エンパスであることは、既に目覚めていることを意味します
こんにちは。私たちはアルクトゥルス・カウンシルです。あなたたちとつながれて、うれしいです。
私たちも、みなさんのバイブレーションから影響を受けています。つまり人類や、その他の次元間種族のバイブレーションが落ちれば、私たちもそれを感じるのです。私たちは、あなたたちの多くがそうであるのと同様に、エンパスの性質を持ちます。エンパスであるということは、既に目覚めていることを意味します。なぜなら真に目覚めには、他の人々に対する思いやりが必要になってくるからです。
人々を思いやろうと、意識的に考えることもありません。真に目覚めると、ただ、そうなるのです。あなたはこう考えるかも知れません。「私たちはひとつで、すべてはつながっているから、他人のことを気にかけるべきなのだ」と。けれどもハートが愛を感じるのは、あなたが他の人のバイブレーションにチューニングする時です。あなたのハートの中でそのバイブレーションを感じる部分が、私たちの言うすべてのソースなのです。
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エンパスであることの美しさ
ソースのエネルギーは、私たちのように、そして目覚めたあなたたちのように、エンパスの性質を持ちます。私たちは、互いのバイブレーションに影響されています。エンパス(共感)は慈悲の心を生み、それは銀河のあらゆる存在を結びます。エンパスでいると、人込みやパーティが苦手になったり、人の痛みに敏感になったり、困難も多いです。けれどもエンパスは、ただそこにいるだけで、他の人たちのために多くのことをしているのです。
今世、自分の本当の姿に目覚めると決めたことで、意識のシフトと銀河のすべての星系の統一について大きな部分を担います。エンパスは、たとえ抱え込んだ感情を扱いきれず、体を丸めてじっとしている時ですら、みんなのために任務をこなしています。エンパスであることの美しさは、シフトのエネルギーや、そのエネルギーがあなたと共に5次元への旅路を行く人たちに、どのような影響を与えるかまで感じられることです。
私たちはアルクトゥルス・カウンシルです。あなたたちとつながれて、楽しかったです。
Empaths & Awakening ∞The 9D Arcturian Council by Daniel Scranton
エンパスの人たちは、いるだけで周りのエネルギーがきれいになります。本人たちは全然気付かないでじっと耐え忍んでたりしますけど、実はそうなんです。エネルギーに左右されやすいのは面倒でもありますけど、どうやらそれだけではなさそうですね。美しさも深く経験できるのです。
心がふわ〜ってってなって、ハート薔薇が咲いたみたいな感じになりました。エンパスって素敵ですね〜。
キレイにしてるのですか
知らなかったです
何かの役に立っていて良かった
泣きたくなったり
嬉しくなったり
境界線が無くなって大変なんですよね
※なんでお前が泣くのかと言われても、私も困るし、親しくない人の結婚式で歯茎が見える勢いで笑顔になる自分に内心ひいた思い出。
そんな面倒くせぇ事が何かの役に立っているのなら、救いです。
最近、自分以外の事柄に心を配りすぎないように努めているくせに、違うなぁと感じていましたので。
いつもありがとう、メタさん。
おお。いつもつながりを楽しんでくれる方々ですね。
「私たちはひとつで、すべてはつながっているから、『自分』のことを気にかけるべきなのだ」って思ってました。笑
なかなかエンパスでいることは素直に喜べないですね。
あったことない人でも意識を向けられば、感情に影響されるし、思考にも影響があるのでその辺を明確に自覚していないと振り回されて大変です。
ポジティブな暖かな思いやガイドみたいな見守ってくれる存在も感じられるけど、この数年間はネガティブな感情を処理しきれない人のストレスのはけ口のような感じになることが多くて苦労しました。
最近になってようやく相手のネガティブな思考、感情、観念に対応する自分の恐れや観念を取り消していくと同調が外れて念を向けられても平気になったけど、完全にネガティブな影響を回避するためにはもっと自分自身の中にある恐れや観念と向き合い解放していかなければならないのでまだまだ修行中です。
この恐れや観念の中には二元論的な思考が元にあるのが分かっているのですが、例えば加害者と被害者や目覚めた人と目覚めない人とかの自我の認識を変えていかないと自動で反応してしまうのでかなり気を使います。
ただ、自我の緊張が抜けたリラックスした状態でいると完全に影響を受けないどころかネガティブな意識を全く感じない自然と喜びが湧き上がってくる意識状態になるのが分かっているのでそのへんを励みに頑張ってます。
たぶん、私もエンパスだと思うんですが、
相手が「 すいません 」と言った時に勝ったわけでなく、相手の恨みを買った。
心の底では、お互いに嫌いだと知りながらも、協力して物事を進められることが、真の孤独に強く成熟した大人である証拠。
この二つがしっかりと魂の中に入った時に、生きることが楽しくなり、体がとても楽になり、人の中に入っていけるようになりました。
それと、人は私を恐れているのではなく、光が当たって自分の影を見ることを恐れている。
と、いうことが理解できた時、人に気を遣わずに自分の思うままに振る舞えるようになりました。
最近、あるツアーに参加しました。
そろったメンバーは、ライトワーカーばかりのチームになり、
過去に開催したこのツアーでも異色の回になったようでした。
そのメンバーの中にあって、
わたしは自分の居心地の悪さを感じていました。
内観と成長の凝縮されたツアーだっただけに、
過去のトラウマやら内面のネガティブな意識がたくさん表面化し、
わたしの中で大セール(笑)
メンバーとの会話の中でも、色々な人の意識を拾っては、悶々。
でも、自分と他者の様々な意識の海を泳ぎながらも、
冷静な自分がいて、内観しつつ、
他者の問題に責任を負わず、
その人の選択(採用する感情や思考)に対して尊重と信頼をおき、
あくまでも自分自身に意識を向けていました。
問題(のように見えるもの)をクローズアップして、
感情面が優位に働くと、苦しくて、
芋ずる式に、子供の頃から傷(のように見えるもの)が疼いて、
「自分は全然変わってないな・・笑」的な自己憐憫がでてきたり。
わたしは、自分のエンパスが大きく影響してと思うのですが、
集団が苦手なので、他の人と長くいるのがシンドくなって、
途中から、メンバーに「一人の時間を多くとる」宣言をしました。
気持ちは楽になりましたし、
周りもこころよく理解をしめしてくれましたが、
一つにまとまっていい雰囲気になっているチームに
水を差している空気が若干漂っていて(笑)
それはそれで、またシンドイなと思う部分でもありつつ、
そこは、大目に見てよと、こころで甘えていました。
わたしは、このチームの中で、どんな役割を担っているのだろう。
わたしだからこその、チーム全体のパーツとしての役割、
わたしという個性。
それを視ることが、わたしを知る近道でもあり、
わたしの、生きやすさ、
最高最善のわたしの活かし方を学んでいる。
とツアー中は、繰り返し、思いを馳せていました。
エンパスであることは、特別なことではないけれど、
自分を知らず、これに振り回されてきて苦しいことは多かった。
でも、これを恩恵として受け取ったわたしは、
他人の痛み(歓びも)を感じられることを嬉しくも思うのです。
わたしの一部として、愛おしくもあります。
全ての人に、全ての存在に、
ありがとう。
はーいエンパス頑張ってます。
オートメーションで稼働中です。
最近、境界線が出来たので
つらくないわけじゃないんだけど
今そうなんだなって
受け止められるようになったかも。
だめだこりゃって時の
逃げ足も早くなったかもです。
自分を犠牲にしなくなったかも。