こんなニューエイジには手を出さない方がい?
オラクル・カード卒業事件で知られる最近のドリーン・バーチューですが、2019年1月21日付のブログで、「避けるべきニューエイジプラクティスA-Zリストとその理由(An A-Z Lits of New Age Practices to Avoid, and Wh)」という記事をアップし話題を呼んでいます。
リスト全体は彼女のブログにありますが、”避けるべき”として彼女が上げたものを、いくつかピックアップしてみましょう。
エイリアン、エンジェルカード、エンジェルナンバー、エンジェルリーディング、アセンデッドマスター、アストラルプロジェクション、占星術、チャクラ、チャネリング、キリスト意識、奇跡のコース、クリスタル、占い、ドラムサークル、アースエンジェル、エネルギーヒーリング、
要するにありとあらゆるものを、”避けるべき”だとしているんですが、ここに挙げたのはリストのA~Eの途中までですから、まだ続きます。
ドリーンは、こう書いています。
「ニューエイジは、秘密や隠された智慧、ヒーリング、より高次の自尊心、愛、経済的な成功、そして内面の平和がもたらされると約束します。ニューエイジティーチャーたちは、私たちがみな”小さな神”であり、望むものは何でも誰でも手にすることができると教えます。しかしながら現実は、決して真実と永遠の幸せには到達することなく、あなたは取り憑かれたように求め、探し続けることになるのです。
私たちは、多くの人々が、自覚のないままスピリチュアル的に危険なニューエイジに携わるのを見てきました。私たちにはわかります。なぜなら、かつて私たちにも同じことが起きたからです」
たぶんここまでの話なら、同意できるという人も多いと思います。でもドリーンがぶっとんでいるのは、そこから先です。
「いつの日か、誰もが真実を学ぶでしょう。悪魔がニューエイジを司っていると。地獄に落ちてこの真実を発見する人もいるでしょう。後悔しても遅すぎます。私たちは祈ります、あなたと他の人たちが今すぐこの真実に気付くことを。まだ時間のあるうちに、イエス様の愛に満ちた腕の中に帰ることを」
うーん、どうなんでしょうか。この記事に対する海外の反応を、いくつか拾ってみましょう。
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海外の反応
タロットカードリーダーでもあるゴスウィッチ氏の意見。
「何事にも良い面と悪い面があるから、私たちだってスピリチュアルにどのような影響や問題があるかはよく理解してる。私たちがよく言うのは、よくリサーチし、自分の問題を知り、自分を守る方法を知りなさいってこと」
名前からも分かるように、彼女はウィッチ/ペイガンの実践者ですが、まるで中立のお手本みたいな意見ですね。
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次は、レイヴンウェイズ氏。彼女は占星術家のようです。
「アルコールでもタバコでも、なんでもそうだけど、何かを止めた人って、どうして急にモラリスト顔をしたがるのかしら。あなたたちと自分は違うって態度で、急に見下したり、攻撃的になるよね」
たしかにそういう反応って、あるかも知れないですね。レイヴンウェイ氏は、ドリーンの熱狂的な傾向をホロスコープから読み解いていました。
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LGBTQコミュニティにおけるスピリチュアル活動家であり、カラーセラピストのバーナード・チャールズ氏の意見
”スピリチュアリティは、個人個人のカスタムメイドで、ユニークであっていいはずのもの。ドリーンの記事は、コミュニティ全体を否定したも同然で、すごく残念だと思う”
彼は、ドリーンの作ったリストがキリスト教以外のあらゆるカルチャーを否定していることに触れ、白人至上主義を増長するものだと述べています。
ちなみにこれが彼の本「レインボーレボリューション」です。読んでみたいですね。
Rainbow Revolution: Unblock Resistance, Create Change and Be Happy With Yourself (English Edition)
