1.ジャッジメントはマインドフルネス由来
ジャッジメントとは、マインドフルネスの教えに由来する言葉です。字義どおりに言えば、物事の善悪や正誤を判断することですが、「一方的な見方で決めつける」というニュアンスで使われます。
ジャッジメントの正反対にあたるのが、「ありのままに眺める」という考えです。先入観を持ったり、一面的な判断を下すことなく、オープンに捉えることです。
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2.ジャッジメントは可能性を狭める
ジャッジメントをするのも個人の自由なのですが、そうする場合、行動や心の自由を狭めてしまうことがあります。
ジャッジメントの例と、そうではない例を比べてみると、違いがよく分かります。
ジャッジメントの例
- 何か嫌なことをされた場合に「この人は嫌な人だ」と決めつける
- 苦手な人たちに対し「彼らは自分とは合わない」と決めつける
- 周りの人が悪い噂を立てているという理由で、個人的によく知らないにも関わらず、誰かを「悪い人だ」と決めつける。
- 失敗をした場合、「自分が悪い」「能力がない」と決めつける
- 喜ばしくないことが起きた場合、「これは悪いことの前触れだ」と考える
ノンジャッジメントの例
- 何か気になることをされた場合でも、頭ごなしに「この人は嫌な人だ」と決めつけない。
- 苦手な人たちに対しても、「彼らは自分とは合わない」と決めつけず、オープンに接する。
- 周りの人が悪い噂を立てていようとも、振り回されることなく、その人にきちんと向き合ってみる。
- 失敗をした場合に、「自分が悪い」「能力がない」と決めつけず、何が問題だったのか原因を探る。
- 喜ばしくないことが起きた場合でも、くよくよ気にすることなく、前向きに対処する。
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3.ジャッジメントと識別は違う
よく混同されるのですが、ジャッジメントは、違いを識別することとは違います。
先入観で判断したり、一方的な見方や情報で決めつけるのが、ジャッジメントです。特にネガティブな決めつけをするニュアンスで使われます。
違いをよく見極めた上で、自分が一番いいと思うものを選ぶなら、それは識別です。識別は、望む現実を作っていく上で大切です。けれどもそのために、誰かや何かを批判する必要は必ずしもないですよね。
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4.ジャッジメントと境界線は別問題
境界線とは、心理学や社会学に由来する考え方です。自分と他人を隔て、それぞれを守る、心理的・肉体的な領域です。境界線の侵害はトラブルや苦しみの元であり、互いに尊重してしかるべきです。
たとえば誰かがあなたの境界線を侵害したとして、ジャッジせずに黙って受け入れた方がいいのかと言うと、これは全く違います。そこは怒りましょう。
でも怒った上に、相手を「悪い人だ」と決めつける必要はないかも知れません。根っから悪い人ではない場合だってあります。
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まとめ
ノンジャッジメントというのは、心のあり方です。たとえば人の短所も、ひっくり返せば長所だったりしますし、人生も災い転じて福となることがありますから、一部だけ見ていい悪いを決めつけず、のんびり構えましょうということです。
でも自分の境界線を侵害されたら、そこは断固としてノーですよ。これについては、逆に善悪なんて考えなくてもノーを言う権利があることです。
社会の悪を許す・許さないは、個人の好き好きです。私たちは全員が悪と戦うために生まれてきているわけではないからです。
以上の点を押さえましょう。
お誕生日おめでとうメッセージ、ありがとうございます。この場を借りて、お礼を申し上げます。コメント返せなくてすみません。(気にしなくていいのよ、メタさんと言う声が聞こえてきそうですが)
ジャッジメントの話、ここまで書くのに6時間もかかってしまいました…。
この話、個人的にはすごいツボなんですけど、私のツボはたいがいマニア向けだから、ひょっとして分かりにくいかも知れない、もっとまとめないと…とやっているうちに、やばい寝ないと!
