趣味や好みが変わる
今日、私は珍しく映画館に行って、北野武『アウトレイジ最終章』を観てきました。出てくる人が本当に悪い奴ばかりで、非常にどきどきしました。北野武は、なんだかんだ好きな監督なので、新作が出れば観に行きます。
かつての私は、映画と音楽と本しか趣味がないような文系で、特に映画は本当に沢山観ました。どれくらい観ているかと言うと、「エマニエル夫人」をパート4まで観ているくらいです。でも今では、そのどれからも、すっかり遠ざかってしまいました。
アセンション症状の中にも、好みや感覚が変わるというのは、必ずと言っていいほど挙がります。以前好きだったものに興味がなくなったり、食べ物の好き嫌いが変わったりすることは、きっとみなさんも経験されているのではないかと思います。
でも、単純にライフスタイルが変わったり、年を取るにつれ、趣味が変わることもありますから、若い頃の趣味をずっと続けている人の方が、珍しいかも知れないですけどね。
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もういない自分
「アウトレイジ」からの帰りがけに、確かに「最終章」も面白かったけど、やっぱり二作目が一番よかったな、あれは”好きな邦画のベスト”5に入る…などと考えていて、「あれ?”好きな邦画ベスト5”のうち、残り4つは何だっけ?」となりました。自分で自分に振っておきながらボケるノリつっこみと言うより、あれだけエネルギーと時間を費やしたことがまるでなかったことのように、記憶の手触りがおぼろげなのです。
以前、私が好きだったのは、洋画の有名どころで言えば「タクシードライバー」みたいな。”個の解放イコール死と自由とエクスタシー”みたいなテーマの映画が好きでした。その頃の私にとって、本当の自分の望みなんて、”ここではないどこか”へ行かない限り、叶わないと思っていたんでしょう。
でも今となっては、「そんなこじれた奴、自分の中にいたっけ?」という感じです。
単純に趣味が変わったと言うより、もういない自分の面影を辿るような感覚でした。
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タイムラインをジャンプする
欠けた部分が満たされると、以前、欠けていたことすらも忘れてしまいます。心の傷やトラウマ、カルマも、そのように癒し、解放することが出来ます。
そして解放されてしまうと、今の自分のタイムラインからすらも、消えてしまったように感じます。たとえ無数のタイムフレームが同時に存在し、その中の一つにかつての自分が存在するとしても、そのタイムフレームとのつながりが、とてもかすかになってしまったように感じるのです。
それが、タイムラインをジャンプするということなのかも知れません。
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などと、あれこれ考えながら銭湯に行ったら、あろうことか、間違えて男湯に入ってしまいました。今日一番のびっくり事件でした。大ジャンプし過ぎました。
きっとみなさんの中にも、もういない自分がいて、望むタイムラインへ進まれていることだと思います。でも男湯に大ジャンプは禁物ですよ。
ちなみに銭湯はフロント式で、脱衣場には私の他にスキンヘッドの人が後ろを向いて着替えていたんですよ。
「最近は、尼さんも来てるんだな…」なんて思って、ふと見たら、すね毛がめっちゃ生えてるんですよ。でも「尼さん、すね毛が濃いんだな…」なんて思って、さらにふと見たら、ち〇こついてるんですよ。でも「最近は、ち〇こついてる人も女湯に来るんだな…」なんて思って、いやいや、そりゃないだろと、ようやく自分が間違えたことに気付きました。
尼さんを見慣れ過ぎてるのも、いかがなものかと思いました。