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エネルギーワーカーでありスピリチュアルティーチャーのスージー・ベイラー氏は、ドリーンの言葉「現実は、決して真実と永遠の幸せには到達することなく、あなたは取り憑かれたように求め、探し続けることになる」を引用して、こう答えています。
「私は探し求める人(seeker)ではなく、知る人(knower)だ。私が求めるとしたらより自分らしくいること。それ以外に、答えや幸せを探し求めたりしない」
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スピリチュアル/ニューエイジの今後
ドリーンは自身がおすすめしない文化や思想をニューエイジと表現していますが、スピリチュアルというのは、もともとキリスト教の精霊(スピリット)に由来する言葉なので、ドリーン的には一緒にしたくないんでしょうね。
スピリチュアルを語る時、たとえそれがスピリチュアルコミュニティの中であっても、”本物のスピリチュアルとは何か”、または”何がアリで、何がナシか”というトピックになることは多いと思います。
先ほど上げたいくつかのビデオも、その収録時間の大半は、ドリーンの作った”避けるべきリスト”の矛盾点や疑問点について話していました。
ドリーンのこの話題は、かつてのスピリチュアルグルの謀反という外見だけに収まらず、様々な側面を含んでいると思います。みなさんは、どのように感じましたか。
ちなみに、私がスピリチュアルに興味があるのは、それが信じることや信念と表裏一体にあるものだからです。信じるという行為は、私たちの存在の根幹を作り、信じるが故に強くなれたり、反対に、敵を作ったりします。先の見えない人生を生きる人間にとって、信じることは祈りのようでもあり、つまりそれは非常に人間らしい機能ではないかと思うのです。
そして「信じる」とは別に、ただ「知っている」という感覚もありますよね。
面白いです。
どうでも良いけど一体何が真実なんだろう?
外部の情報をあてにせず自分と向き合って模索するしかないみたいだな。
うん、味わい深い。
やっぱりわたしも面白いと思いました^ ^
ドリーンさんのブログもざーっと読んでみました。悪魔を恐れすぎてるような気がしました。読んでてなんか、恐れの感情が伝わってきた。二元論的すぎないでしょうか。天使と悪魔。どちらにも傾きすぎると僕は不安になります。
ただただ生きて、人生に起こるすべてをしっかり味わえばよいというだけです。
そして、生きる中で愛情を分けあい、親切を分け合える瞬間があるならそのようにすればよい。
互いの得手不得手を補いあいながら助け合うという自立の中にあって、地球の自然に恩を返していけばよい。
「論争=人間同士の蹴落としあい」にフォーカスして面白がり、いたずらに他者に拡散する必要も、ないです。
そして、人間のけなしあいの姿は、「興味深く観戦するエンターテインメント」ではないですよ。
ドリーンは神様ではなく私達と同じ人間にすぎません。
彼女の意見一つでこの世は何も変わらないし、彼女がすべての人を助ける事だって絶対に無理。 自分の理想や希望を叶える事は自分にしかできない。
どんなに宗教思想が違っても人間が願うことは皆の幸せであり自分の幸せに尽きる。
だからドリーンは自分の思うままに信仰すれば良いし、ドリーンが私達の思うものを否定したって関係ない。ましてや不幸にだってなりやしない。
自分が信仰するもの以外は悪だ、と否定する事はテロリストの考えと何ら変わりはない。 そしてこれが1番危険なのだ。
何を信仰しようと全ての人が幸せに生きる権利があるし、他人の考えに振り回される必要など全くないのだ。
ごめんなさい。
一人で勝手にグサリ。
自分を投影していると思っているから、そこに学びを得たくて、自分を知りたくて、勝手に共感して学んでいる姿が他者にそういう印象を与えかねない、と教えていただきました。
ありがとうございます^ ^
やっぱりいろんな自分を知れるから、スピリチュアルが好きです。
ちなみにですが、これは承認欲求なのかもですが、本能のままに書きます。
わたしは究極のみんな違ってみんないいを、心の底から求めています。個人的な好みですが^ ^
