スピリチュアルの人は、なんでも愛と光で片付けようとして、胡散臭いとよく言われます。特に、実際に苦しんでいる人が世界中に大勢いる状況で、「すべては神の計画」とか、よくそんなこと言ってられるなと、海外掲示板で大論争になりました。特にアメリカは、現在、黒人差別問題で大揺れですからね。どんな意見があるか見てみましょう。
愛と光だけで世界を変えられると思ってるの?
【質問】最近、私は友人とプロテスト(抗議デモ)について話してた。私の意見は「抑圧や暴力を終わらせるためには、行動を起こす必要がある」というものだけど、私の友人が主張するのは「すべては神の計画の一部で、すべての人の本来の姿は光であり、抑圧は幻想だ」っていう説なんだよね。以前なら、私もそれに100%同意したけど、でも今は、罪のない人々が殺されているときに、何もしないで「愛と光」とか言ってるのは、無責任すぎる。みんなはどう思う?
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【回答】
――― すべてに神の計画はある。でも私たちには自由意志もあるから、ただ待つだけじゃなくて、行動しなければならない。友人の話は間違ってないけど、神さまが魔法のように世界を良くしてくれる訳ではないよね。
――― 私も自分の心を落ち着かせるために「すべては神の計画だから、大丈夫」って言い聞かせることがあるけど、他人の人生には押し付けられないよね。
――― 人間は自分の態度を変えるだけで、人生を変えられるんだよ。僕も自分で経験したからよく分かる。
――― ↑そうやって言う人は、本当は自分たちの特権を守りたいから、変化に抵抗してるんじゃないかと思う時がある。本人は無意識なんだろうけどさ。
――― 抑圧を黙認するのは、カースト制と一緒だよ。偽の宗教ルールだ。この世界はとっくに限界に来ていて、人類を救うためには、全員が目を覚ます必要がある。
――― 何もしないことは、問題を認めているのと同じだ。光について話す人が、実際に暗い人生を送っているのを何度も見たことがある。
――― 愛と光なんて、クリスチャンのたわごとだ。自分が気持ちよく安全でいたいだけ。
――― 本当に意義のある変化を起こそうと思うなら、ネガティブな感情や怒りに駆られるのは逆効果だ。心が落ち着いていなければ、他人を助けることもできない。
――― 現実は不公平で、混乱と恐れに満ちた場所というのは事実だ。人生は、神と同じくらいリアルだ。問題を放っておいてもすべてはうまくいくと考えているなら、現実が見えていない証拠だ。
――― 古い決まり文句だけど、「あなたが世界の中で見たいと願う変化になってください」ってことじゃないのかな。自分の周りに、自分が望むバイブレーションを波及させることが大事なんだと思う。
――― 人種なんて、別の次元/領域から見れば関係ないし、人間はそれよりはるかに深い存在だ。私自身は争いやコントロールではなく、愛にフォーカスしたい。それが私のスピリチュアリティだけど、でも、黒人女性として生まれて、兄弟姉妹たちが耐えて来た闘争を無視することもできない。この問題はとてもヘビーで、どこから取り掛かればいいのかも分からない。
――― 私のヨガの先生は、混乱を避けるために、ニュースを見る時間を減らすことを勧めていました。でも、世界で起きていることに目を閉じてしまえるのは、それができる立場に彼女がいるからだ。自分でコントロールできず、恐れやストレスを生み出すだけのものは手放した方がいいと思う。でも、身近に苦しんでいる人がいる場合、そんなことは出来ないよ。
――― 偉大なスピリチュアルティーチャーやヨギの中には、革命家だった人もいる。ガンジーがいい例だ。
――― 正直なところ、どっちも正しいと思う。私たちは自分で理解しているかどうかにかかわらず、誰もに果たすべき役割や道があり、この時期に役立つスキルやギフトを持って生まれて来ていていると思う。君の友人の役割はヒーラーとか、平和のために祈ることで、君の役割は直接的な行動によって社会に変化をもたらすことかも知れないよね。
――― マインドフルであるということは、問題を無視することではなく、感情に突き動かされず、人生に関わるという意味だ。変化に貢献するには、確かに多くの方法があるよね。
スピリチュアルを巡るこういう議論は昔からありますが、誰もが納得する答えを見つけるのは難しく、でも、みんなが考える機会になるのがいいですよね。核心を突かれてグサッと来たり、自分の立場や信念が揺らぐくらいで丁度いいと思います。自分の中心のバランスを、常にアップデートできるからです。
最後の方のコメント素敵ですね
スピリチュアルで使う言葉には
誤解が多いと思います。
同時に複数の問題を一個にまとめて
考えようとしてる点もまずいし
それに宗教的な価値観が絡むと
全くお手上げになる。
我々は何千年も
出来ない子の様に育てられて来たが
実際は違う。
しみついた価値観を拭う第一歩が
光や愛を思い描くことなのかも。
光や愛って比喩だと思います。
人類の最大の武器は想像力です。
自分の希望を思い浮かべれば
それは必ず実現する世界にいるのに
想像力を使わないように
使っても失敗するように
コントロールされてるから
まずそこからです。
何千年の思い込みは簡単に外れないけど
応援してくれる兄弟みたいな存在がいるから
今はミラクルが起こりやすいと思われます。
取り組む際は段階があるから
自分にも他の人にも
『まだ〇〇できてない!』とか
言わなくていいです。
子育てなんかと一緒です。
要するに『分けて考える』といいです。
2番目の方の、私も自分の心を落ち着かせるために「すべては神の計画だから、大丈夫」って言い聞かせることがあるけど、他人の人生には押し付けられないよね。 や、
11番目の方の、私自身は争いやコントロールではなく、愛にフォーカスしたい。(略) でも、黒人女性として生まれて、兄弟姉妹たちが耐えて来た闘争を無視することもできない。(後略)
に共感しています。
私自身は、自分の苦しみにしろ世界の苦しみにしろ、申し訳ありませんがもう抱え切れないので、流させて スルーさせて下さい と流している 送り出している最中です。
優しい美しさを表現することを増やしています。
関わり方はたくさんあるというのは、その通りだと思います。
でも、特に愛とか光というのは、渦中にある人たちに伝えることはないです。
言葉の定義が人により様々なことを差し置いても、それはあまりに無神経だと思います。感情あっての人間ですから。
そういう中で、ハッとしたことがあるのですが、
「闘うことを止めた途端に腐っていく」と書いていた方がいて、
それまで誰もが、あまりに眼前にあるから向き合わざるを得ないのだと思っていたのが、「闘う人」がいるんだ! と。最初からそうだったかは分かりませんが…
俺が私がやらねば誰がやる!と、あるいはより穏やかに取り組んでいける人たちに、どうかお願いします とお任せしたいです。1%位は残すかも…でも自分の状態により色々です。
苦しみは深く癒やすことだと思っていますが、対応できる範囲があります。
私は心身の無理が次第にきかなくなり、離脱することにしました。
重いエネルギーを扱う人たちへの敬意を忘れずにいたいです。
追記: 私は独身で、稼ぎの仕事も無理なので公的援助で生活費を頂いてます。
暗い人生に見えるかもですが、それは特に問題でないです。自分にとっては望ましいベストな状態です。