スピリチュアルのよいところ

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アメリカと日本は時差が大きくて、感覚的に言えば、アメリカの朝は、日本の夜だ。しかも日本は、日付変更線をまたいで翌日になるから、日本に電話をすれば、明日に暮らしている人と話すことになる。ちょっとした時間旅行のようでもあるけど、時差も距離も飛び越えて、今を通じてつながることの不思議さを感じる。

一方、文化の違いについて言えば、アメリカと日本は、時々、鏡写しのようだ。たとえば、日本でラグビーワールドカップがあった時は、普段はスポーツに興味のない人も熱く語るのを見聞きしたけど、アメリカではまるで注目を浴びていなかった。そもそも、ワールドカップとか、オリンピックの類には、アメリカ人はさほど興味がないらしい。CC(夫)に言わせると、アメリカ人は自己中だからだそうだが、もちろん、多民族国家だからでもある。国家と言う名の下に人々が団結するのは、微妙に違和感があるのだ。もちろん、健全なコミュニティを作るには、お互いを思いやり、違いを尊重する必要があるのは、どこの場所でも変わらないだろうから、どっちがいいと言う話ではないと思う。

また、過激な話題で言えば、日本人的にはぎょっとするかも知れないけど、今年、私が住むカリフォルニア州オークランド市では、マジックマッシュルームやペヨーテ、アヤワスカなどの幻覚植物を非犯罪化する条例が成立した。なんと、議会は満場一致だったと言う。非犯罪化はコロラド州デンバー市に続いて全米2都市目で、これにより、販売は不可でも、所有や使用は認められるようになった。この動きを先導したメキシコ系の議員によれば、大手薬局スーパーが存在しないメキシコでは、言わば、おばあちゃんの知恵袋的な民間療法として広く使われているのだそうだ。

一方、そんなアメリカも、酒タバコに関しては、日本のようにどこでも気軽に買ったり、飲んだりすることはできない。電車の中で缶ビールを飲もうものなら、誰かに通報されて、次の駅で警察が乗り込んでくるだろう。このギャップはなんだろうと思う。アメリカの大麻の話に眉をしかめる日本人がいるように、日本でのお酒タバコの話をするとアメリカ人があきれる。

どっちがいいと言う話じゃなくて、まるで、それぞれが若干違ったバージョンを生きるパラレルワールドのように感じる。

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先日、感謝祭の午後、友人の尼さん(通称シスター)と、ルーと私とCCで集まって、お茶をする機会があった。シニアたちは、久しぶりに会うと、互いの健康状態についての話になる。

シスターは、少女時代をベトナムで、その後、人生の大半をフランスで過ごしたため、漢方や鍼はもちろん、ハーブやエッセンシャルオイル、ホメオパシーが好きだ。アメリカには腕の良いホメオパスがいないと、よく嘆いている。

一方、ユタ州出身のルーは、いかにもアメリカンで、西洋医学しか信じない。 しかし、彼女のいいところは、個人の自由を尊重することで、彼女自身、誰にも何も薦めないかわりに、自分が信じないものを実践する人たちのことも否定しない。

帰って来て、夕飯を食べながら、CCがこんなことを言った。

「代替療法と西洋医学は、そもそもカバーする範疇が違う。西洋医学は症状に直接働きかけるけど、代替医療は土台となる体質やエネルギーをゆるやかに変化させていく。好みはあるだろうけど、どっちかが絶対と言うものでもないんだよね。」

それはスピリチュアルの考え方にも近いと思う

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「スピリチュアルで幸せになる」なんてフレーズは、よく見聞きする。でも、欲しいものを手に入れるとか、願いを叶えるだけなら、スピリチュアルじゃなくても問題ない。

私にとって、スピリチュアルが世の中に役立つと思うことは結構あるのだけど、一つは「答えは一つじゃなくていい」という気付きだ。

スピリチュアルでは、あらゆる宗教の神々や聖者を同時に認めるし、宇宙人も天使も妖精もユニコーンも、なんだってありだ。どれか一つだけが正しいということはないし、見方を変えれば、すべては同じソースの別の現れだと言うこともできる。3次元や5次元とは、単に順番であって、優劣の話じゃない。多次元的であるということは、あらゆる次元を同等に評価するということだと、私は思っている。

スピリチュアルは、誰もが違って、それでいいのだと気付かせてくれる。私たちには、それぞれの学びと役割があり、みんながその時のベストを尽くしているだけで、本質的には誰も間違いじゃないし、失敗でもない。あるがままの自分を無条件に愛すると言うことは、自分を誰かの上にも下にも置かないということだ。

価値観は、人や地域や国、時代によって異なる。どれか一つが絶対ということもない。私たちは常に変わり続けるエネルギーだ。バイブレーションがアップダウンするのは、ごく自然なこと。そして大切なのは、その時の自分にとって心地の良いバランスポイントを見つけることだ。