明日から3日間、スピリチュアル万博に行ってきます。お土産買ってきますね。
西洋思想でのジャッジメントというのは、マタイ7章の山上の垂訓、Don’t judge, so that you won’t be judged.(または黙示録の最後の審判、Last Judgement)からの概念なのかなと思うのですが、
調べるとこれは、当時の律法学者がイエスに対して、既成の教理を振りかざして恣意的に迫害した(裁いた)ことをからきた言葉のようですね。
ですので、常識や社会正義の範囲で間違いや悪や犯罪を判別したり批判したりするのは、間違ってはいないようです。
http://www.nishitani-church.jp/blog/2009/08/post-202.html
>ところで、この教えについてしばしば間違った理解が見られますので、最初にそれを正しておきます。それは「一切人を裁いてはならない」というものです。これは如何にも柔和また寛容で、イエスの愛の精神そのものであるかのように思えるため、正しいと思われがちです。しかし、これは誤りです。
http://true-ark.com/sermon-mount-judging-others/
http://seishonyumon.com/question/245/
ありがとうございます。まだまだジャッジメントで生きている様な者ですが、それさえジャッジしないでのんびりやって行こうと思えました。写真のチョイスも素敵ですね!
丁寧な記事をありがとうございます。
要は恣意や偏見をやめて物事を広く見ましょうってことですかね。仏教でいう中道ですね。
そんなこと、わざわざ宇宙人が伝えないといけないことですかって正直言いたくもなりますね。
ジャッジメントはいけません、とカタカナ語で何度も言われるとなにか説教食らっているようで「そう言うお前は何もんだよ」って苛立ちはあったかも知れません。
お騒がせしてすみませんでした。
「私はジャッジもコントロールもしません」「あるがまま。ただ在るだけ。」
そういう人が過去にいました。
あれはきっとニセ菩薩モードに入っていらしたんだと思います笑
スピリチュアル万博楽しそう…
お誕生日おめでとうございもす!
ジャッジメントはエゴによるもの と考えると単に自分が持つ概念を知るには役立つのかなとも思いました。良い悪いだけで捉えるのを止めてもっと広く大きな視点から眺めたい、と思います。
わかりやすい!( ´ ▽ ` )ノと思いました。
そうだ!そんなんだなー!と、うんうんなりました。
この記事も、ゆっくり何回か読み深めたいです〜
心配への心配りをありがとうございます!
行ってらっしゃいませー*\(^o^)/*
メタさんと誕生日同じだ~。
メタさんに「おめでとうございます」
自分に「おめでとう」
また1年、ゆるりとにこやかに行きたいですね。
一日終わってメタさんのブログを開くと今日1日仕事場でお客様と話した内容が被っていてよくビックリする事があります。
しかも、内容が凄くまとまっていて言葉で上手に伝わってくるのでいつも感心します。
ジャッジをしなくなるとイライラも誰かを恨むこともなくなり自分が開放されるのを感じます。
世間の常識と自分の開放の狭間で苦しむ事はありますが…(´・∀・`)
いつもありがとうございます。
今の職場に入店して、まず直面したのがこの「ジャッジメント」でした
(^_^;)
ジャッジメントと識別、差別と区別、
似ているようで全く別物の、微妙なバランス具合のその状況を学ぶ期間があって、
それをクリアした今は、自分と他との境界線について、『他とちょうど良い距離感で関わること』の学びの時間のように感じています(^ー^)
今までは境界線ナシに何でもウェルカムしていて、でもやっぱりそれはヘルシーじゃないですよね。
とりあえず自分の経験だと、自分をジャッジメントしてくる相手は『ほっとく』のが一番だと思います\(^o^)/
エネルギーバンパイアとの境界線のことで、ここ数年ずっとワークさせられてました(笑)最近になってやっと、自分のフィールドから締め出していいって気づいたんです。それでこの記事を読んで、やっぱり間違いなかったんだと。これで心置きなく、しっかりと自分を守ることができます。たくさんの人に安心して自分を守れるようになってほしいのでシェアさせてもらいます。
おみやげ、ほんまに楽しみにしています。
ジャッジメントに6時間ですか・・・確かに凄く次元上昇のための踏み台みたいな物ですから、ここが揺らぐとジャンプしにくいので大切だと感じます。記事ありがとうございます。分かりやすくすっきりする波動を得ました^^
>コメント返せなくてすみません。
→コメント数アゲアゲですもんね!