触れたくないから除外したくなる心理は分かるけど、そういう流れに、ちくちくざわざわしたので、流れや空気を変えられればみんなでぶつかり合いながらも除外せずにいられる場所にならないかな?とその時はその目的+ちくちくざわざわの原因を自分の中から発掘したかったから、行動を起こしました。
ですぎた真似をいたしました。
でもまた気づけたので、感謝いたします。
他者には伝わりにくいものだな〜と強く感じたので、再度、補足です。勝手にシンパシーなので、関係ないかもなので、スルーでも大丈夫です^ ^
ウイリアムレーネンさんが、ポジの星に生まれたネガの子はネガの星に転送され、逆も行われているとか。残念ながら地球では(少なくともわたしが見てる世界では)それはできない。だからぶつかりあっちゃう。そこまではいいのだけど、除外の大きな流れができちゃうのは、あまりにも悲しい。(これは過去に体験したことがあり、こどもの頃からのわたしのテーマだと認識しています)みんな自分の正義のためにやっているだけで、ボタンが掛け違ってしまっただけで、修復できないところにまでいってしまう。壊さない程度に、個々にぶつかり合って、エネルギーを放出しあって、みんな違ってみんないいね♪って共存したい!と、それを模索しています^ ^
ご迷惑をおかけしました。
みんなに共通の『正解』って、あんまりないと思うんですよね。
私はあんまりスピリチュアルに答えを求めたり、何が正しくて何が間違っている・とか考えることはなくて、
「先輩の意見を聞いて参考にする」くらいの距離感なんです(^_^;)
最終的には自分が「これだ!」と思うことしか、自分にとっての正解はないと思うので、いろんなラベルに踊らされる必要もないのかな?と思いました✨
多分肉体を離れた時にすべての『正解』がわかるんだろうな~と思って、
生きているうちに『正解』を見つけるのはあきらめたので気楽なモンです(笑)
何が正解って、私の『正解』は私だけのモノだもんね(^ー^)
でも、こんな風にスピリチュアルについて考える機会を得たと思うと、こういう「論争」もいいモノかもしれないですね(^-^)
ayaさん
ありがとうございます。
「みんなちがって、みんないい」って、金子みすずさんの詩から来てる言葉だと思っているのですが。
そもそも、真理として述べられた言葉というよりは、人間的な強い希求からの言葉でもあるでしょうか。
彼女自身過酷な人生の方だったので、あたたかい詩を書いているようで、強烈な全肯定への希求もあったろうなと感じ入ったりもします。
しみじみと素敵な言葉ですよね。
「みんなちがって、みんないい」って、すべてを抱きしめられる人間像になれたら、やっぱり素晴らしいと思います。
ものすごく高等技術だと思いますが(笑)
私自身、フォーラムにはそもそも、ayaさんとひょっとしたら近いのかもしれない(違っていたらごめんなさい)、「排除」の空気を感じ、ざわざわチクチクしたので飛び込んだというのが、最初の動機でした。
▽
排除の空気というよりも、人類が誕生して以来、やがて発生した村化(コミュニティ化)からの宗教の起こり、そして、コミュニティの不文律にそぐわない「異端者」の差別、虐殺、他罰、排斥、やがて戦争へと向かうメカニズムが立ち上がっていく、そのような「歴史の縮図」を目撃し、また、体験したと思っています。
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そして、「では、個人個人はどうすればいいのか?」「どうすれば悲しみの歴史を一人一人が修正する努力を行えるのか?」ということについて、大いに学ぶことができました。
「正しい」を求めてるうちは
残念ながら平穏な心は訪れることはないと思います。
安らぎと希望からかけ離れたらスピリチュアルも本末転倒のような気がします。
「ボタンのかけ違い」ってまさにその通りで、「地球」そのものが、その壮大な「ボタンのかけ違い」を起こした、そういう人類史を修正困難レベルまで募らせて来てしまった星ですよね。
▽
そして
「この過ち(人類の犯した原罪)を、一人一人が、自分の脳と心と肉体の力を最大限に使って回収しようと願い、考え、実践していくと決心する」
それが、私があのフォーラム空間で教え授けられた、「アセンション」という概念の正体でした。
▽
