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「気付きノート」

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気付きノート

私は、自分のToDoリストや、夢日記、その他もろもろの気付きを、ノートパッドアプリに書き溜めるのが好きです。以前は日記を書いてたこともあるんですけど、気付きとして箇条書きにすることで、後から読みやすいですし、何より自分の変化がよく分かります。

人に歴史ありということで、当時の私の様子を振り返りながら、年代ごとに、いくつかピックアップしてみましょう。

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2012年 素朴な気付き時代

今から5年前に、私は「気付きノート」を始めました。

スピリチュアルへの興味は、それ以前から始まっていました。この時点での私は、ほぼ一通り知りたかったことは勉強してしまって、興味の矛先が自分の内側へと向かってきた頃です。どんなことを書いているでしょうか。

 人生で大切なこの(2012/08/03)

自分の人生と他人の人生は別物だと考えること。自分の身は自分で守ること。自分が嫌いになるようなことはしないこと。 

 向こう側に持っていけるもの(2012/12/12)

死んだら、愛した記憶といくつか学んだことしか、あの世に持っていけないんだって。ほっとした。それなら得意だ。

自分で振り返ると、この頃は相当素朴です。

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2013年 微妙に進化が始まる時代

この年は「気付き」としてのエントリーは、非常に少ないものでした。この頃の私は、ドリームボードのように自分の考えを整理することにハマっていたので、「やりたいこと」「なりたいもの」「叶えたい夢」など、いろんなリストを作っては、作っただけで終わっていました。

でもそれが下準備のようになって、この翌年に仕事を辞めてしまいます。この年、「気付き」としてエントリされていたのは、以下の一つだけでした。  

 心のバウンダリーを越える(2013/02/13)

「そこまでしなくても」という言い訳が、心の可能性を狭める。たとえ本人が嫌でも、メッセージは常に進化の方向へ向かわせる。

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2014年 退職時代

仕事を辞めたのは、こうしたいという強い目標があった訳ではなく、このまま続けていたら将来が見えないから、この辺で方向転換してみようと思った結果です。「願えば叶う」と、あれだけ大勢の人が言うんだから叶うんだろうと思っていました。

次にどんなことをしようか模索する中で、心の中にある数々の恐れを発見し、その対処法をシステム化して考えることに凝っていました。

 天使に頼んでみる:2014/07/09

頭にこびりついて離れない考えは、たいがい一方的な考え
一方的だからこそ取りつかれるのであって、双方向的であれば、もう少し建設的に物事が進むはず
ハートは恐れを感じない(はず)

思い込みをぶらさげて暮らすのは重たいので、天使に持って行ってもらおう

 処方箋を考える(2014/12/17)

建設的なことが何一つ考えられない時は、どうしたら気分が切り替わって、前向きな気持ちになるか考える。
たいてい最初は頭が働かないから、木のあるところにいって深呼吸する。
呼吸が整うと、考えられるようになる。

本当に欲しいものが分かる前に、ダミーとしてそんなに欲しくないものが出てくるから、それは思い切って捨てて、本当に欲しいものを買う

処方箋の効果があったのかは覚えていませんが、 この年は、途中でアメリカに行きます。  

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2015年 ルー大柴時代

この年は、ほぼ丸々アメリカにいて、本当にヘブン・オン・アースな感じの楽しい一年でした。この年の気付きノートも、今読むと、調子よく瞑想っぽいことをルー大柴口調で語っていて、非常にウザいです。

 すべてはひとつ(2015/03/18)

否定するのではなく、そういう選択もあると思えるのが大事。
そうなった時、序列はなくなり、すべてのコンポーネントが宇宙の大切な一粒一粒に思える。
だからこそ、すべてはそのままで世界に貢献してる 。

 悟りの道(2015/06/18)

人は瞑想とマントラだけでは悟れない。エンライトメントされるには、字義通り、エネルギーを軽くする必要がある。

なにがエンライトメントだよって感じですけどね。アッパーな状態だったんでしょう。

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2016年 残り物が沢山見つかる

前の年にずいぶん調子良さげな感じだった私ですが、スピリチュアルの成長のサイクルでは、その調子良さを越えて、というか、そこから一旦墜落して、はじめて本当に重要なことがばんばん出て来ます。

