言っていただけると、とても嬉しいです。
お蔭様で、自分を受け入れていく気力を持てました。
Hachimitsu様
謎の声を乗り越えられたのですね。その行動と努力を見習いたいです。それでもなお攻撃してくるとは、なかなか手強い相手ですね…。
多くの方々が、同じ経験をしていらっしゃるのですね。
私が乗り越えようともせず、ただ怠けて文句言っていただけでした!実にお恥ずかしい。
dtr様、お薦めくださったブログ拝見しました。
とても面白いです。価値観を変えられそう。通勤中の楽しみとして、じっくり読んでみます。
何かで見た「今日1番頑張ったのはあなたです」という台詞がとても心に残っていたのですが、コウペンちゃんを検索したおかげで発見いたしました。感謝です。
声の主には、早急にお帰りいただくようにします!
沢山のコメントありがとうございました。
ヒーリングのエネルギーを送ってくださった方。しっかり受け取りました。本当にありがとうございます。涙が零れました。
ネガティブサイドの人とは関わらないように、というな内容のサイトを多く見てきましたので、相手にして下さる方はいないと思っていました。
このサイトに集まっている方々は、闇をも照らすエネルギーの持ち主達なのですね。
ブログにコメントするなんて、普段の私からは考えられない事なのですが、導きがあったのかもしれません。勇気を出して本当に良かった。
帰宅してシャワーを浴びる時が、一番のネガティブタイムなのですが(笑)今日1日思い返して、1度も「死にたい」と口にしていない事に気付いて、大変驚きました。
こんなことってあるんだ!と、感激しています。
前進する切っ掛けを与えてくださったメタさん、コメントくださった方々、サイトを見ている皆様に感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます。
1.霊長類ヒト科の人間をよりよく知ること。きっかけは、1歳半でお葬式と火葬・骨拾いを経験した時に「あぁ、人が死ぬとはこういうことか」と思い、2歳半で弟が生まれた時、自分や大人にもこういう時があったのかを問い「あぁ、人が生まれて成長するとはこういうことか」と興味深いと思った。以降、人が生まれて成長し大人になり、やがて亡くなるというプロセスや、人間特有(?)の思考や感情、コミュニティということなどがどういうことをいっぱい知りたい!とことん味わいたい!が興味の根本にあった。
2.時々記憶がなかったので「宇宙人にさらわれてるのか?」と心配しながらも、石川島播磨重工に就職しようと思ってた。最終的には、人間をより多面的に知るにはもってこいかもと思って医療従事者になった。
3.仕事を通じ生老病死に関わる苦を始めとする人間の欲望や感情に触れ、多様な個人や家族の形態に触れた。体内も見て触るなど、かなり多方面から人間を見せて頂いたなと思う。最近は「もうそれはコンプリート♩」って感じで「好きにしていいよ❤️」という雰囲気。光と闇を統べる。闇から光をうみ、闇と光をつつむ光となれ。自由に楽しんで、enjoy!って…。えー、こども産み育てたいんでそろそろお願いしますって思ってます。
ここの丁寧なコメントは、私ではなく、Akikoさんだと思いますよ♪
失礼します♪
第3リアタイさんは人のいいところを見つけられる(感じるのが)人なんですね。他の人の光に触れられるのならば、第3リアタイさんの光は見失ったと思っているだけで、きっと”光輝いている”ように感じました♪
相変わらず頭は悪いままでお恥ずかしいです…。mar様、ご指摘ありがとうございます。まだ見てくださっていて嬉しいです。
Akiko様、暖かいお返事ありがとうございました!
