人が執着するのは、肉体があり、個性があり、それは不滅ではないからです。自らのモータリティや、欠落や不足という幻想の反映として対象を眺める時、人は執着します。失くしてしまう、もしくは失くしてしまったら自分を維持できないと考える時、人は執着します。経験したいエネルギーを経験するという観点から考えれば、特定の対象に限定する必要はありません。あなたが幸せを感じたいなら、感じる方法は無限にあります。あなたが自分の能力を発揮して仕事で成功を味わいたいのなら、その方法も無数にあります。フォーカスすべきは経験であって、物理的な個別の対象ではありません。
手放すことで感じる喪失は、望んでいた感情を経験することで変容するでしょう。喪失の痛みを癒す方法は、いくらでもあります。手に入れたいものではなく、実現させたいと願っているエネルギーにフォーカスすること。全ては同じで、本質的に変わりはないと言い聞かせること。いずれにしても、喪失とは一時的な幻想であり、結局のところ、あなたは何も失いません。
信じるというレッスンは、人間にとってとても大きな意味を持ちます。存在の本質に関わることだからです。信じるということは、やたらに自分を投げ出すことではありません。信じるとは、自分が差し出したものが与えられるという法則に身を委ねることです。その法則に基づいて、あなたと宇宙の関係が結ばれていると知ることです。
存在するということは、その関係の恩恵に浴する権利があります。あなたは、あなたが望む愛や豊かさを経験するに値します。存在とは、その本質に既に愛や豊かさを含んでいるからです。
けれども大切なのは、それは経験やエネルギーによって実現されるもので、限定された何かや誰かとは必ずしも結びつかないと言うことです。あなたが引き寄せるのは、三次元の特定の物質ではなく、エネルギーの世界から引き寄せるということを知ってください。
エネルギーは、あなたが考える以上に、とてもオートマティックなものです。
あなたが望む経験と感情にフォーカスしてください。
昨日、スーパー銭湯のミルキーバスで聞こえてきて、家に帰ってから書きました。え、このタイミングで?って思いました。
執着や喪失は人間にとってハードなレッスンで、無くなりませんって言われても、はあ、そうですかとはいかないものですが、信頼についての話は、ちょっとなるほどなと思いました。
あと、無くなると思うものより、無くならないと思っているものにフォーカスするといいみたいです。