嬉しい悲鳴って、こういう時にあげるものなのかも?w
この記事、素直に入ってきました。
ありがとうございます⭐
あ、ちゃんと寝てくださいねー。
睡眠ってとても大切⭐
>お騒がせ
ついつい反応してしまう私も居ます!w
他の星の方の言葉って、必ず誰か私たちの星の人が語りますよね。
これって、私たちの殆どがサイキックでない(もしくは使いこなせてない)からとか、
言葉が通じないから等々の…
いわゆるコミュニケーションの問題だけじゃなくて…
私たちの星の人を通す(介在した人の解釈混ざる)状態にしたくてなのかも?とか思います。
だって、私たちの星のことだから。
そして、もう少し大きな感じだと 私たちの星だけのことじゃなくて、他の星々も含む宇宙のことだから 助言をくれているのかも?
…と、brandonさんのコメントを読んで感じました。
あと…
もう少し掘り下げると、
こうしたメッセージって、私たちの内の神さまの息吹き…
元の気のメッセージなんだと思います。
ようするに、私たちの気持ち。
◯◯からの…
と感じるのは、嗜好もあるのかも。
いろんなところ、いろんな次元から…
メッセージはあるのだけど、その選択は嗜好もあるのかも?って…
ちゃんと纏ってないんですけど。
brandonさんの
>わざわざ…
ってところ、地球人として 喝入れされた感じします!
スピリチュアルで使われるジャッジメントって私の中では思い込みとか批判とか先入観ってニュアンスがありました。
ジャッジしちゃいけないなんて言われると、学校で教わった判断しちゃいけないって意味と混同してしまってわかりづらいですよね。
まぁ、自分1人で成り立ってる世界ではないので、いろんな角度から見て考えるお勉強を人生の中でしていけばいいってことですかね。
その中で、自分という個をクリアにするのも大事で。
なんでも受け入れすぎるとカオスになるし、自分の世界しか見ないと視野の狭い人間になるし、そのちょうどいいバランス、支点になるところを個々で見つけるのがお互いに自律できて、いい距離感を産み出すんでしょうね。
ジャッジメントというのは多分 地球ならではの概念なのかな?
と思います。
色々な情報によると、地球人類というのは多くの星のDNAを
寄せ集めて作られたらしいですね。
だから色んなタイプの人類が存在すると。
私たちにとっては普通でも、宇宙の中では珍しいと聞きました。
言ってみればアリさんとトリさんとサカナさんなどが
一緒の星で人間として暮らしているようなものなのでしょうか?
お互いを「お前は間違っている!」と決めつけるのは
ちょっと違いますもんね。
あまりの違いに傷つく事はあるかもしれませんが。
みんなが違うことの楽しさ、美しさだけを心に受け止められる
だけの心の豊かさと、ありのままの自分を許せる強さを
持てたらなあ・・といつも思います。
(今はもちろんまだまだ出来ない私です(^_^;))
・・とジャッジする自分を許します(笑)
※ お忙しいメタさんがそろそろペースをつかんで、
コメントへの返信もほどほどにしよう! と決意された
頃かなあと思い、
ソロリ、ソロリ・・・と忍び足で投稿します(笑)
フラット&愛な視点を持てると、それだけでバイブレーションが上がる感じがしますね。まだまだ過去の傷などに振り回されたりするのですが、記事の内容の事、今を生きる事、今いるのは自分の宇宙なんだ、と思うと新しい人生をいきてる気がして明るい気持ちになります。
ジャッジしないように、と無理することはありません。
「ああ、自分はジャッジしているなあ」と、ジャッジしている自分をやさしく観察してあげればいいのです。そうすれば、そのうち、ジャッジしている自分を手放せるでしょうし、それがマインドフルであるということなのだと思います。
いつも思いますが、不思議とメタさんの記事は自分が最近考えていたところとシンクロしますね。逆に最近は不思議に思わなくなってきましたよ^^
「ジャッジメントしない」という言葉・文章に捕われると、「廊下を走らない」のような標語レベルになっちゃいますね。何故しないほうが良いのか? と自分の深層を探るのも一つの方法だと思いますが、そもそも「ジャッジなんて出来ないのでは」というところに自然と行き着くような気がします。
ジャッジする・良い悪いという判断って一時、一瞬だけの「自分の感覚的な受け止め方」なのに、その方の過去も、未来も判ったように決めつけちゃうような気がします。
自分が知っている/いないに関わらず、その人の過去の小さな親切であったり、優しく温かい言動もあるでしょうね。逆に厳しく嫌な言葉であっても、きっかけはどうあれ、それで自分が成長出来たり。
小さな赤子の時は、両親や縁ある方々全てに、天使のような笑みを向け、多くの人を優しい笑顔にされたことでしょうし。自分が知らないだけで、動物をとっても愛して可愛がっているかもしれません。
又、悪人であっても10分後、半年後、或いは何年か先に、自分が傷つけてきた人の痛みを感じ、深く反省し、優しく広い心を持たれているかもしれません。
或いは、ジャッジメントしたり、決めつけたり、分離(カテゴリー分け)の不必要性を教えてくれる役目があるのかもしれません。
時間は無く、全ては一点(過去未来現在)に集約され存在していると思いますので、そうすると、そもそも良い悪い(ジャッジ)は出来ない、自分には判らないように思います。
只、ジャッジする感情(思い込み)を除いた識別は本当に必要ですね。
同時に、押し付ける事も嫌ですが、押し付けられることも嫌です^^
誰かの言葉やレッテル、評価の上に立つのではなく、自分の両足でしっかりと地球に立って生きたいですね。
ジャッジメント、気づいたらしていた ってことになってたりして、最近のモヤモヤがひとつ晴れました~!