Mocaさま
よかったです。
コウペンちゃんの『かいふくまほう〜』と
『ねむいのにエライ』が好きです。
(ねむいのに…の方のグッズを会社で使ってます 笑)
あと大変でしたねって言っていただいて
ありがとうございました。
すごい鈍感で分かってなかったけど
子供の頃すごい邪魔にされてて
小さく小さくなって
それを半分に引き裂かれそうになって
自分のために立ち上がりました (遅いわ 笑)
半年前までペンギンみて涙ぐんでて
今いろんな感情を感じてます。
(つまりめちゃ怒ってます 笑 笑)
かいふくまほう〜が効いてるみたいです。
Akikoさま
Akikoさまのコメントよく拝見してます。
自分とだれがを比べ続けるのは
とってもとっても苦しいです。
よかったらコウペンちゃんを見てみてください。
いえいえ!私はただ堅苦しくしか書けないだけなんですが
marさまのコメントはいつもリラックスした言葉の中にやさしい配慮があふれていて、
隣に座って話しかけてもらっているみたいな
気持ちで読んでいます。
mocaさま、
再び丁寧にお返事下さって恐縮です。
この私のコメントはどうぞお読み流して下さい。お返事のお気遣いは大丈夫です!
私もブログに書き込みをすることは全くなかったのですが、
メタ様が開いて下さっているこの場に出会えたことを、自分の課題を克服することに少しでも反映させたくて、コメントさせて頂いてます。
mocaさまの皆様へのお返事、謙虚さや前向きさが読んでいるこちらの心まで明るくしてくれます。
mocaさまのもってらっしゃるそうしたものは、
これまでも周りの方々にはちゃんと伝わっていると私は思いますし、
これからもっともっと強く伝わると思います!
こちらこそお話できて、とても嬉しかったです。
dtrさま
私も、dtrさまのこれまでのコメントを拝見して経てこられた沢山の事の一片や思いを伺い知り、
コウペンちゃんのかわいい姿に、本当に苦しい事々を乗り越えたdtrさまの
ゆるし、力を抜くという魂の強さが重なるように見えます。
余計な力が入っているとき、思い出させてくれるような、かわいいお友達を紹介してくださってありがとうございます!
そして、知ったような書き方になってしまい、失礼致しました。
Akikoさま
乗り越えたというか
あまり気がつかずに通り過ぎて
今、怒ってます(笑)
怒ってもいい、というか
癒しには順番があるんです(本で読んだんです)
怒る→嘆く→悲しむ→腑に落ちるみたいな
うろ覚えで申し訳ないけど
癒しには『負の感情』を通ります。
感じてはいけないことなんて全然なくて
どれも大事な感情なんです。
こういうの、ひと通り終わったら
あんまり必要なくなるだけなんです。
負の感情をなくそうとして
何も感じなくなったこともあります。
喜びも感じなくなってから帰ってきました。
みんなが通る道を自分も通ってるんだと
思います。
みなさんはこういうのを一言で言うんだけど
私は長文になるんです(笑)
コウペンちゃんは
頑張らない、自分のままでいいって
教えてくれました。
『かいふくまほう〜』試してください。
Mocaさん
>まだ見てくださって
Mocaさんの気持ちの行方が気になって♪
Akikoさん
>隣に座って話しかけてもらっているみたいな
??。私の事ですか⁉有難うございます。ホントはAkikoさんのように丁寧に書ければいいのですが、そうすると言いたい事が書けなくなるので、(書けてない事が多いのですが笑)こんなです(恥)
Hachi-mitsuさま
重ねてすみません。
私の『内面の声』と
Hachi-mitsuさまの『声』はとっても
似てるんです。
(Mocaさまの『声』は
他の存在も混じってると思います。)
他の存在は断ればいいし、
親とかの声は誰の声か特定できれば
消えるはずなんですけども
そういえばもうひとつありました。
感情より、思考を優先 (こうすべきとか)
し続けるとそういうのが聞こえたと思います。
これをエゴって言うのかは分からないけど
(エゴって、私の理解では
自尊心の間違ったキープの仕方だと思ってて)
しかし『巻き込まれたらなかなかキツイ』に
とっても聞き覚えがあるんです。
違うかもしれないんですけど…
私、親が嫌いで、そこがあまり分かってなくて
お正月にはきちんと帰るいい子だったんです。
ある時から『明日帰るよ』って言ってから
全然動けなくなって毎年3〜4日遅れ始めたんです。
家では私がだらしないからきちんと正月に帰ってこれないんだって笑われてました。
ホントは帰りたくないのに帰るって言っちゃって、帰りたくないからフリーズしただけなんです。家はデンジャラスゾーンなのに
帰らなあかんと強く思いこんでました。
(帰った後は1ヶ月位グッタリしてました)
そういう、自分の気持ちを無視する事?を
無意識にしてた時はキツかったし
『自分を自分で否定する声』が聞こえてました。気持ちを優先してる今は聞こえません。
しーんとしてます (笑)
Hachi-mitsuさまのおっしゃられている事に
近いかどうか分かりませんが
お心あたりがございますでしょうか?
