二元論は進化のため
母: 宇宙に善悪がないって言われるのは、すべては神だからでしょ。
エリック: その通り。ひどいことをする人がいるように思えるのも、自由意志のバリエーションなんだ。
母: それは、スピリチュアルコントラクトでもあるんでしょ。集合や個人に学びを与え、成長させるために、悪役を演じるっていう、一種の自己犠牲。
エリック: そうだね。赤しか色のない世界なら、他の色をどうやって知ればいい?
母: 対比が必要ってことね。
エリック: 自分の中の神を知るためには、二元論は必要じゃない。でも、進化のためには必要なんだ。
・・・・・・
神の意思と自由意志
母: 神の裁きとか、運命みたいなのはないんでしょ。
エリック: 神の意思と自由意志について説明しよう。僕らが神であり、創造主であるということは…。
キム: それらは同じものってことね。
エリック: 神がキムを通じて自分を経験しているとする。でも自分の人生をどう生きるかは、キムが自分で決定できる。つまりここで神の意思とは、キムの自由意志の形で現れると言える。
キム: 神の現れがいろいろあるように、神の意思も、個別の自由意志の形をとるのね。
母: なるほど。
・・・・・・・
神の計画は、どのようなものか
母: 神には、目的とか計画みたいなものがあるの?
エリック: 人間レベルの話?それとも、宇宙レベルの話?
母: 両方聞きたい。
キム: 今、エリックが、宇宙の絵を見せてくれてる。ビッグバンみたい。つまり、どんな小さな生き物も、微生物も、あらゆる動物や植物も…
エリック: そう。あらゆるすべてが神の異なる現れであり、神の記憶へと戻る意識だ。僕らは完全な全体に進化する道のりを歩んでる。
キム: 歯車が回っている絵が見える。
エリック: すべては、より高次の意識、つまりワンネスへと進化していく途上だ。たとえ個別の自由意志があるとは言え、究極的には、バイブレーションが上昇していく。そして最後のピースが揃えば、ビッグバンが起きる。
キム: 真っ白な光が見える。すべてが吹き飛んで、ひとつの意識、ひとつの全体になっている。
母: 神の一部になるってことね。
エリック: 神は無限だ。物理的な形は変わっても、その背後にあるエネルギーがなくなることはない。
キム: さっきも見たイメージが出てきた。何か行動があって、そこに反応が生じて、それが続く。永遠の連鎖反応。
エリック: 無限の可能性なんだ。
母: 人間やそのほかのものは、神が作ったの?
エリック: 自分を経験するためにね。
母: 自分を経験する?
エリック: 男性、女性、猫、犬、蝶々など、神はあらゆる形で自分を経験する。どうして海に、数々の生物が存在すると思う?どうして森に、これほど膨大な数の昆虫がいると思う?そうやって、神があらゆるレベルで自分を経験しているからだ。
母: つまり神は愛だから、愛をいろんな色のスペクトラムで経験する必要があるってこと?
エリック: そう。普段、人間は脳の10%しか使っていないって言われるけど、フルスペクトラムで使うなら、意識は純粋な全体を知ることができる。それと同じ。
・・・・・
神に会いに行く
母: エリック、神を見たときのことを手短に話してよ。
エリック: それはね、もうすべての苦しみがふっとぶような経験だった。手放すことを選ぶまでもないんだ。そのエネルギーの中、愛の中、気づきの中に入る。ひたすら純粋で高いエネルギーだ。
キム: なんだか鳥肌が立ったわ。
エリック: 想像してみてよ。ある部屋に一歩入ると、太陽が君に完璧な方法でキスしてくれる。熱さも、冷たさもない。ただ完全に抱きしめられる。その中で、自分の偉大さを思い出す。どんな心配もない。すべては、自然に洗い流されてしまう。その至福の中で、自分とはあらゆる場所にいる存在だと知る。
キム: 今見せてくれてるのは、文字通り光の中にいるところ。その光は、あらゆるレイヤーに及んで、すべてが白に包まれる。
母: その感覚って、肉体にいる間にも体験できる?