みんなが、自分のスピリチュアルの道のりを歩んでいる。道をどのように歩もうと、誰もが痛みや悲しみを経験し、愛や自己実現を求めている。そう気付くとき、他人の中にも自分を見る。私たちは、相似形だ。そうしてはじめて、私たちは、一つなるものの別々の表れとして、同じソースからやって来ているのだと実感する。

世界は役割分担だから、今の自分にできないことは、必ずしもする必要のないことだったりする。できるときに、できることをすればいい。自分に厳しく当たるのは、いつも自分自身であって、宇宙的には、誰もが最初から愛されていて、許されている。肩ひじ張ることは無いと気付かせてくれるのも、スピリチュアルのよいところだ。

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我が家では、上の階に住むゲイのカップルが、毎週末、ハウスとテクノをかけながらパーティーをする。隣の部屋に最近越してきた家族はイスラム教で、早朝から祈りを始める。隣のビルに住む同じ階の人は映画好きで、ある時は、ロッキーを1から3まで一気見して、鳴りやまないロッキーのテーマに眠れないこともあったが、幸いなことに、最近引っ越した。

そんなカオスと言うか、ユニークな場所に住めるのは、アメリカならではかも知れない。誰かの身に危険が及ぶことなく、みんなが楽しんでいる限り、ここでは自由だ。

でもよく思い出してみると、私が日本で最後に住んでいたのも、最寄り駅から自宅のマンションまで徒歩5分の間に、風俗やラブホテルが何軒もあるという変わった町だった。ここでもフラクタル、と言うか、なんだよ自分、ただのカオス好きかよ。

でも、そんな世界に愛とピースマーク、そして光を。

スピリチュアルのよいところ」への6件のフィードバック

  • 2019年12月13日 @ 10:30 PM
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    私がスピリチュアルを好きな理由は、目に見えないぶん誰にも証明はしきれないから、屁理屈であっても理屈が通れば「不可能」が「可能」になることです。
    その可能性を、ハートと思考で創り出せるところです。
    求めているものは結果より可能性のような気がします。
    その可能性は、生きていこうと思える理由になるから。
    自分でも甘っちょろい考えだなぁとも思うんですが、自分という「存在」はそれだけでいいんだという可能性をくれたのは、私にとってはスピリチュアルでした。
    というより「自分」を突き詰めて考えていったらそれがスピリチュアルだったという後付けなんですが。
    以前よりずっと自分の周りにある「スピリチュアル」が自由に感じます。
    元からそうだったんでしょうね。
    私自身が自分を窮屈にしてただけで。
    めたさん、いつもありがとうございます。

  • 2019年12月13日 @ 10:49 PM
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    「日付変更線」なんて、日本にしか暮らしたことのない私は教科書で見た以来初めて見た・くらいの文字ですが(笑)改めて「時間」という概念を意識する線ですね(・∀・)

    私は今年初めて「ホメオパシー」に接する機会があって、実際にレメディを使ったのですが、
    そのレメディの、いわば「エネルギー」を摂取することで症状が改善されたことが不思議でもあり、その後レメディを摂らなくてもそのエネルギーとつながれるようで、どんどん状態が改善されていくことに「不思議」を通り越して「そういうことなのか!」と、よくわからないのに納得。(笑)

    きっと「理屈」じゃないんだよね・なんて、
    理屈で考え始めたら、理不尽すぎて生き残れないこの世界を生きる「虎の巻」がスピリチュアルなのかな?と、
    メタさんの記事を読んで思ったりしました(^∇^)

    ラブ&ピース! 私もカオス大好きです✨\(^o^)/✨

  • 2019年12月13日 @ 11:14 PM
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    基本的にスピリチュアルで
    どうスピリチュアルなのか
    どんな種類のスピリチュアルなのか
    自分ではこれと分かっているけど
    伝えるのは難しい。
    いいところは自由につながるところです。

    『メタ様の』文章を拝見するのが
    とっても楽しみになってます。

  • 2019年12月14日 @ 6:06 AM
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    いろいろな神様、宇宙人、天使、妖精を信じられるのなら、様々な人の立場や信条、価値観を受け入れることなど、朝飯前になるだろうな。。。と思いました。

    また、さまざまな人たちのユニークな表現方法を感じ取れる柔軟さを身につけることができるだろうな。。。と思いました。

  • 2019年12月14日 @ 11:43 AM
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    メタさんの
    『スピリチュアルは、誰もが違って、それでいいのだと気付かせてくれる。私たちには、それぞれの学びと役割があり、みんながその時のベストを尽くしているだけで、本質的には誰も間違いじゃないし、失敗でもない。あるがままの自分を無条件に愛すると言うことは、自分を誰かの上にも下にも置かないということだ。』

    ってところにホッとしました!

    愛ある他の誰かの宇宙を否定したくないので。

  • 2019年12月14日 @ 4:04 PM
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    フラクタルだと気付いた日常が、やたらと愛しい今日この頃です。
    角度を変えた新鮮な発見がいっぱいあって。
    この人生が大好きなんだなあって思い知らされてます。

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