マウントシャスタ滞在記

到着の日はエネルギー酔いするほど、まさにボルテックスでした。

せっかくカリフォルニアに住んでいるのだから、スピリチュアルの聖地・マウントシャスタに行ってみようと思いました。うちから車で4時間もかかります。でもアメリカ的には4時間なんて、たいしたことないらしいです。

天国と地上が出合う町、シャスタ。

これはダウンタウンシャスタ、メインストリートの一本裏通り。のんびりした町です。

メイン通りには、紫のイメージカラーがひときわ目立つ「ソウルコネクション」があります。私もアメリカ各地のメタフィジックスストアに行きましたけど、今のところここが最大かつ最濃です。

店内いたるところでセントジャーメイン推し。買い物かごも紫でした。

アイロンパッチもありました。安かったので買おうか悩みましたがやめました。

グルっぽい名前のカレー屋さんでご飯を食べました。

店内に入ると結構混んでいました。祭壇の横のテーブルに座らせてもらいました。祭壇の説明書きによると、インドに旅行した人たちが持ち寄ったものが自然と集まって、祭壇が作られたのだそうです。

ターリプレートを注文。これまでの人生でカレーも相当食べてますけど、これはとても美味しかったです。ミントが効いたサラダのドレッシングもよかったな。

シャスタ山の日本人宿として有名なスト―二―ブルックインに泊まりました。素敵なB&Bです。

ロビーには年代物の家具調テレビと薪ストーブ。カントリースタイルです。

室内の各所にスピリチュアルなアートが飾ってあります。テーブルの上にはオラクルカード。私も早速やってみようかな。

「メタ通の読者のみなさんにメッセージを!」とエレ・マリア氏の「ガイアオラクルカード」を引きました。ラブ&ピース&トラベルだそうです。このカード、とても気に入ったので日本に行ったら買います。

スト―二―ブルックインでは朝ごはんが出ます。見た目からして美味しそう。オーナーのひろみさんは、いかにもハイバイブレーションな方でお会いできてうれしかったです。日本人の方も他に何人か滞在していらっしゃいました。私より年上の方もいましたが、みなさん不思議と子どものようなエネルギーに満ちていて、サマーキャンプに来たような気分になりました。

すがすがしい高原の朝。ラジオ体操したいなー。

スト―二―ブルックインの目の前の道では、マッシュルームフェスティバルが開催されていました。地元で採れたポルチーニを買いました。

夏だなー。

最後にもう一度、セントジャーメイン置いときます。

「マウントシャスタ滞在記」への11件のフィードバック

  1. 木漏れ日が美しい
    写真見てるだけで高波動の鈴の音が聞こえてくるようです

  2. 光が強いですね!
    お写真だけで気持ちよくなりました
    そして美味しそうなカレーと朝食、、、
    お腹が空きます(現在、深夜1時、、、( ; ; )
    ジャーメインさんは、ちょっと食欲を忘れる系のビジュアルです、、、
    旅のおすそ分けありがとうございます

  3. 憧れのマウントシャスタ、ありがとうございます。写真がキレイです!
    今日はめちゃくちゃ紫にひかれる日で、こちらにもセントジャーメインさんがいました笑

  4. あっ、更新されてる!
    ありがとうございます!

    マウントシャスタでの滞在記、ジャーメインさん、イケメンですね。
    写真からシャスタ山の周囲やお店や宿泊所の雰囲気が伝わってきて、楽しいです。
    カレーや朝食も、美味しそうです!

  5. 素敵なタイムラインをありがとうございます!
    メタさんの目線でスナップされた瞬間は、どれもわくわくします。
    マウントシャスタは、あの美味しいクリスタルカイザーの取水地なのでしょうか?

  6. メタさん無事ですか
    抗議デモ関連のニュースを見て、メタさんは大丈夫だろうかと思っていました
    その後こちらにはあまりニュースが入りませんが、穏やかに暮らせていますか
    またぜひ更新してくださいね
    楽しみにしています

  7. シャスタ行きたーい❣️

    セントジャーメーン❗️
    & レディナダぁ
    わたしも出迎えられたい

    メタさん、あんがと

  8. 半年以上も経って更新されているのにやっと気づきました。落ち込んだ時に読むメタさんの記事があってそこには何回もアクセスしていたのに、なぜ気付かなかった自分!って感じです。変わらず素敵なメタさんに会えて嬉しい限りです。ありがとうございます。

