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スピリチュアルであることの弊害 スピリチュアルをやめよう


スピリチュアルをやめよう

先月には日食があり、みなさんも大きなシフトを経験したと思いますが、それより前から、僕の頭には常にあるメッセージがあり、それが日増しにクリアになっています。

そのメッセージとは、「スピリチュアルであることをやめよう」というものです。

これはジャッジメントから来ているものではないし、こうしろって言いたい訳じゃない。僕がそう感じるようになったのは、スピリチュアルであろうとすることで、多くの人が行き詰っていると思ったからだ。

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スピリチュアルは分離を生み出す

スピリチュアルという考えも、結局は分離を生み出すものでしかないと感じている。「スピリチュアルな私たち」と、「スピリチュアルでない彼ら」を分断するために使われるツールにすぎないってね。「この教えはとてもスピリチュアルだから私には合う」とか、「あの教えはスピリチュアルじゃない」とか、そんなの、本当に馬鹿げてるよ。

そうやって分離を作り出す考えは、結局、苦しみの種になるし、自分のスピリチュアルな性質を自分で否定するものだ。

僕らはみんなスピリチュアルなのにね。

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スピリチュアルで幸せになれる?

そして多くの人は、自分で分離を作り出しておきながら、自分の状態があんまり苦しいから、もっとましな場所があるはずだって考える。新しいクリスタルがあれば/新しいヒーリグを受ければ/新しい教えを学べば/新しいレベルの資格を取れば…と、きりがない。

何かを求める旅路は、すごく大切だよ。それを否定してはいない。ちょうどおとぎ話の英雄のように、魔法使いに会ったり、山に登ったり、宝を探したり、僕らは旅路を行く上で、いろんな経験をする必要がある。

でもたとえ山の頂上に上ったとして、それが自分の真実を知る役立たなかったら、何の意味があるんだろう?

君の真実とは、君は常にパワフルで完璧であり、ソースとつながっているということだ。僕らはその真実を知るために、ここにやって来ている。今、この瞬間とつながり、その真実をフルに体験するために、ここにやって来ているんだ。

そう考えると、五次元だのレプティリアンだの、大天使や、ブルーレイやインナーアースなどは、ただのノイズにしかならない。

答えはそこにはないからだ。

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Stop Being Spiritual by Andrew Martin on YouTube


スピリチュアルであることの弊害というか、面倒くささみたいなのって、よくある話だと思います。

スピリチュアルって、鉄道オタクの世界と似ていて、知識に詳しくなる人もいれば、旅好きになる人もいたり、駅弁マニア、鉄道模型マニア、西村京太郎マニアなど、相当に幅のある楽しみ方が出来ると思うんです。

でも最終的に違うのは、スピリチュアルは、自分が抱えていた荷物を下して、楽になったり自由になれるものじゃないなら、つまらんということだと思います。

またアセンションが進むと、スピリチュアル自体に興味がなくなると言われています。

青い鳥みたいなもので、結局何もいらないと気付くんですよ。