私が東京で最後に借りたアパートは山手線の内側にあり、盛り場まで自転車で行けるのをよいことに、よく遊び、よく働いていました。毎日は楽しかったですが、本当は見たくない何かから目を逸らすためのヒステリックなバカ騒ぎとも言えました。
その頃、たまたま西麻布でショーを見たレゲエ歌手が、今、私が住んでいるオークランドの小さなライブハウスに来ると言うので、せっかくの機会だからと見に行くことにしました。そのレゲエ歌手こと、リー・”スクラッチ”・ペリー氏は、ボブ・マーレー&ウェイラーズにも携わったジャマイカのプロデューサー兼音楽家で、なんと御年83才。
前回、見に行ったのはいつだったか調べると、2004年のことでした。15年ぶりに見るスクラッチ・ペリーは、以前にも増してジイサンでしたが、もはや半分歴史上の人なので、どんなパフォーマンスをしようと、オーディエンスは大喜びです。
正直、ショーはそんなに面白くなかったですが、まあ、長寿のお祝いみたいなものですからね。
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東京に住んでいたころの私は、時々クラブに出かけては、大きなスピーカーの前で音圧の風を浴びながら、目を閉じて一人で黙々と踊るのが好きでした。それは決して洒落たものではなく、大きなものとつながる恍惚を味わう、ひたむきな儀式のようでした。
前回スクラッチ・ペリーを見たのも、そうした”儀式”の一環だったと言えます。その時は、なぜか平日の夜にショーがあり、次の日も仕事だった私は早々に切り上げて帰ったのを覚えています。
そこから、ずいぶん時が流れました。
けれども、音や光の波に囲まれて、フロアで体を揺らす自分は、以前の自分とまったく何も変わらないように思えました。
目を閉じれば、お馴染みの暗闇。やがて、解放と恍惚。
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20代の頃、私は臨死体験をしたことがあります。生活費を稼ぐためのアルバイトで働き過ぎて、貧血と過労のために倒れてしまったのです。
どれくらい時間が経ったのか、ふと気が付くと、真っ暗な場所に、私の意識だけがありました。
その場所は、懐かしいとか、心地よいとか、温かいと表現できるかも知れません。後から考えればそのような言葉も思いつきますが、その時は、何の疑問も抱きませんでした。
「あれ…?もうずっと、ここにいるんだっけ?」
私は、思い出せないほど長い期間、その場所にいて、そこにいるのを至極当然のように感じていました。
「何だっけ、この感覚?」
やさしい闇が、何の矛盾もなくすべてを包んでいました。自分がその一部であることを疑おうとも思わない、完全な全体性の感覚。
その時、私は自分が誰だったのかを、すっかり忘れていました。そもそも人間だということすらも、思い出せませんでした。肉体の感覚はなく、意識だけが脈打ち、呼吸しているように感じました。その場所は、あまりに満たされていて、あえて形を持つ必要などないようでした。
「ずっと、ここで、こうしていたんだっけ?でも、そうじゃなかった気がする」
暗闇の中で言葉を紡ぎ出し、思考するという感覚が、妙に心地よく感じるのに気付きました。
「 この感覚はよく知っている。でも、何だったろう? 」
一点の光が灯るような、もしくは水面に波紋が広がるような、その感覚がとても心地よく、やさしく馴染むのを味わいながら、”自分”を辿っているうちに、意識がぎゅーんっとどこかに吸い込まれ、はっと目が覚めると、病院のベッドの上でした。
一瞬置いて、肉体の感覚がじんわり戻り、ようやく、私は自分が私であることを思い出しました。
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目の前では、83歳のスクラッチ・ペリーが、志村けんのコント並みのジイサンぶりを発揮していました。さらにシュールなことに、私の隣には夫と呼ばれる人物がいて、私はオークランドに住んでいました。