「一人一人から」しか意識の変容(=次元上昇)は起きないので、「個人の幸福」をまず最初に達成させることも、スピリチュアルでは大きなテーマになっていると思います。
▽
そして、人間というのは、「個人の幸福」を達成しない限りは、どうしても安定した状態で「利他」に向かうことは出来ないんですよね。
個人の幸福が達成されていないのに必死に利他に走ろうとすると、必ず欠乏感から共依存状態を招くようになるので。
▽
そのため、一人一人が、まずは自分自身を幸福へと導くということが、スピリチュアリズムにおける、重要な個々人の第一等の仕事であり役割なんだと思っています。
ちなみに、フォーラムに飛び込んだ初めの内は、「自分がいったい何をしているのか」ということが、はっきりとは分からなくて、ちょっとドキドキハラハラしているところがありました。
▽
ところが、段階が進行する内に「何のために行ったのか、何のために起きたのか」といったことが分かるようになってきて、心に波風がほとんど立たなくなっていきました。
とある時点で、とある状態が達成されたので、「見える景色が変わる」という現象が発生しました。
▽
「意識の変容」「次元上昇」って、やっぱり個人のレベルで起きることで、それが起きることによって地球そのものの「見え方」が変わるため、「体験の解釈が変わる」という状態になるので、別の解釈をするなら「地球そのものが変わる」ということも言えるのだと思いました。
ありがとうございます^ ^
とても嬉しいです。
みんな違ってみんないい、これって本当にすごい言葉だな〜と思います。深いけど、そのまんまで伝わってくる。
きっと違っていないと思っています。なんだか泣きながら読んでますから^ ^
わたしはフォーラムを拝見するだけで満足していたのですが、排除の空気をみて、ざわざわしながら最後まで読みすすめていると、青花さんがわたしと同じ目線でお話しされているのを目撃して、勝手にシンパシーのようなものを感じていました。
その後も排除の流れが繰り返されることに、一人で勝手に悲しくなって飛び込んで、訳がわからず本能のまま動き続けて今に至ります。
先程、またひとつ、何やら大きな贈り物をいただいた気がして、それとしばらく向き合ってみようと思っています^ ^
本当に高騰技術すぎて難しさを感じています。ユーモアセンスにかけることがわかってきていて、建前を作ることも苦手なタイプなので、ひとまず自分の心を磨くことのみに専念していたのですが、やっぱり技術も磨いていくことにしました。
一人ひとりが、最終的に地球規模に。ボタンが掛け違っても、なんども向き合っていく。そのために愛であり続けようとわたしは決意しています^ ^
超難題だけど笑
大きな贈り物をもらった直後だったので、少し救われました。これからゆっくりと向き合いながら、日々を大切に過ごすこととします。
ありがとうございました♪
ayaさん
ありがとうございます。
私も、ayaさんのおかげで、魂を救っていただいた心地です。
なんというか、とてもうまく言えないのですが、本当に大きな贈り物が届きますね。
つまずきながら、傷つき傷つけながら、あるときは満身創痍となるとしても、それでも歩みなさい……と。
私も泣けてきます。
なぜ私たち人間が、争いと悲しみの、この惑星に生まれたのか。
なぜ私たちの魂は、困難な道を選択したのか……。
大きな大きな教えが次から次へと降り注ぐのを目撃しました。
そして、すべての人が、圧倒的な祝福に包まれている様子も。
ayaさん、本当にありがとうございました。
人の差別はナシと言うなら、
感情の差別もナシじゃないの?って思います。
みんなあるじゃん。どんな感情も。
「私は選民意識なんか持たない人間だ」も、屁理屈言えば選民意識なんじゃないのかなと。
それぞれに感じる快・不快はあるとは思いますが…。
スピリチュアルや神様、宇宙、心理学、量子力学などの知識は、私には自分を信じるための便利なツールです。
全然知識ないけど…(汗)
「自分はこう思う」
「否定されてもこう感じる」
「自分の中では、それが正解の感覚」
でもそれって、相手も同じようにそう思ってる。
意見や感覚が違っていても、違いへのリスペクトがあるかないかで、
全然違う世界が広がる気がします。
結局、なるようにしかなんねーな!って感じかも(笑)
みんな同じ正解なんてわかんないや〜!!
