カリフォルニアには、全米で最も高級と言われるオーガニックスーパーがあります。ロサンゼルスに本拠地を置くエレウォン・マーケットです。セレブやインフルエンサーとコラボしたカラフルなスムージーやライフスタイルグッズがTikTokで次々にバイラルになり、Z世代を中心に一躍その名を知られるようになりました。まあ、いかにもな店ですよ。
しかし意外なことに、このエレウォンの創業者は日本人でした。60年代にマサチューセッツ州ボストンでマクロビオティックの理念を広めるべく活動した久司道夫・アヴェリーヌ偕子夫妻が始めた小さな健康食品店だったのです。以来60年近く経ちますから、すっかり老舗です。
どこにもないユートピア
店名の「エレウォン」は、1872年に出版したイギリスの作家サミュエル・バトラーの小説『Erewhon』に由来します。これは逆さ読みすると「Nowhere」、つまりどこにもないユートピアを表します。『Erewhon』は同名である架空の国への訪問記という体で書かれていて、エレウォニアン(エレウォンの国民)は当時のイギリス社会とは全く異なる奇妙な価値観を持ち、病気は罪だと考える菜食主義者でした。
Human laws must emphasize the decrees of nature.
人間の法律は自然の摂理を重視しなければならない。by サミュエル・バトラー
このエレウォンという遊び心のある言葉を気に入ったのが、マクロビオティックの創始者・桜沢如一氏でした。彼は著書や講義で何度も引用しています。マクロビオティックは一般的には玄米を食べる菜食主義と思われがちですが、もともとは宇宙の万物を陰陽のエネルギーの組み合わせで考える壮大な哲学で、食を通じて心の平安と世界平和を目指すという大きなビジョンがありました。(ちなみにオリジナルの教えでは、肉食もOK)。
なお、バトラーの小説が最初に日本語訳された時は『エレホン』という綴りでした。太宰治の『正義と微笑』にも登場します。アメリカ英語では「エアウォン」と発音することもありますが、作者本人の注釈によれば「エレウォン」と読むのが正しいようです。
エレウォンの歴史
ボストンで創業した小さな健康食品店エレウォンが、ロサンゼルスの高級スーパーに変身するまでには、運命の不思議としか言いようのない歴史があります。そもそも、アメリカにマクロビを伝えたのは創始者の桜沢氏ですが、彼は非常に精力的な人物で活躍の場をインドやヨーロッパにも広げていきました。そこで彼の後継としてアメリカでの活動を担ったのが、弟子である久司道夫・アヴェリーヌ偕子夫妻でした。当時彼らが活動の中心としていた東海岸で、味噌や醤油、大豆などの乾物を日本から輸入販売するの卸売販売会社としてエレウォンを創業します。1966年のことです。彼らが最初に日本から輸入した商品は、ごま油だったそうです。
その頃、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が話題となり、アメリカでは大企業が主導する資本主義的フードカルチャーに反対し、より自然で健康的な食品を求める社会的変化が巻き起こっていました。それ以前のアメリカ料理は、私たちが考えるステレオタイプの健康に悪そうな食べ物ばかりでらね。(缶詰やTVディナーなど)。
エレウォンは静かな人気となり、やがてうわさを聞き付けた同好の士たちが各地からちらほら集まって来るようになります。彼らは店で働きながらコミュニティーを形成し、久司夫妻の下で学んだマクロビを広めていきました。
サンフランシスコでは禅のサークルでマクロビを知ったヒッピーが、ボストンまで駆け付けたと言います。インターネットがない時代に、決してメジャーではない東海岸の個人商店の名前が、どうして西海岸まで伝わったのかというと、ほぼ口コミのような形だったといいますから、すごい伝播力ですよね。
エレウォンは、70年代を通じて着々と成長し、西海岸にも出店します。ところが、それが吉とは出なかった。1981年に突如、破産申請をすることになります。当時のオーナー、久司アヴェリーヌ夫人は、回顧録の中でその理由をこう説明しています。規模が拡大したことで、マクロビに対して尊敬と感謝の心を持たない人たちが従業員として入ってきたこと、そのような人たちが労働組合を作り勤務条件の改善や賃上げを要求をしてきたこと、店の急成長を支えるだけの財政的準備が追い付かなかったことなどです。
これはひょっとして、日本式ど根性経営vsアメリカ式ビジネスマインドの齟齬だったんじゃないのかと個人的には思いますけど、拡大の過程で創業者の理念が薄れてしまうのは、経営の世界では珍しいことではないですよね。
