スピリチュアルでは、私たちはあるがままで素晴らしい存在だと言います。分かっちゃいるものの、やっぱりリアルの世界ではそうは思えない…というジレンマは、きっと誰もが経験すると思います。このテーマについて、海外のスピリチュアルピープルたちは、どんな会話を繰り広げているでしょうか。
あるがままで自分は素晴らしいと思えない時
【質問】「私の魂は神聖で、あるがままに素晴らしく、パワフルだ」とポジティブに考えられる時と、「自分にはまったく価値がない」とマイナスに考えてしまう時がある。どうして自分に自信が持てないのかと言うと、子どもの頃、親に受け入れてもらえなかったのが影響してると思う。こういう悩みって、みんなどうしてる?
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【回答】
――― ハートを信じるんだ。君には価値があるし、感情にコントロールされるためにここに生まれてきたんじゃない。
――― その気持ちはわかる。でも、傷も人生の一部であって、完全になかったことにすることは出来ないけど、もっと自分に注目するきっかけになる。
――― 思考や感情は、3次元の自分が作り出すものだけど、本当の僕ら自身はもっと深い存在だ。思考は賢いふりをするけど、結構な割合で、僕らを道に迷わせる。
――― そもそも僕たちの思考の大部分は、危険を回避するための防衛本能に基づくものであって、でも現代の僕らは、洞窟に住んでた頃と比べると危険にさらされる心配はないから、そこまで防衛本能も要らない。自分を否定しそうになったら、その思考にとらわれないで、一歩引いて眺めてみよう。それもまた自分の一部だって、認めてあげるといいんだ。
――― ”自分を信じたいけど、信じらない”という思考パターンは、自分の価値を求めてる限り、いつまでも続く。価値ある人になるために、何かを探し続ける羽目になるし、気分のアップダウンは絶対になくならない。「自分はすごい」って思える時はうれしいけど、それには必ず、「自分はすごくない」って落ち込む時がついてまわる。
――― 自分に価値があると考える時、本当はよくない部分もあるのを無視して、それを周りの人に投影してるだけだと思う。なんで価値ある人間になる必要があるって思うの?何が出来れば価値があるって思える?そんなの、君が頑張ってきたことにくらべたら、たいしたことじゃないよ。
――― たぶん、”愛される価値のある人になりたい”と思うのだろうけど、それは誤解なんだ。君が欲しい愛や、君に必要な愛は、他の誰かから来るものじゃない。自分のことを愛する人がいてくれるから、自分に価値があると思えるのは、誰でもはまるトラップだけどね。木を愛するように、自分を愛するんだ。木はまっすぐなのもあれば、曲がってるのもあるけど、みんなしっかり根を張って自立している。それと同じ。
――― 思考や感情はコントロールする必要はない。でもそれにコントロールされないように注意すればいいんだ。
――― マインドフルネス瞑想をやるといいよ。頭の中をぐるぐる回ってる思考や感情を、上手に扱えるようになる。
― 自分を支えてくれたり、勇気を出させてくれる思考はインスピレーションや直感から来てる。自分にダメージを与えるような思考は、本物のインスピレーションじゃない。ネガティブな思考は、過去のトラウマからの反響に過ぎない。それは、現在の事実に即したリアルじゃなくて、間違った考えだ。間違った考えを持つと、自分が世界から切り離されたように感じる。真実につながってないからね。そういう思考が持ち上がる度に、過去の要らない思考なんだって思うのが大事。
私はもともとロングスリーパーなのですが、ここしばらく、毎日すごく眠くて、10~12時間睡眠が続いた時があって、何もしないまま、本当にあっと言う間に一日が終わってしまうんですけど、今は寝る役を務めてるんだなと思って、寝てました。みんなあるがままで、価値と役割があるんでしょうね。
最近本当にこの記事に当てはまることがあって、私自身進んでいるのかどうかわからなくなっていました。
しかもその理由が超くだらなくて、自分でもどうなのって思うレベルで、真剣に悩んでいる人たちに失礼なくらいなので余計落ち込んだw
でもこの記事を読んで、自分の価値について悩むことも、自分の感情から来ていることなのだと、やっと芯からわかったというか、自分を責めることなくただわかったという感覚で悟ることができました。
意識上昇を学ぶ道で出る答えって、本当にあらぬところからいつも来ます。
何回も何回も同じことで躓いて、ここでまた1つ理解できたのだから、進んでいるんだなと思えます。相変わらずこんな自分だけど感謝しています。ハートを信じていきます。ありがとうございます。
無価値が大前提でもオッケーだと思います(^^)
価値が無いことは、素晴らしいと思っちゃいけない理由にはならないと思います。
価値が無いことは、自分を愛しちゃいけない理由にもならないと思います。
無価値感が出たら間違いって訳じゃないと思うし、
仮に間違いだったとしても、素晴らしくない理由にもならないと思います。
だってそんなルール、誰も決められないもん(*´∀`*)
あってもこっそり無視しちゃえばいいんだもん(*´∀`*)
無価値感が湧き出る時は
「価値が無くても心を愛してくれるか」と心に聞かれている気持ちになります。
仮に本当に無価値なら尚更、自分の心は自分で愛するっきゃないから、答えはもちろんイエスのみで。
「こーやって確かめたくなる時ってあるよなぁ」みたいな感じで、時折、無価値感が湧き出る事にも、慣れて対処することは出来る気がします。
価値って「在る」というよりは「付ける」もののような気もするから、
色々ペタペタ付くものが無きゃ無いで、案外身軽なんじゃないかって気もします。
学校教育の名残りなのか、
順位がついて
競うことが当たり前になり
自分にダメ出しすることが普通
になったんだけど
それをやめたらいいと思う。
わたしも自動的にやってると思う。
いいところは人それぞれ
比べることが
本当は無意味なのかも。
この質問者さんのように、私も感情があっちこっちしてます。以前、メタさんの記事で、【価値という概念自体が存在しない】という言葉があって、あっそうなんだって感じでした。あっこれって、自分の力で何とかしようとするのは無理だなって思って、それからも感情のあっちこっちは有りますが、思いが出てくるたびに宇宙にリリースするようにしてます。
結構楽です(^o^)。