でもだからこそ、それぞれの正解をしっかり持つって、とても大切だなって思います。
自分の立ち位置を自分で決めて、そこに迷いながらでも自分を信頼して立っていられるなら、それでいいかな☆
ayaさん
本当は、すべての人間、すべての存在が、自分という魂にとっての救済者なのに、肉体に閉じ込められた私たち人間は、地球という惑星の重力に引かれて、どうしてだか何度でもそのことを忘れてしまうみたいですね。(=堕落の域に何度も落ちる)
忘れるたびに、怒りや憎しみや悲しみといったネガティブな感情、心のざわつきを発動させてしまう。
それでも、何度でも、やがて気づきますね。
すべての生命の完全な尊さについて。
すべての生命が、自分をこそ、救済してくれていた、という真実について。
なにもかもが、「成長しなさい」「気づきなさい」という、圧倒的な愛情から発せられた行為であったことについて、思い出しますね。
その進化の門をくぐり抜ける度に、私たちはお互いに、少しずつ少しずつ「大いなる自己」へと、還っていけてるのですね。
そしてもうひとつ。
あのフォーラムにいらっしゃる方々は、みーんな、私とは違う何かを、達成されている方々でした。
ある方は、プライドを綺麗に捨てられていたり、ある方は、何のてらいもなく人に優しくすることができたり、ある方は緊張した場でふわりとユーモアを差し出すことができたり……と。
それだからこそ、さまざまな形で、オリジナルな形で、私は助けられ、教えられ、知恵を分けてもらい、救われたのでした。
本当に、すべての人が、存在が、とてつもなく素晴らしいのですね。
ayaさんのおかげで、また気づくことができました。
なんだか、命のまばゆさに気づく度、何度もぶっ倒れそうになります。
私は愚か者だから、また何度でも忘れて、呆れるほど何度もポカだってやっちゃうのですが(苦笑)
それでもやっぱり、地球の人生と生命の尊さを、幾度も新しく知ることの幸いを感じます。
色んな考えを見聞きする機会が増えて、迷う事も多々ありますが、最後はみんな同じソースへ還っていくのだと根拠のない確信があります。だから、ソースへの道は、ドリーンさんも、ドリーンさんからみたら地獄に落ちるであろう私も、ありなんだと思います。
うっすらとですが、なんだか見えてきたと思っていた感覚を、いま、青花さんが言葉にしてくださっていました。まさに、同感です。
昨日までは退会して自己と再び向き合おうとしていたのですが、一晩寝て、なんとなく感じることに対して腹をさらにくくることができている自分がいたので、先程、フォーラムに居座る決意表明を一人で勝手にしてきました^ ^
そして再びこちらを訪れてみると、やっぱりそうかと、感覚が確信へと変わるように、青花さんが言葉を残してくださっていました。
みんなで一緒に行こう♪そんな感覚です。
まだ自分へのざわざわは残っていますが、これはきっと自分の好みの問題なので、ゆっくりと向き合っていく覚悟はできました^ ^
心から感謝申し上げます。
ayaさん
ですよね!
そして、こんなにも感動と元に「そうか、わかったぞー!!」ってなるのに……。
もう、もう、びっくりするくらい、その「気づき」を忘れるフェーズに、また移行するんですよ〜!!(笑)
まったく、どんだけバカなんだ、肉体の自分ってやつは……と、「気づく」ターンになったときに、心底思います(笑)
本当に「みんなでいっしょに行こう!」なんでしょうね。
「賢い魂の私」は、そのことがよく分かりました。
しかし、「バカな肉体の私」は、まーた忘れて、調子にのって痛い目に合ったりするんですよね〜。
やれやれ、自分で自分の守護霊をやってる感、バリバリです。
「ちがう、そこそこ、もうちょっと! 気づけーー!!」ってね(笑)
まるで、何度も死んでライフレビューをやって、また生まれてきて忘れた状態になって……を繰り返している感じです。
でも、それが地球体験の喜び体験、「魂のJOY」なのでしょうね。
少しずつ少しずつ、本格的な「みんなちがって、みんないい」に近づいていけてるのでしょうね。
ayaさんのおかげで、またまたビッグな贈り物をいただきました!