この年は、このブログを始めたことと、長く付き合っていた恋人と別れたことがあって、いろんな気付きが山のようにありました。  

 責めるより、解決を(2016/01/20)

自分の主張や思いを100%相手に理解してもらうことはできない。責める相手がいると、つい責めたくなってしまうが、本来は誰のせいでもないこと。起こるべくして起きているだけ。

相手を責めたくなるのは、責めている間、気分が休まるからだ。

解決方法だけにフォーカスしよう。自分が変化することでしか何も変えられない

 自己評価の低さ(2016/05/25)

自分に対する評価が低く、我慢の限界がなかなか来ない。
辛い状況にあると、むしろおなじみの状況過ぎて、逆に落ち着く。

 いろいろな気付き(2016/06/21)

可哀相な人との比較で生きている
自分は特別だと思っている
神頼みしても駄目なものは駄目
ちょうどいいタイミングなんて来ない
いらないものはなくなる
性癖は秘密の宝庫
人は成長につれて変わる
世界には、人の数だけ真実がある
見たい世界は自分のフォーカスによって決まるというのは本当
生きやすい世界を選ぶことは悪いことじゃない
世界は選べる
自分の世界でどれだけ明るく楽しく生きられるかが、バイブレーションを上げるカギ
体の心地よさが、心を導く
その感覚に従えない時、何が自分を押しとどめているか知る必要がある

 本来の自分を引き寄せる:2016/06//24

引き寄せの法則に関わるピュアデザイアというのは、本来の自分になること

まだ多少ルー大柴症状が残ってるようですが、「本来の自分とはなんぞ」やというのが、この年最大の気付きだったように思います。結婚して幸せになりたいと言う夢が自分に向かなかったことを、痛感したんでしょうね。

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2017年 まだまだあった

もう充分、よーく分かったと思っても、まだまだ気付くべきことはあります。今年の最初の方は、ヴィーガン活動家とつきあっていたので、怒りやジャッジメントについて考えることが多かったです。

 

 ストレスを感じるのは(2017/01/21)

自分の中に、「こうあるべき」というモンスターがいるから

 怒りは痛みに基づいている(2017/01/31)

怒りは、痛みに基づいている
だからこそ克服するのが難しい

 ジャッジメントについて(2017/02/20 )

ジャッジメントの根っこには、自分のほうが優位だと思う気持ちと、自分の優位性を脅かされるのが怖いから相手を否定したい気持ちがある
闇を是正しようとするのではなく、光の部分にのみフォーカスするとき、人と人はつながれる
ジャッジメンタルな人に対して、私は、ものすごいジャッジメンタルになる
自分の”正しさ”を手放せるかどうか

 自分のバイブレーションを掘り出す(2017/02/20)

人生は自分のバイブレーションを掘り出すようなもの。それは他人に由来する信念に埋もれていて、普段は気づきにくい。自分もよく知るバイブレーションなんだけど、それが自分のコアだということは、要らないものを捨てていって、ようやく分かる。
暗闇を抜けるのは、細い光の筋を頼りに進むようなもの。そのバイブレーションを確かに心に刻むこと。

 ただの思い込み(2017/03/20)

自分が思い込んでいたことは、本当に思い込みに過ぎない
だからこそ必要以上に気にしなくてもいいし、思い通りにならなくてもいいのだ

 否定の本質(2017/05/06)

全ての否定はルサンチマンです

 こだわりがなくなるということ(2017/08/23)

自分の問題がなくなると、自分にこだわる必要もなくなる

その結果、デトックスが進んで、気付きもシンプルなものになって行きました。

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そうこうするうちに、最近ではついには夢日記すらも書かなくなってしまいました。気付きはわざわざ書き留めなくても、自分のバイブレーションの中に入るからです。それによってバイブレーションも変わりますし、必要な時に必要な形で、その気づきを取り出すことが出来ます。

でも記録をとっておくと、こうやって後から楽しむことができますね。

一番最近の気付きとしては、「空気の中に甘い蜜みたいなのが入ってるから、そこにつながると、いろいろ健康によい」です。