ジャッジメントとは
ジャッジメントとは、直訳すると「判断」、「審判」です。スピリチュアルの文脈で使われる時は、「善悪や優劣の判断を下すこと」、「一面だけを見て、それを定義したり、カテゴライズすること」といった意味になります。単なる区別とは違って、比較や優劣の価値観、それに伴うネガティブな感情と結びついたものとして扱われます。
ジャッジメントが問題なのは、倫理的によろしくないということではなく、それがあると自分の世界が窮屈で生きづらくなるからです。
ジャッジメントの対義語は、「ありのままに受け入れる」です。
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※チャンネリング・エリックは、20歳の青年エリックがアストラル界からお送りするスピリチュアル学習番組です。
登場人物
- 母: エリックのお母さん。この番組のMC。
- エリック: アストラル界の住人。
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ジャッジメント
母: 今日は、ジャッジメントについて聞きたいんだ。神や天使みたいな存在が、私たちを裁くことっていうのはないんでしょ。
エリック: ジャッジメントっていう考えは、人間が作ったものだからね。地球の次元にいると、ジャッジメントは僕らに一種の力を与えてくれるんだ。まあ、偽物の力なんだけどさ。人間て、善悪や優劣をつけて判断することで力を感じたり、自分に価値があると思ってしまう生き物なんだよ。誰かを悪いやつを作ると、自分が正しいやつになった気がするだろ?
母: すごくよく分かる。
エリック: でも、ジャッジメントと識別は大きく違うんだよ。
母: どういうこと?
エリック: 「よし、もう何事もジャッジしないぞ。危険なことでもやってみよう」って言うのは、極端過ぎる。そうじゃなくて、自分が誰であるとか、自分の役割や性格なんかを見極めることが識別だ。
母: 意見を持つみたいな?
エリック: うーん。まあそうかな。
母: でもさ、たとえば「スージーが青いドレスを着ている。素敵ね」とか、「そのドレスは似合わないから買わない」って言うのは、ジャッジメント?それとも、識別?
エリック: それは観察って感じかな。
母: どう違うの?
エリック: 識別っていうのは、自分の個性から来るものだよ。自分が誰であって、この世界で何をしているか。そういう個性の違いを見つけること。ジャッジメントっていうのは、批判につながること。ジャッジメントは、することもされることもあるけど、誰かに何か言われたからって、そいつは君じゃないから、本当のことは分からないだろ。逆も然りだけど。
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ジャッジメントと意見との違い
母: でも人間は、意見を持つでしょ。ジャッジメントと、どう違うの?
エリック: ほとんど同じだよ。それは自分の考えや、自分の真実に執着するってことだから。意見っていうのは、それを言う人の意識や、その人が世界をどう眺めるかが、反映するんだ。たとえば君が「あの人は最悪」という意見を持つなら、それは君が意識の中で囚われている「最悪」の定義が、反映されているだけなんだ。
母: でも、本当に最悪な人っているでしょ。それはどうすればいいの?
エリック: 確かに、いわゆる最悪な人っていうのは、沢山いるよ。でもジャッジメントがない状態っていうのは、それをただの意識の階層の違いとして認識するってこと。「まじかよ、こいつ最悪!」って思うなら、そう思うのはどうしてか?その感情を引き起こすトリガーを探った方がいい。そのトリガーがあるから、君はそのようなリアクションを取る。なければ、普通に接することができる。
母: 最悪だと思う人にネガティブな対応をするとかではなく、ただ最悪だなって思うのはどうなの?
エリック: ネガティブな反応をせずに、ただありのままに眺めるなら、バイブレーションは高いままだ。
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自分に対するジャッジメント
母: 自分に対するジャッジメントっていうのもあるよね。
エリック: それが最大のクソなんだよね。
母: 私が思うに、自分に対するジャッジメントっていうのは、両親とか兄弟、仲間の意見や、世間体による外側からのジャッジメントに由来してるんじゃないのかな。でも、それを自分の基準として受け入れてしまうみたいな?分からないけど。専門家から説明してよ(笑)
エリック: ほとんどの人は、自分の頭の中で、いつも考え事をしている。でも多くの場合で、それは自分自身の真実ではないことを観察しているだけなんだ。頭の中の声って言うのは、実は自分自身の声じゃないんだよ。この話は、すごく面白くってさ、僕らは自分で自分のことをジャッジするだろ?誰でも自分の意見には重きを置くから、自分へのジャッジにも、実際、重大な価値や真実があるように感じるんだ。で、すごくダメージをくらう。自分の意見っていうのは、たとえそれがネガティブでも、自分の中では絶対的に思えるから。でもそれは、スピリチュアル的にも、肉体的にも、精神的にも、非常によくない影響を与えるんだよ。自分が大切に思っている人の意見なら、みんな、なおさら真に受ける。自分が何に価値を置くかには、よく気をつけなくちゃいけない。
母: そうだね。
エリック: 自分に向けたジャッジメントっていうのは、世間がノーマルだとする基準にも、多く関係している。その基準から外れてしまうと、僕たちは自分に対するジャッジメントを始める。
母: うん。
エリック: 社会が基準を作ったからって、誰もがそこに当てはまる訳じゃないよ。「自分が普通じゃないのは、自分に何かが足りないからだ」なんて、絶対に思っちゃだめだ。出来るだけニュートラルなままでいるんだ。自分をダメだと思いそうになったら、そう思う判断の基準は、本当に自分自身の真実の声なのか、それとも、誰かの基準に過ぎないのか、よく考えよう。
母: じゃあ、自分に対するポジティブなジャッジメントはどうなの? やっぱり自分の意見か、他人の基準か、よく注意した方がいいのかな?
エリック: まあそれは、みんなやるんだけどさ。とにかくジャッジメントなんて要らないんだよ。ただ愛があるだけだ。
母: 自分を愛しなさい?
エリック: そうそう。
母: 「私の新しいヘアスタイル、気に入った」とかは?
エリック: ヘアスタイルも、いつかはまたモジャモジャになるだろ?だから、それだけに重きを置かない方がいい。
母: なるほどね。
エリック: キーワードは愛なんだ。