    日本では7月に何かが起こると騒いでいて、ついに突入してしまったので、まだまだ未熟者な私はジェットコースターのてっぺんから降りる前のような気持ちです。貴重な経験をしに来たなぁとつくづく思います。

  9. シャスタって聞いたことある‥と自分でも調べたら、木と水がたくさんあって、心が洗われました。。
    載せてくださってありがとうございました。

    オラクルカードもメッセージをありがとうございます。
    メタさんも皆さんもよい日になりますように

  10. アメリカで、クリスマスになると貧しく困っている人々に、現金をプレゼントする男性がいた。
    彼はいつしか
    「シークレットサンタ」
    と呼ばれるようになった。

    1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは、会社が倒産し路頭に迷っていた。
    あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。
    請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていない事に気づいた。
    なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた、その時だった…、
    一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札が落ちていたと渡してくれた。
    お陰で、彼は会計を済ませる事ができた。
    この人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。

    1972年、カンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
    結婚し子供も生まれたラリーは、幸せな生活を手に入れたかの様に見えた。

    しかし1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。
    貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
    だが、20ドル札を見てふと我に返り、銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。

    改心したラリーは 1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。
    そこで彼は、またしても試練を与えられる。

    1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
    もう助けて貰うあてがないと、途方に暮れていた時だった。
    ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
    店員の女性は暗い表情で、違う商品とお釣りをラリーに渡した。
    ラリーは彼女が困っているのだと思い、お釣りの中から20ドル札をプレゼントした。
    彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言い手渡した。
    この日はクリスマスだった。
    女性は、嬉しそうに礼を言った。
    その笑顔がラリーを明るくし、彼の思いも寄らない行動をすることになった。
    そのままラリーは銀行に行くと、なけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
    そして困っているような人や貧しい人に、20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。

    「シークレットサンタ」が、誕生した瞬間だった。

    20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取って貰えた。
    それが、ラリーの人生に思わぬ影響を及ぼすことになる。
    家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。
    ラリーは、落としてしまったと答えた。
    すると妻は怒るどころか
    「仕方がないわね。でもあなた幸せそうね」
    と微笑むだけで、文句を言わなかった。

    翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
    そしてその年のクリスマスも道に立って、人々に現金をプレゼントする活動を続けた。

    その金額は、少しずつ多くなっていった。
    不思議なことに、シークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
    長年の切り詰めた生活から抜け出し、家族の為に家や新しい車を買えるまでになった。

    ラリーの妻も、町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
    彼は、家族にも言っていなかったのだ。
    彼はそれからも1年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、
    9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることが分かってしまった。
    すまないと謝るラリーに、妻は
    「素敵なことじゃない。これからは もっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
    と答えた。
    以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。

    1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは、匿名を条件に取材に応じた。
    カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
    しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心は さらに高くなった。
    一方 ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。

    そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
    その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
    28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
    本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。
    20ドルは落ちていたものとして、男性店員が彼にくれたものだったことに。
    男性店員は テッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
    ラリーは彼がしてくれたことを、いつか誰かにしようと思ったのだと話した。
    そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうと言う。
    自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドルの入った封筒を渡した。
    受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのは、あなたのおかげだと引かなかった。
    当時テッドは、警察に突き出すのではなく自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。
    それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。
    テッドはラリーから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちの為に使ったという。
    人を思いやる気持ちは、健在だった。

    そしてラリーのサンタ活動は、全米に広がった。
    2001年には、世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に 2万5千ドルを配った。
    2005年には、ハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に 7万5千ドルを配り、
    27年間で配った総額は130万ドルになった。

    だが2006年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ、正体を明かした。
    彼はその年の4月、食道ガンのため治療しなければ、
    1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。
    正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話す。
    その反響は、大きかった。
    2日間で7000通もの手紙やメールが、彼のもとに届いた。
    大半は、自分もシークレットサンタになりたいというものだった。
    その年のクリスマスも、彼は病気を押してサンタの活動を行った。
    そのお陰で、多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。

    2007年の1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
    それでも彼の笑顔と優しさは、数えきれないほどの人の胸に、永遠のサンタとして刻み込まれただろう。
    生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
    会員資格は少なくとも 1回 他人への親切な行為を行うこと。
    今でも世界中から登録の申し込みが、後を絶たない。

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