エリック: できるよ。完全じゃないけど。瞑想とかね。光の届かない部分を、光で洗い流すんだ。
・・・・・・・・
神からのメッセージ
母: 神さまって、チャネリングできるの?
エリック: もちろんだよ。
母: キム、やってみてよ。
キム: いいわ。エリック、手伝ってね。
母: 神様が、人類をどう思っているか知りたいわ。
(長い沈黙)
キム: すごく重たいエネルギーが来てる。体がすごく重たい。でも静かな重たさって感じ。
母: ふむ。
キム: 絵で表すとしたら、波みたい。向こう側を透かして見ることはできない。光が形になって現れたみたいな。
母: 面白い。色はついてるの?
キム: ちょっと白っぽくて、虹色にも見える。
母: すごい!
キム: とても静かなの。ジャッジメントがまったくない。すべてを受け入れて、理解してくれる。なんでかと言うと、それは知ってるから。自分として受け入れてくれる。それは、私たちがここで成し遂げようとしていることでもある。私たちは、あらゆるレベルで完全な自分を経験するために、ここにいる。その時、自分の中の神を知る。
母: 人類にメッセージはありますか?
神: 自分と一つになってください。私と一つになるのではありません。自分と共にいるのです。自分と議論することが少なくなれば、そうなれます。争いや悲しみを作り出すレイヤーを取り払い、ハートの中に地上の天国を築いてください。
Erik on God by Channeling Erik on YouTube
はじめまして、こんにちは。
「神からのメッセージ」の件を読んだとき頭の中に映像がながれました。
とても感動したので初めてのコメントします。
すごく穏やかでいて力強い海と波を見ました。
空は雨が降りそうな、それでいて透き通っている。
私は(皆様も)行ったことがあるような感覚でした。
私は海や海岸が好きなので、なおさら感動したのかもですが。
本当に私たちすべてはひとつなのですね。
ではこんなところで失礼いたしました
エリック君はコチラの感覚を持ちつつ、アチラの視点で話してくれるのでとっても分かりやすく大好きです。シェアありがとございます。
以前、私のガイドがとあるシーンを見せて(感じさせて)くれました。戦時中に転生していた時のシーンで、砲撃の音や、苦労する父母の背中や、鬼教官の訓練などがいっしょくたに流れ込んできました。切り取られたシーンひとつひとつは凄惨でしたが、「どんな凄惨な経験であれ、経験できることが愛。すべて愛でできている」という圧倒的な意識で、そうだったんだ・・・と目からウロコや涙がぼろぼろ落ちました(笑)。
それ以来、悲しい事件を目にしても「すべて愛なんだ」と思う、いや、思いこむようにしている自分がいます(笑)
「神が自分を通じて経験している」というエリック君のお話とちょっと符合していたので書いてみたくなりました。
いつも楽しくお邪魔させて頂き有難うございます。久しぶりのエリックくんの記事で思わず「やったー!」と叫びました!感動を通り越して気絶しそうなくらい心地よい文章にウットリしています!
すごいですね。自分の中の奥深くが泣いてる気がします。エリックチームの皆さんメタさんありがとう。
最近ずっと概念が見つかり続けていて雪崩が起きていて、その中でそれらを違った意味付けしてまた型に当てはめてしまっていた様な所があって。浮かぶと同時に即座にポジティブ変換してしまっている部分があって。浮かぶままをあれこれ考えるより先に感じてみよう という流れでした。そしてそれを許す、あるがままに。
見つけたーな流れで、ずっとあったものに気づいて浮かれてたんですけど眠る前の瞑想的時間に「もっと考えて欲しかった」と聞こえて。ん?となって。次の日も同じ声(低めの真顔感)で「また逃げてる」と聞こえて。なんだか分からないけれどハイヤーセルフ感がない、なんか近い。前は否定的なネガティブな感じを勝手に感じて、謎のエンティティですか?どなた?どういう意味?となって混乱してたんですが。誰かは置いておいて、その言葉から感じることを見ようと、引っかかる部分があるから気になる訳でその否定と感じるその向こうをきちんと見ようとした時にただこのままの意味だと分かった気がします。表面的に思うことのもう一歩奥を感じましょう といった意味だったのかなと…。すごい教え方をするなぁといつも思うんですが笑。エリック君の話の中にもそういった意味合いを感じてなんか嬉しかったです。
今振り返ると、
感じるまま に心を開く、てことですね笑。
このエリックくんの神のお話って、メタさんが以前からおっしゃっている“スピリチュアルは大げさなことじゃない”っていうのを、すごくわかりやすく表してるなぁって思いました。
やっぱり、自由意志、ひいては無条件の愛が、大きいポイントになるのかな?