長々と長文失礼しました。
有難うございます。レタスさん。
marさん、あたたかいお言葉ありがとうございます!感激しました。゚(゚´ω`゚)゚。
当時の自分に強く言ってあげたいです。
いろいろ書き跳ばしてしまっていることに気づきましたが、今はおかげさまで環境も変わり、メタフィジックス通信と出会ったことで、自分の中の光にもずいぶん目を向けられるようになってきたと思います。いつも生きる力をもらってます!
でもこういうのは学びとして、再び直面することもあるかもしれませんね、そのときはmarさんが教えてくださったこの言葉を思い出すようにします。すごく心強いです!
ありがとうございます(^^)
メーさんのところに来ても、「気づくのは自分」なので、第3リアタイさんはいつも気づかれているんでしょうね♪私も自分を見つめます!
こちらこそ、有難うございます。
私にとっては、marさんのお言葉もまた「光」なんですよ!このたび私にかけてくださったのも、いつも拝見するコメントも。
お話させてもらえてうれしかったです、
ありがとうございますね(*’▽’*)
1、弱いもの、傷つけられるものを守る(物理的・精神的に)ことと、既存の他者を害する概念への挑戦がミッションだと思っていた。対象は、一番身近な兄弟もだけれど、紛争地域の子どもや人身売買の被害を受ける女性まで、多岐。
気付いたらそう思っていた。
2、子ども時代から青年期過ぎまで、争いや暴力ばかりで精神的に地獄だった。
3、実現というか…私のミッションとは、この世で被害を受けた人や弱い立場に置かれている人を守ることではなく、この「守りたい!助けたい!」という強い想い(執着)そのものを手放すこと。
これを最後まで手放したら、この想いがここに来た理由だから、もう地球に転生も無くなるんだな、と気付いたところ。
思ったことを書きます。
もし不愉快に思われたら申し訳ありません。
この世界は二元性(二極)の世界です。
私はそう思っています。
光があれば闇が、愛があれば憎しみや無関心があります。
強く賢い方は愛や光を求め、それを手にします。
でもこの世界では(高次元にいけば違いますが)
光や愛も有限で、無理に増やしすぎれば、バランスで闇や憎しみも増えます。
優しい方は現実で他人に善いものを譲るように、エネルギーでも残り物で我慢したりします。
愛や光を取られた後の残り物とは、>ネガティブ、怒りと嫉妬と罪悪感のようなそれらです。
そのことで開き直るのではなく、なぜ自分はこうなのかと省みるような方は尚更優しい方です。
私自身が思うのは、出来るだけ中庸とバランスを目指し、欲張って余分な愛や光を取らないようにしなくちゃ、ということです。
優しい方にしわ寄せが行かないように。
声の主は、他の存在でもありそうなのですね。
闇に囚われすぎて、闇の者を寄せ付けてしまったのかもしれませんね。全力でお帰りいただきます!
