真の愛を見つけ出し、経験するための最大の障壁は、私たちの心の中にあります。私たちは愛を疑い、恋に落ちることを恐れ、自分自身を守るための誤った試みに懸命になります。人々が愛することを怖いと思う場合、多くは以下のような理由からです。
1.人生計画の変更を余儀なくされる
好きな人が出来るのは構わないのですが、その人と関係が深まることを考えると、既にある自分の人生計画の予定を立て直さなくてはいけない気がして、躊躇します。
2.過去の痛みに直面する
新しい人と出会い、関係を築く時、過去の心の傷をもう一度、掘り起こさなくてはならない時があります。せっかく治ったと思ったのに、また元に戻るかと思うと、ちょっと面倒くさいです。
3.感情のアップダウン
愛を受け入れることは、同時に痛みを受け入れることでもあります。けれども、どうしても痛みの方ばかりが気になってしまいます。
4.予測不可能なものに振り回されたくない
仕事も生活も、余暇も、今ある人生で、ある程度、自分のコントロールが取れていると、愛という全く予測不可能なものに飛び込むのは、リスクを負うように感じます。
5.自分の弱さに直面する
恋愛なんて面倒くさいとうそぶいたところで、実際は、信頼した人に裏切られるくらいなら、最初から信頼なんていらないと考えてしまうのです。
6.自分に自信がない
結局のところ、愛を恐れる一番の理由は、自分に自信がないからだったりします。
7.愛の不平等
与える愛と、受け取る愛の両方のつり合いが取れていればいいのですが、多くの関係は一方的か、少なくともそう見えます。自分の方が何かを失くしてしまう気がするのです。
People Are Afraid To Fall In Love And These Is Why by Conscious Reminder
この項目は恋愛に限らず、その他の人間関係にもあてはまるような気がします。愛はパワフルなだけに、怖いんです。
後でなくなってしまうなら、最初から要らないというのは、子どもの頃に感情的なトラウマがある人に多い傾向だそうです。愛に対してそんなふうに感じる時もありますけど、変わらない絆の強さを感じることもありますから、どちらかだけが答えと言うこともなく、コインの裏表のようなものかも知れません。
愛は生きてるうちが華ですから、できるだけ楽しくやりたいものです。
そうなんですよね~ 特に5と6番ね(;^_^A
特に今は自分にとって「恋愛どころではない」という時期なのもありますが、
いろんな別れや離婚を経て、いずれ変わる自分の気持ち・だったり、変わるかもしれない相手の気持ち・だったり、
「愛」についての根拠のない自信は、やっぱり根拠のないものだった・と知るとか、「恐れ」があるんですよね。
職場の人間関係程度に「どうでもいいもの」なら気が楽だけど、本気だからこそ怖かったり(^_^;)
「これを始めるとハマってしまうのがわかるから、あえて手を出さない」なんてムダにストイック?なことをすることもありますが、自分にそんな制限や我慢させる必要あるか?と思うと、ないんだよなぁ。
また恋愛に、愛に本気出せる時が来たらリミッター外して全力で行きます\(^o^)/✨ いつのことやら(笑)
自分で作っている壁に気づけたら
もう 怖くありません 。
ぶっ壊すだけです 笑
5年間ずっと好きだった人が婚約するらしいです。
今日ひょんなことから知りました。
これでよかったようななんかさみしいような。
でもシングルで息子育てながら、忙しくても笑顔の練習とか
してたのは好きな人がいたからできたことだし、感謝ですよね。
今日の記事の1~7、5年間でいっぱい経験しました笑
すごくわかります!自分の壁知ってるって最強ですよね!
ニックネーム・emailアドレス・認証コードは必須です。…
子育て真っ最中なので、愛すること→こども
という目線で読ませていただきました。
リアルに当てはまりまくりで面白かったです^_^
幸せなはずの子供を身篭った時に抱く不安感って、大体ここに書かれてるものから来てるのかなって思いました。
全部味わいつくそー
自分を愛そうが嫌おうがどちらの時も、現実にブッ飛ばされたり吹っ飛ばされたりしながら来ました。そこから自分を守ろうとして、自分もたくさん誰かを傷つけてきたりしました。
最近、乗り越えたはずの「自分が自分だからこうなってしまうならどうすればいいんだろう」がドカンときて、色んな事を思いながら、きっと相手もみんなもそうなんだなって思いました。
みんなそうやって自分を試行錯誤しながら生きてるんだなと。無責任な考えかもしれませんけども。
私はやっぱり人が少し怖くて、でも人が好きだなと思います。
もっと上手に人を愛せるようになれたらいいなと思います。
あわよくば、上手に愛されたいとも思います(笑)
こんな甘っちょろい考えだから、誰かを傷つけたりするんでしょうけれど。
それでもやっぱり何回も踏み出せたらなと思います。
たとえば本当に後でなくなってしまうんなら、尚更その時間があったことはしっかり感じたいです。
「はじめから無きゃ良かった」には、捕まらないでいたいです。
どの出来事も、違う道に変えてても通る道だったと思うから。
んで、都合の良い考えかもしれないけれど、自分に関わってくれたことに、感謝できるようになりたいです。
メタさんいつも記事のアップありがとうございます。