コンテンツへスキップ

すぐわかる『ラー文書』 その3.「一なるものの法則」


「一なるものの法則」とは何か

宇宙には、たった一つの法則しかなく、それが「一なるものの法則」だとラーは言います。宇宙は、無限の創造主と言う、たったひとつのものから出来ているという法則です。ラー曰く、その他の法則は、この法則の「ねじれ」に過ぎないそうです。

「ねじれ」というのはラー用語で、もともとひとつしかないエネルギーから、個々の違いが生み出されるきっかけとなるものです。それは個々の意識であり、愛であり光だとラーは言っています。

本当はみなさんも私も、机も、本も、無限の創造主と言う一つのエネルギーから出来ているのですが、「ねじれ」によって、個々の違いが生まれています。

「一なるものの法則」について、ラーはこんなふうに説明しています。

真実を言えば、正しい間違っているということはない。あなたたちがこれからなる姿に二極性はなく、あなたたちが自分だと考えるところのマインド・ボディ・スピリット複合体は、現時点ではさまざまなねじれを経験しているが、ある時点で和解する。この「ねじれ」は、いかなる場合においても必要ではない。全てのものを結び付ける思考の完全なる統合を理解する方法として、あなたが自分で選んだものだ。(中略)

あなたは全てであり、あらゆる存在、あらゆる感情、あらゆる出来事、あらゆる状況だ。あなたは統合だ。あなたは無限だ。あなたは愛と光であり、光と愛だ。あなたはあなただ。これが「一なるものの法則」である。(the Law of One session: 1-7

ラーの話は大き過ぎて、結局「ひとつなんだな」というところしか分からないのが面白いですね。宇宙は広いな。

・・・・・・・・・・・・・・

どうして沢山あるように見えるの?

いくらラーが「全てはひとつであーる」と言ったところで、実際、全然そう見えないのはなぜでしょうか。

無限の創造主は、ある概念を識別した。自由意志によって生み出される概念だ。この概念とは、有限性である。(中略)

無限の創造主は、自分自身の多様性を経験したかった。無限の創造主には無限の可能性があるため、多様性にも終わりがない。したがってこの探求は、永遠の現在として無限に続く。the Law of One session :13-12)

神が自分の無限の可能性を経験したいがために、有限であるところの個々の意識を生みました。

有限を通じて無限を経験するというのは、恐れを通じて愛を経験するとか、分離を通じて統合を経験するとか、スピリチュアルによく出る意味の分からなさの一つなんですけど、苦しみを越えてこそ人は深く愛を知るみたいな、そういうことです。

ただの無限て、ゼロと同じなんですよ。私たちだって、一生何もせずぼーっと過ごしているよりは、自分の可能性を様々な形で経験したいと思いますから、だいたい神さまも同じことを考えたんでしょう。

・・・・・・・・・・・・

私たちは神の実験に付き合ってるのか?

ここでちょっと余談ですが、「宇宙は神の壮大な実験である」というような表現があります。でも、別に神さまは私たちを試したり、もてあそぼうとは全然してないんですよ。単純に、みんな自分の経験をし、可能性を広げなさいというだけです。

「全然経験したくないよ」と言うのは、あくまでねじれが3次元に現れたところの自我が言うセリフであって、運命に翻弄されていると感じるのも、がっつり思いこみです。なんせ、こちとら創造主ですからね。

神が自分の無限の可能性を経験したいのと同じように、私たちの魂も究極的には、どの瞬間にも、自分の無限の可能性を経験したいんだと思います。それは自分の力であり、永遠性であり、愛であり、つながりであると言ってもいいでしょう。

・・・・・・・・・

「一なるものの法則」を経験するエクササイズ

でも無限の可能性なんて、どうやって経験するんだよって話になりますよね。そんな人のために、ラーがエクササイズを用意してくれています。偉そうに見えて、割と親切ですね。

エクササイズ1:世界は愛

どの瞬間にも、愛の意識で世界を眺め、ねじれを理解するようにします。ねじれを理解すると言うのは、むかつくなと思う人の中にも、意識があり、愛と光があると理解するということだと思います。このエクササイズは、第三密度の分離という幻想を超える上で、非常に有益なんだそうです。

エクササイズ2:君は創造主

あなたが誰かを見る時に、その人の中に創造主を見るようにします。分かりそうで分からない話ですが、その人にもその人の宇宙があると理解するということでしょう。

エクササイズ3:私も創造主

鏡の中の自分を見る時に、そこに創造主を見るようにします。これはいいエクササイズですね。これからは毎朝、顔を洗う時にでも、「おはよう、創造主。今日も元気に創造しよう」と自分に言うといいんだと思います。

エクササイズ4:全ては一つ

全てのマインド・ボディ・スピリット複合体の中に、創造主を見ます。ということは、世界は創造主だらけで、しかも創造主しかいないんですよ。ありがたいですね。

以上のエクサイズの基礎として、ラーは瞑想や熟考、祈りを挙げています。そこを通じないとマインドが邪魔をしてしまうので、気付きに達するのは難しいんだそうです。(the Law of One: session 10-14)

・・・・・・・・・・

これが何の役に立つのか?

しかし、この「一なるものの法則」が一体何の役に立つのかと言うと、へーって思う以外に、何の役にも立たなそうですから、『ラー文書』がマニア向けの書物になってしまったのも、無理はありません。

そうは言っても、宇宙の根底にある法則であれば役に立たないはずもないですから、いくつか役立ちポイントを考えました。

1.進化に役立つ

「一なるものの法則」を体現するのが、宇宙の究極の進化系なので、その意識を保つことは自分の進化に役立ちます。

2.自分の宇宙を形成するために役立つ

全ては自分であるなら、他人も自分の投影であり、そこから自分を進化させるためのあらゆるレッスンを引き出せます。

3.愛に役立つ

他人の中にも自分を見ることで、その人の在り方を理解し、愛と光を見出す役に立ちます。

愛に役立てば、だいたい何の役にでも立つでしょう。



この前、Bright Christmasという看板を見て、Bとrしか合ってないのに、「え?Bashar クリスマス?」と、見間違えてしまいました。

ラー油とか、ラー麺とかに、今後ひっかかりそうな気がします。

タグ:

「すぐわかる『ラー文書』 その3.「一なるものの法則」」への2件のフィードバック

  1. 自分は自分の世界を創造している。他の人は他のその人だけの世界を創造している、と思えばイラっと来ても、世界が違うからイイやと納得出来る…のかな?少なくとも自分の思い通りにしようと無駄なエネルギーは浪費しないからお互いの為かも。自分の投影であるならなおさら…あ、でもカチンときそう!悟るのは難しい。全てを赦し全てを愛し慈しみたいものです。

  2. 他人は自分の投影でもあるんですけど、形が違うだけで、誰もが同じものを自分の中に持ってるってところがポイントであるように、今は思います。誰にでもダメな部分はあるから、そいつだけ責めても仕方ないよ、みたいな。ダメな部分と度合いが違うから、自分が正しく思える時もあるけど、みんなダメな部分があって、それが深い部分では恐れや心の傷に基づいているという点では、人間みな平等なんじゃないかなと思います。私なんて本当にダメ過ぎて、ダメな人はむしろ他人と思えない笑。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です