光は無限だと思っておりました。
自ら光を外へと出している可能もあるのですね。
確かに、何かと人の幸せを祈る癖があります。それなのに、すぐに怒りで心を満たす自分の矛盾さに、自己嫌悪でした。
矛盾ではなく、二極性のバランスの問題だったのでしょうか。
ここで相談に乗っていただいて、闇の心が鎮まったのは、皆様に光を補充していただいたからですね。
そうだとすると、とても納得できます。
コメント下さった皆様、お加減如何でしょうか…!吸い取りすぎてしまっていたら、ごめんなさい。
残った闇のエネルギーも、他者にぶつけてしまう私は、まだ心が幼いのでしょう…
けれど、自分の闇との向き合い方を変えることができそうです。
ありがとうございます!
空想大好き、妖精や魔女雑誌とかグッズとか、神秘的なものは好きだったけれど、子供の頃特にこれがミッションと感じるものはなかったです
家族の負のエネルギーのケアみたいな役割をずっとやってきました
自分的にはそれは喜びとかではなく、寧ろ苦しかった 辛った
それでも、やらなきゃいけない、みたいな感じでした
人から、貴方には何故か話してしまうとか、言われる事があり、相談される事が多い気がするけど
、何せ人間が怖い ついでに地球にいるのもずっと違和感があり、ここじゃない、ここじゃない、ここは怖い、早く帰りたい…って思っていて
他者を避けてきたので、役に立ってるとかは無さそうです
こんな想い変すぎて、誰にも言えなかった
ミッションが何なのか私が知りたいわーwて思ってますw
何かやなきゃいけない事がある、焦燥感があるのに、それが何なのか分かりません
Moca さま
黒いものは優しい人に来たりするそうで
私も昔、心当たりがあります。
(深読みしないで 笑)
その時は、偶然近くに霊媒師がいて
外してもらったんですね。
あなたの力にはなれません、帰ってくださいって
帰ってもらってください。
そのうち見えなくなると思います。
エネルギー不足の時は
自分のことをとっても嫌いだったり
だれかが妬ましかったり
怒りでいっぱいだったりします。
(心当たりがありすぎて 汗)
それは『エネルギー不足の諸症状』なんです。
じぶんが悪いとかイケてないとかとは
全く違うと思います。
きっと、そこを抜けると分かります。
ちょっとずつでも自分が好きなことをしてると
エネルギーが溜まってきて
ちゃんと『発電』してるのが分かります。
今は太陽もすごいエネルギーを振りまいてたし
あっという間に元気になりますよ。
今日はいいタイミングです。占い的に。
お陰様で私もいいこといくつかあったんです!
おおお〜って感じで、連鎖反応起きてます。
私も前にここで泣き言を言って
みなさんから応援していただいた時
見たことないぐらいの光の塔と
天使が3〜5人付いてきました。
天使が来るとは、本当にびっくりしました。
恐るべしライトワーカー軍団です。
「光」いい響きですね♡
有難うございます。
1.あなたは子どもの頃に、どんなミッションを感じていましたか?そう思うきっかけや、理由はありましたか?
3人兄弟の末っ子に生まれて、兄が自閉症ということもあり、安定した資格職に就き堅実に自立することが責務だと思っていた。
かなり現金かつ冷めた子どもだったので、親の死後兄の面倒は誰がみるのだろうか?みたいなことを考えていた。
2.それはあなたの子ども時代、またはそれ以降の経験に、どんな影響を与えましたか?
高校生のときにめちゃくちゃ自我が崩壊してしまい、引きこもりのメンヘラになりました。
躁鬱病で大学中退してニートになりました。
心と身体と頭がばらばらでした。
2.それは大人になった今、どのように実現されていると思いますか?