境界線についても学習中なんですが、健全な境界線は自分にとっては なかなか簡単にいかなくて、習慣づけていけたらなあと思います。
いつもありがとうございます☆
ジャッジメントは主観的で後でイライラするもの。識別は客観的なもの。って感じかな?境界線はノーで死守する。ウン分かった気がした。ジャッジからは離れられた気がする。この所。メタさんのお陰です。
catsfour55@gmail.com
ニックネーム:さくら
ジャッジメントは主観的で後からイライラするもの。識別は客観的なもの。境界線はノーで死守。って感じかな。ジャッジからは離れられた気がするこの所。メタさんのお陰です。お誕生日だったんですね。おめでとうございます!
あ、2回送られてました。ごめんなさい
さすがメタさま、
全然そよ風じゃないです。
ありがとうございました。
スピリチュアル万博、満喫してくださいませ。
ずっとジャッジと境界が一緒くたになっててよく理解できませんでしたが、整理された記事を読ませていただき、輪郭が掴めてきました。そうか!と目の前がぱっと開けて、ぷち次元上昇気分です(笑)。有り難うございます^^
ジャッジするのも自由だけど、結果楽しくならなのでそれを選択しない選択をしたいものです。
内的に境界をきちんと保ちつつ、対外的にジャッジしない世界を作っていきたいな。まず自分が変わることですね^^
前にメーさんに悔しいことを思い出して投稿した時、
「道でうんこを踏んだと思って忘れましょう」という言葉に救われた
と言うか元気が出たので、何かあると ”そう” 考えてます♪
(笑った後には)最後の「忘れましょう」が大切だなぁと真面目に考えてます!
ジャッジしそうになった時、おすすめしちゃいます♪
メーさん、有難うございます♡
前回のコメントで入れるの忘れました。日にちたっちゃったけどお誕生日おめでとうございます。
ジャッジメント、難しいです。
どうしても気に入らない人とかいますが、あまり気にしないようにはしているんです。それでも何かあればイラッとする。これもジャッジメントなんでしょうねぇ。でも嫌いなもんは嫌いだし。
悪いとか思ってはいないけどやっぱり自分の中でジャッジメントしてるんだと思うんですよ。
これ、しばらくは葛藤しそうです。なるべく気にしないようにしておきます。
>悪人であっても10分後、半年後、或いは何年か先に、自分が傷つけてきた人の痛みを感じ、深く反省し、優しく広い心を持たれているかもしれません。
アメイジンググレイスですね。
私、papanさんの考え方好きです。
>誰かの言葉やレッテル、評価の上に立つのではなく、自分の両足でしっかりと地球に立って生きたいですね。
私も、そういう私でありたいです。
ジャッジメントをすると
自分も狭めちゃうっぽくしんどいんですけど
好き嫌いは大事な触覚の1つだと思ってて
そこどうする??って感じです(笑)
返信ありがとうございます^^
僕のコメントは長くて、判りづらいですし、皆さんの和気あいあいとしたポシティブな空気感を壊してしまっていたら申し訳ないなぁと思い、しばらくコメントは控えようと考えていたところでした。
>私、papanさんの考え方好きです。
有難う御座います。でも、たろーさんの心が既に感じておられることだから、そこに共鳴されたのでしょうね。僕のほうこそ、心の繋がりを感じて嬉しくなりました、有難うございます^^
>僕のコメントは長くて、判りづらいですし
わかり易いかどうかは わかりませんが…
響きました⭐
長くなるのは、反応から得た情報を紐解くと はしょっても そうなりますよね。
情報量が、たくさんだって事だと思います。
私も長くなっちゃう。
以前は、一つの何かに幾千もの札が降ってきて…
すかさず「これだっ!」って札を掴み取るような 動きでした。
なので、肝心なフレーズだけポンって出すので、よく「話が飛び過ぎてわかりづらい」と言われてました。
今は、一気に降りてきた情報の一つを紐解くような 解釈の仕方なのですが…
「話が長い」になります。w
とりあえず今は、紐解きを身に付けて…
そのうち、ちゃんと伝えられつつ 相手の負担にならないようなコミュニケーションを目指したい!