“光の届かない部分を、光で洗い流す”っていうの、やってみようと思います(^-^)。
光の届かない部分を光で洗い流すことが、アウェイクニングのプロセスであり、ヒーリングなんですよ。
海と森の下りは、映像が見えてきますよね。陸の仲間も、みんながいて、みんなで全体を作ってるんですね。
お役に立てて、とれも嬉しいです☆彡
神様の愛って、人間の愛と違って、感情的な経験って訳でもないんですけど、そのエネルギーを視覚で感じれば光、心で感じれば愛、マインドで感じれば気づき、肌で感じればバイブレーション、耳で感じれば音楽になるって感じです。美しいですね。
なるほど!
ということは、瞑想やイメージ以外の実生活の中でも、いろいろ実践できそうですね(^-^)!
なんだか久々にわくわくしてきました(笑)。
エリックチームの通信、好きです!
待ってました〜。ありがとうございます!
ところで、神って、いつも思うんですけど、「すべて受け入れる」「ぜんぶアリ」みたいなこと言うわりに、「〜してください」「〜であってください」みたいな通信もバンバンあって、どっちやねんなとたまに思います^ ^
それもまた世界のお茶目さの表れなんでしょうか〜。
チャネリングメッセージって、それをチャネルする人のフィルターがかかるので、同じエンティティでも、メッセージの傾向が若干違ってくるんですよ。
世界は、同じ一つのソースでも、いくつもの側面からできているってことでしょうね。
ワンネスの話が目からウロコでした 読み応えがあった
こんにちは!メーさん。
>自分を経験する
自分に戻る事ですか?神に戻る?神になる?神と共にいる?
最後の神のメッセージの中の「自分と共にいるのです」が胸に刺さりました。神様は私たちの事を静観して見守ってくれているんですね。
ハートの中に地上の天国を築けるよう努力します!
※瞑想する時は頭のてっぺんから宇宙からのプラグを体に差し込んで突き抜けて、地球の核のコンセントに差し込み光を注入しているイメージでやってみてます。←どうですか?
エリック君シリーズ面白いです。
あと、あれはメーさんの写真ですか?「TOFU KILLER」って!(^^)!
いつも有難うございます。
めたさん、いつもありがとうございます。
エリックチーム、最高です。有難う。
私は、信仰を持っています。この信仰の軸が、まさにエリックチームが語った、神の存在と神からのメッセージへの内容へシフトしようとしています。この記事を読んだとき、まさに「やったー!最高」と心の中で叫びました。また古いですが、エドガー・ケイシーも、神への質問に同じように答えています。
嬉しい、本当にありがとう。
あ、チャネラーのフィルターごとの違いじゃなくて、例えばこのエリックチームメッセージでも「すべて受け入れる」「ジャッジメントがまったくない」としながら、かつ「〜であってください」と来てるので。
全方位的に肯定はするけど、向かって欲しい方向性はあるんだな〜と、よく思っちゃうんです。
ということは、永久不滅に「全方位的=善も悪もあり、圧倒的な体験の繰り返し」の状態であろうとしているのではなく、究極の最終形態を目指しているのか?
到達したい形態があるということは、「時間の概念」は、無いようであって、やはり在るのか?
と頭をひねり出してしまいますが、それこそ「宇宙はどうなってるの?」の問いと同じで、肉体レベルでは理解しきれるものではなさそうです。
考えるな感じろ!
ってやつですかね(笑)
長々失礼しました〜。
んー、それは私のフィルターだと思います。
「究極の最終形態」って、何だと思いますか?