あの頃から考えると、すべては一瞬の夢のようでした。以前と比べて出来るようになったこともあるにはありますが、手に入れた分、消化してしまった分もあって、結局、私の人生のプラマイは、いつでもゼロに戻ってしまいます。
確かに、目を開けて見える風景は、大きく変わりました。でも、それは周りの”舞台装置”や”衣装”であって、私自身ではありません。
外側の世界がどう変化しても、私という存在の”本体”は、いつもあの懐かしい場所にいて、何の矛盾もなく満たされ、すべてとつながっているように感じます。
その感覚と共に、私は長い長い旅を続けて来て、きっとそれだけが、私が手にしているものなのかも知れません。
メタさん…素敵です。
私も当時ラブパレードやゴアに夢中でした。
音を浴びてる時、官能的ですらありました。
確かに私の核となるものはそのまま。
今、この位置から眺めると
なるほどユニークな旅路だなぁと思いました。
お休みなさい。
昔、波動調整を教えてくれた方が
「どんなに自分を振り子のようにどっちに振ってもいいから、きちんと自分を『ゼロ』に戻すこと。」
って教えてくれましたが、
どうしても意識して「ゼロに戻ろう」と思わないとズルズル振れた方に行ってしまいがち(;^_^A
でも軌道修正してくれる、外からの「力」もあるかな✨
手に入れて、消化して、空になって、また新しい何かが手に入って・・・
いつも「新鮮」でいいなぁ(o´∀`)b✨
メタさんはメタさんのゼロに戻る努力があったのかもしれませんが、
私たち、みんなそれぞれの長い長いストーリーをなぞるように、何がどこにつながっているかわからない不思議さ・今日もそうやって行ったり戻ったりしながら生きているのかもしれませんね(^ー^)❤
素敵です。どこか切なげな文章が良いです!自分もメタさんみたいに、言葉を使って自分のアウェイクニング、若い頃の欲望、今の欲望、思考の内容、感情、外側で起こって来たこと、宇宙のこと、いろいろ書き綴ることができたらどんなに良いだろう、と思ってしまった。
私がメタさんのことが気になる理由は、おそらく、性被害をサバイブしてきた者同士だからです。
スピリチュアルリーダーや、スピリチュアルの記事について書く人、チャネラーやヒーラーたちは、本当の本当には、
「自分自身を癒すため」
に、その行為をおこなっていますね。
これはもう、徹底的にそうだと思うんだ。
そこにさ、
「他の誰かを救いたい」
だとか、
「自分みたいに他の人も幸せになって欲しい」
なんて思いだしたり、言いだしたりすると……
とたんに、まがい物になっちまうよって思う。
ウソっぱちじゃんねって。
そんなセリフ、本当のところはウソじゃん。
もちろん、それが悪いって訳じゃない。
でもそんなの、人生のひとつの切なさでしかない、ってことは言える。
芸術がそうじゃん。
音楽でも絵でも文学でも映画でも。
みんな、本当の本当には、自分自身を癒すためにやってるに過ぎない。
「誰かを救いたい」
と思って書かれた文学に、人間の真髄を映す力が宿る訳がないよって思う。
でも、ひどく個人的な絶唱には
魂の奥底から他者を癒す力が宿ることがある。
それと同じで、生き方のメソッドなんてもんは、いつかメッキが剥がれる。
もって、せいぜい数十年かそこらだ。
けれどさ
あなたのひどく個人的な絶唱は
ずっとずっと消えずに、永遠に誰かの胸に残り続ける
なぜか?
生き抜いてきたその人の人生それ自体に、撃ち抜かれるからかな
・
・
救われたいのも
救いたいのも
救う必要があるのも
本当は、自分自身だけ
それだけじゃん
そのことに目を閉ざし続けて、ダンスを踊り続けるなんてさ。
まあ、みんなそんなもんだし
人生そんなもんだし
間違いだらけで
たまには正解して
それら全部が、そこそこ愛しくはあった、っていう程度のことだけど。
メタさんに教えてもらったのは
そういうことかな。
なんか知らんけど。。
涙が出る~(笑)