私が幼少期に感じたミッションは、きっとこの話題で話されているものではなく、思い込みの類だったのでしょう。母親に上手く頼ることができず、頼りたい気持ちが身体症状として現れていました。いまは自分自身を再構築中です。
1,物心つくかつかないか、そんな小さな頃から「私はここにいたくない、早くおうちに帰りたい」と思っていました。それは小学校に上がっても、中学校、高校でも変わらず、いつも周りの子や風景から自分だけ浮いているような、違和感が半端なかったです。
何故かいつも「だから私はいきたくないって言ったのに!」と何かに対して思っていました。でも、それが叶わないことも、そうするべきでないことも何となく知っていました。
2,小学校で環境破壊や絶滅していく動物を勉強するようになると、「人間って何て自分勝手で利己的なんだろう。こんな世の中は絶対に変えなきゃ!」とすごく憤慨したのを覚えています。
でも、年齢を重ね、社会を知るようになってからは自分だけでは何もできないという無力感でいっぱいになりました。さらに、仕事をし社会に溶け込まなくてはいけないという枠にはまった生き方を両親から強いられ、一時的に反抗したものの私の方が折れてしまい、小さな頃に感じていた自然との繋がりなど、私のコアを自ら忘れてしまいました。
でも、強烈にショックな出来事が数年前に起こり、それをキッカケに色々と思い出しています。言うなら、アウェイクニングの途中なのかなーと。
3,結婚して子供ができても、何となく違和感は続いていて、なくなることはありません。
だけど二年くらい前に、ここに生まれる前の私が目的をしっかり持って、自ら決断してここに来たことを明晰夢で見て以来、考え方が変わりました。大したことはまだできてはないものの、やり続けることの大事さを感じています。それから子供たちを育むことの大切さを痛感しているので、将来的にそういう仕事をしたいと思ってます。
今年で40歳だけど、私と同い年で作家になり有名になった人もいるし、人生まだまだ楽しめると思ってます(笑)
普段の生活でこんなことをシェアするのって、とても勇気がいるし、私にはそんな友達がいないので、シェアするところをつくってもらえたことに感謝です!
メタさん、ありがとうございます(*^^*)
1.小さい頃の記憶がほとんどなくて…でも一年生の時に私を否定する担任の先生にあたってしまい「あなたは人より劣ってるのだから」と言われ続けてきました。母も面談の際に「お子さんは人よりも行動が遅いので迷惑がかかる」と言われていて二年に上がった際に担任になった先生にそう話し「ご迷惑をかけるかもしれませんが」と言ったところ「何が迷惑なんですか?それは彼女の個性ですよ、何一つ謝ることなんてありません」と言われたそうです。
その時は漠然と、でしたが、五年生の時に人間関係に悩みひたすらに「私は何のためにここにいるのか」「何が出来るのか」を考えていました。中学になると空ばかり見て「ここは自分の居場所ではない気がする、還るべき場所があるきがする」そんな気がして気持ちがざわついていました。
2.色々つらい経験もありましたが、どの経験も無駄ではないといつも最後には納得させられました。嫌なことがあって嫌な人にあっても、必ず素晴らしい人物に出会い「人って素晴らしい」と思えましたし、そういう方達に「恩返ししたい」と思うようになっていきました。
2.まだ未熟なので思うにとどまって居るように思います。いつも誰かの役に立ちたいけれど、もしかしたら…居場所が欲しくてそう思うのかも?何だか自分勝手な気もして少し哀しいですが…。
一つ一つ出来ることから、楽しんでやるのがモットーです。ポイントは何をするにも「ハッピー」に。
お返事おくれました。また闇に飲まれて、キャンキャン怒って泣いておりました…(笑)
嘘をつかれた程度で、この怒りっぷり。我ながらみっともないです。
好きなことをしてエネルギーをためる、ですね。
仕事仕事で土日も休まずなので、『エネルギー不足の諸症状』、まさにそうだと思います。仕事が立て込むほど荒れるので、私がキャンキャン騒ぎ出すと、疲れてるんだねと言われています(笑)
エネルギーチャージを少し意識してみます。
太陽にまったくあたっていませんでした…
すこし窓とカーテンを開けてみようとおもいます。
本当に、ライトワーカーさんたちは素晴らしいです。
天使が来るなんて!私はお目にかかったことがありません、羨ましい…!
もっといいことが連鎖しますように…