宇宙のことって、全然肉体レベルでも理解できるんですけど、最初のボタンをかけちがえると、ややこしくなっちゃうんですよ。
どこか天文学と神はメビウスの輪でつながっているように感じるお話でした。神=今というのは初期仏教のヴィパッサナー瞑想を想起します。「お前はすでに知っている」ですね。
「究極の最終形態」=「ただ、在るor無い」という感じと、今のところは思ってるのかな~という気がします。
(まだよく分かっていない、というほうが真実だと思います)
「愛」という言葉が、意外と人間の翻訳道具としてはくせものっぽい気もしています。
人間サイドの文化では、「愛」という言葉を受け取るとき、どうしてもそこに「真・善・美」的な方向づけを感じてしまうので、それだと、どこか全方位性を失ってしまうような感触もあります。
「すべては愛」と、さまざまなところで書かれていますが、この「表し方」は、出会う度に微かに違和感を感じもするんですね。
善性の方向付けの匂いがしてしまうので、「善悪すべての表現」に制限が加えられているようにも思え、もっともっと突き詰めた表し方があるようにも思いますが、「愛」という言葉の汎用性の高さや、善を感じる安心感に押されて、広まってしまってるのかな、と、そんなことをチラチラ思います。
とても美しい体験ですね。読んで感動しました。「全ては愛である」という意識を知っているように感じるのは、きっとそこから来たからなのでしょうか。さいごにはその意識に辿りつくのだとなんだか思います。シェアしていただいてありがとうございます!
なるほどそうなんですね!
色弱の人が、色を感じられるサングラスで世界を見た時に感動して泣いてしまう動画があって、神に触れたからなんですね。光があるから色を感じられるんですよね、めっちゃ納得です。
https://www.youtube.com/watch?v=hdxzWLaQ0TU
>saradaaさま
「知っていた」と思い出すお手伝いができたとしたらとっても嬉しいです。反応してくださってありがとです^^
愛という言葉の持つ、一種の胡散臭さは、人間フィルターの産物であって、宇宙の愛っていうのは、また全然質が違うんですよ。
たとえば太陽の光も、本質的にはただの熱&光エネルギーなのに、優しく感じることがあるじゃないですか。
人間の感情っていうのは、かなり曲者で、そのフィルターのために曲解されることもあるけど、伝達されるエネルギーが拡大することもあるんです。プリズムみたいなものです。
>感じるまま に心を開く、てことですね
本当にそうですね。混乱するのは、常にマインドです。
山田くん、座布団10枚って感じですよね。
イメージを使う瞑想は、自分が気持ちいいようにやるのが大原則ですから、光のプラグはオーソドックス、かつ非常に気持ちいやつだと思います笑。
私、トウフが好きなんですよ。
>「お前はすでに知っている」
これ、最高ですね☆彡
スピリチュアルの宇宙論/神の存在論というのは、あらゆることとつながってくるので、そこが面白いです。
ここで言われている神/宇宙の理解が、形を変えて、様々な宗教に現れているのだと思います。
形が変わるから、同じものだと気づかなくなるっていうのが、人間にとって一種の悲劇でもあり、豊かさにもつながっていますよね。
瞑想は、光が充満して体に沁みこみそうです♪
>私、トウフが好きなんですよ。
だから、肌がつやっつやなんですね!
ほんとにそうです。スピリチュアル情報を読んでいるうち、スピリチュアルと関係ない本の一説を思い出して、あ!そういうことか。という事がしばしばあります。
そうなんです。
その人間のフィルターが邪魔をしている状態について述べています。
文学も芸術も、より透明度の高いものってありますよね。
「愛」という言葉は、広大無辺さと透明度において、他の言葉に置き換えられた方が良いという面があると思います。
エンタメ映画的な拡散力は確かにあって、その拡大もまた良し、すべて有り、という点は分かりますが、宗教が誤解を拡大するような誤解の威力も内在しているなと。
豊かさであると同時に、損なっているものについても、思います。
ただ、この不足を補うために、音楽や詩や絵画など、さまざまな表現があるのだとも思います。
言葉で「愛」と述べられたとき、あまりに多くをとり零して平板にしてしまうように思うので、その言語のもつ一種の喪失を、非言語の表現は補う性質もあるなと。