青花さん
同感♪この一言につきます^ ^
たまに、あ〜しんどってなったりしつつ、エンドレスに魂のJOY♪
皆さん、動揺しないで下さい。
キリストは彼女の前にご自身を現しましたが、直接 神(ソウルソース)のみを仰ぎ、尋ね求めなさい、というメッセージを与えるのが目的でした。
彼女は、目の前の崇高なキリストの眩い光に照らされ、自分の持っていた影を
認める事になったのですが、改心したばかりの彼女の目は自分の内面に向かわず、他人を批評する方向に走ってしまったのです。クリスチャンになったばかりの人々、或は自我を捨てていない信者の陥りやすい、例です(私自身も
経験有)。後で自分の発言を撤回する日が必ず来ます。 キリストの深い愛が
彼女を教えて行くからです。カードで占うという事が悪だ、という訳では無く、私達の心が、創造の主である神に向かわず、又頼まず、被造物に向いている事を妬む(ジェラシー)神である、と、モーセを通して十戒の一項目で
自己紹介されたのです。 十戒は、戒めなどでは無く、我々へのラブレターでした。 お守り札や、仏像崇拝等も、アセッションにふさわしくありません。
私達のソースである神に、直接お願いしましょう。感謝しましょう。
何しろ神様は私達の”天の親”なのですから・・・そして神様から、沢山の愛を
受け取りましょう。 その愛を他者にどんどん配っていても、尽きる事は無い、とキリストは教えていますが、同じことを他の教祖も言っている事でしょう。今回は、キリストが登場されましたが・・・
神は霊なので、行動出来ません。 私達が動くのを(愛を人に示すのを)待っています。 神も天国もみんなのものですから、今私達それぞれが、信じてい
る教えの背後の創造主に直接語り掛ける事、これがアセッション・愛と光を
求める本当の意味だと思います。
コメントを載せたのは最近ですが、長野県にSachiさんがいらっしゃった事が
解かり、改名しました。
パワープリーズさんや、他の皆さんのコメントに同感します。
実は私も、6年前までは、彼女のブログで”Thank you!”と盛り上がっている多くの声の側に、立っていたのかも知れません。
今、そのグループの声に触れただけで、心の静寂が乱される様になりました。彼等がドリーンに感謝しているのは、自分達の信仰を擁護してくれた、というエゴの現れと、低いバイブレーションを感じます。
”他人を裁くな、自分自身が裁かれない為に・・・”という意味
の言葉が聖書に有りますが、その言葉を完全に理解した、愛の
有るクリスチャンでないグループの魂をも、救霊する為に起きた(神が起こさせた)議論だと思います。そのうち、いつか、
ドラマの展開が見えて来るのを、共に待ちましょう・・・
前日、ジョンレノンの記事が有りましたが、”天国や地獄はない”という、イマジンの歌詞に強い反感を持った側の依頼で
雇われたのが、あの犯人ではないかと思いますが、実は皆の
コントラクトでストーリーが形成されていた!という突拍子な
考え方を持って、人生を眺める様になりました。これも、6年
前と2年前、息子と夫が召天した後に、学んだ事です。
”最後の5分・全てが覆る。 あなたは必ず2回観る。”という
キャッチフレーズの ”イニシエーション・ラヴ”という映画
を知っていますか? 2019年はあらゆることが明らかに
なる年・この時代に、又日本人として生まれて来て、我々は
神様の創られた映画を特等席で座って見ている様なものです!
(実はこれもDVD? 過去・現在・未来同時に起きてるので)
更新ありがとうございます。
一番シンプルに言うと、僕は正直おもしろければ何でもいいかなー。
彼女にとって
新鮮な方向に行ったと思います。
難しいことはよくわかりませんし、スピリチュアルっぽい言葉も右から左に流れるくらい興味がなくなってる自分がいます。
あんなに本や記事を漁って読み狂ってたのに。読んでも読んでも自分に素晴らしい光も愛も降りてはこない、あの人もこの人も簡単に手にしているのに なぜ?なぜ?と人をうらやむ日々。
でもようやく気づいてきました。
簡単なことですが自分を大事にしない人間に光も愛も見えるはずないと。
時にはエンジェルナンバーで心に余裕を持てたり、自分のために宗教を信仰するのも良いだろうし、でもそこに人との違いを感じても私は私、あなたはあなた。 お互いを尊重し合う。
こんな余裕を持ち優しい気持ちで生きていければ、自分の主張を相手に強要することもなく穏やかに生きていければ、それで十分だと思います。
そうですね!
”ドリーンは非常に強い恐れを抱いていて・・・”5日の”ドリーンの変化について”より、見ると、悪魔や地獄という幻想に
囚われている様に見えます。 でも、左右、極端な考えを
経験してから、スピリチュアル的に落ち着いた(中立的立場
からの見方)、輝く彼女に戻れることを望みます。
新鮮な方向、魂がワクワクする方向に向かって歩いて行き、
色々な経験をすることで、それぞれのオリジナルな道、
ソウルソース(創造)に戻る道を見つける事でしょう・・・