その後、紆余曲折があり、最終的にビバリーヒルズに残っていた店舗を現在のエレウォンオーナーが買収したことで、高級路線につながる第二章が始まります。そもそも当初の計画ではニューヨークの高級食料品店ディーン&デルーカを西海岸に誘致しようとして契約がうまくいかず、その代替案として、たまたまエレウォンを見つけたと言いますから、運命は不思議です。
エレウォン探訪
さて、私はベニスビーチのエレウォンを見に行きました。店の前にいきなりテスラのサイバートラックが停まっていてびっくり。買出しに来るセレブが高級車で乗り付けるらしいと噂には聞いてたけど、本当だったのか。
では店内を見てみましょう。
エレウォンの伝統
オリジナルのエレウォンは、アメリカで自然食品店なるものを始めた最初の店であるとも言われ、今ではアメリカでも普通に売っている味噌や醤油、玄米などの食材を広めた立役者でした。現在、アメリカで最もメジャーなオーガーニック食料品スーパー、ホールフーズ・マーケットの「Wholefoods(全体食)」という理念は、マクロビオティックの「身土不二(地元産のものを食べる)」、「一物全体食(まるごと食べる)」という理念にも通じます。その意味では、日本の禅がマインドフルネスとして発展したのと同じくらい、エレウォンの功績ははアメリカの食の在り方に多大な影響を与えました。
現エレウォンのホームページには、久司夫妻が伝えた理想のビジョンを引き継ぐものとして、こう書かれています。
By filling our bodies with the best the Earth has to offer, we can become our best selves.
地球が与えてくれる最高のもので体を満たすことで、私たちは最高の自分になれるのです。
私自身は好きなもの食べてればいいじゃないか派なのですが、体の陰陽バランスをとることはそこそこ気にします。そんなことを考えつつ、店を出て海までてくてく歩きました。
この時、私たちがLAに行ったのは今年の1月3日だったのですが、その後、大変な火災が発生してしまいました。とてもショックです。
正義と微笑を久しぶりに思い出させてもらってとても嬉しい
中学生の頃の私の運命的バイブルだった
やっぱり私は一刻も早く義務教育を終わらせて、役者にならなくちゃならないんだと思っていた
それからしばらくして、人生が崩壊したころ、自分の持ち物をほとんどすべて捨てた
本もみんな捨ててしまった
新たに本を買い足すのに、昔持っていた本をまた買うのはなんだか気持ち悪いような気がしたけど、それでも二冊だけもう一度買い直した本があって、そのうち一冊が「正義と微笑」の収録された新潮文庫の「パンドラの匣」
それともう一冊は、中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」
これはいつかメタさんが、記事の中で本棚の画像をあげてくれていて、そこにバンド・オブ・ザ・ナイトがあって、それを見たら自分の本棚にそれがないのがやっぱりなんだか納得がいかないような気持ちになっていそいで買い直したものです
どっちもそこにそれがあるというだけで満足して、そのあと特に読んだりはしないんだけど
いま、久しぶりに正義と微笑を手にとって、エレウォン?エレホン?さすがに覚えてないなとパラリとめくってみれば、やはりすぐさまそのページは開かれるわけで
日本晴れの天長節、相変わらずこの芹川進というやつは斜に構えてて生意気だなあ
私にそっくりで、あんまり違いがわからない
そこにはありありとあの頃の私がいる、はっきりと、ありありと
過去っていよいよなんだろか
今、つながりを取り戻す過去と決別する過去とが、ここにある
ひどい頭痛がしたかと思えば、すっかり軽くなる
過去ってなんだろうか
私も読書好きな少女時代を過ごしています。中学高校で、父が無理して姉と私の為に買ってくれた、
得難い海外文学全集が本棚にありました。毎日読み耽っていたので、その頃テレビの話にはついていけなかった。高校卒業して働きながら文化服装学園で学び、読書からしばし離れたけれども、それでも本を買い求めて読みましたが、それらは皆友人に上げてしまい、何故か今ではどんな本だったかも忘れています。
それに結婚して家を出ている姉から、数年も経ってからあの本どうした?持ってる?と聞かれて、うっかりその本も誰かにあげていたこと、姉が買った本だったのに、忘れてたわ。
人にあげてしまい、今さら返してとも言えないし、ごめんごめんでしたっけ。
部分的に、知識として残っていることもあるし、何よりも色々な主人公にであって楽しかったことは
全ての本に言えます。
最近、読みたい本を買ってきて、読んでいない本が、あるんです。読んでいない本は人にあげづらいですね。