ふふふ…
まだまだ道半ばです。
楽しい⭐
過去記事の『神との対話』を読んでいて
いいことを思いつきました。
私は『進化』って言葉が好きで
『進化』と『ジャッジメント』を並べてみて
ジャッジメントは踏み倒していくことに
決めました。
『考えたら負けや!』(笑)
*同じシリーズで『反省したら負けや!』
もあります。
どちらかと言うと普段から反省しすぎる人が
反省する傾向があって、ちゃうなって(笑)
ズンズン行ったら進化してる、そんな感じに
したいです。
勝ち負けは自分との勝負に、ってことです。
うまく纏められないんですけど…
自分自身の経験を書きます。
特にジャッジを意識した事ではないのですが…
私の場合は、自身の反応をよく見ること。
そして、自分の余裕と相談して 相手の反応を よく見る。
これを、し出してからはジャッジしない私に成れたかも。
…と云うか、ジャッジを意識してない感じ。
話題から反れちゃいますが…
自身の反応を見ると、ワンクッション入るからか 反射的な反応を返さずに済むようにもなりました。
私にとって、とても ありがたい効果です。
素朴な疑問なんですが、「ジャッジメントしてはいけない」って言うのは、ジャッジメントしていることになるのではないのでしょうか。ジャッジメントはダメ、と言うジャッジ、つまり判定・判決を下していると言う意味で。どうなんでしょうか。
僕も道半ばです。ゴールなんて霞んで見えませんw
歩くのは自分の足で歩みますが、同じ道には沢山のメタファミリーがおりますので、たまには大きな岩に腰かけて、たろーさんと一緒に綺麗な景色を楽しみましょうね^^
遅ればせながら。。
メタさん お誕生日おめでとうございます♪
いつも素敵な記事を読ませてくださって、有り難う御座居ます。
めちゃめちゃ遅くなりましたが…
Happy (belated) birthday! スーパーキュートなメタさまへ☆
私はいろんな方の素朴な疑問が大好きです。
確かにそうだなって思いました。
Jonathanさんの素朴な疑問が私の中で腑に落ちました。
本当にそうだなって(^O^)
私は素直な気持ちで生きて行きたいです。
ありがとうございました(^O^)
はじめまして。
私もよく、スピ系のサイトをいろいろ読んでいて、似たようなことを思います。でもたぶん、過去のメタさんの記事を読むと、「ジャッジする人みんな村八分!」というような意味ではなくて、「知識として知っていて欲しい、どうするかはあなた次第ですよ」ということなんじゃないのかな?と思うことにしてます。
少し落ち着いたので、返信欄使わせてもらいます。
私は、この手に大きく反応しちゃうので…
この手のコメントは気をつけていたりします。(^^ゞ
私もそう思います。
そして、もう一方で…
このステップが合う人も居るのかも?とも思います。
答えはわかりません。
大切なのは…
何かを提示された時、「自分自身がどう感じるか」なのだと思うんです。
Jonathanが感じたこと。
そして、そこから見つけるJonathanの何か。
提示はきっかけ。これも大切。
でも、きっかけから得るものが
私たちにとって意味があるだと…
私は そう思います。