ジャッジメント(判断)があるから選択が出来るのに、何がそんなに不健康なんでしょうね。
ジャッジメントとは何か
ジャッジメントjudgementとは、日本語だと判定、判断、審判などの意味になります。スピリチュアル界の頻出ワード集があれば、ベスト50に載っていいくらい、よく使われる言葉です。スピリチュアルの文脈で言うジャッジメントとは、自分の考えに基づいて誰かや何かを「こうあるべき」と決めつけたり、優劣や善悪をつけたり、批判することを指します。マインドフルネスの文脈だと、物事をただありのままに眺めようとせず、良い悪いの評価を下したり、理由を考えたりすることもジャッジメントと言われることがあります。
違いは、あって当たり前
でも、いい悪いの判断がなければ、何も選べないですよね。そこでこの業界、違いを考えるだけの行為には、別の言葉を用意しています。識別discernmentという言葉です。
- 識別:事実をありのままに見つめ、違いを知ること。
- ジャッジメント:自分の個人的な意見で、物事にレッテルを貼ったり、比較して優劣や善悪をつけること。
両者の傾向は、たとえばこんなふうにに現れます。
- 識別:「今日は暑くて、さっぱりしたものが食べたいから、かき氷にしよう」
- ジャッジメント:「かき氷は美味しいけど、この暑い日にアイスクリーム食べる人なんて、信じられない。人として常識なさすぎでしょ!」
ジャッジメントは、一見、会話のスパイスのようになっていて、割と楽しいという性質も持っています。
ジャッジメントの何が悪いのか
ジャッジメントの何が悪いかというと、倫理的に良くないとかは全くありません。本人が気にならなければ、何の問題もありません。けれども、しいて言えば、心身のヘルシーな状態をキープするのによくない影響をもたらす可能性があると言えます。
ジャッジメントとは、自他を比較し、優劣・善悪で判断することであり、そのようなマインドでいると、結局は他人だけでなく、自分にも優劣をつけることになります。自分より優れている人には嫉妬と自己嫌悪を感じ、自分より劣っている人を見ると安心するという、燃費の悪い思考のループに陥ります。まさに思考はブーメランですから、誰かや何かを否定していると、結果的に自分が苦しみ、生きづらくなってしまうこともあるのです。
ジャッジメントがよくない9つの理由
1.人々にレッテルを貼ることで、自分にもレッテルを貼る
人々をラベルのついた箱の中に閉じ込め、「この人はこういう人で、自分とは合わない」と決めつけたりする場合、人生の半分はチャンスを逃します。
2.誰の中にも過ちを見ることで、自分に対しても完璧主義になる
完璧な他人しか認められないのは、完璧な自分しか受け入れられないということでもあり、あるがままの自分と仲良くできません。
3.ジャッジメントが習慣になると、考え方が窮屈になる
人を判断することが習慣になると、服装、髪型、話し方、出身地、趣味など、あらゆることから人や物事を判断するようになります。
4.周りからネガティブな人だと思われる
本人がよければ、周りが何て言おうと、どうでもいいと思います。好感度なんて上げる必要ないです。でもそこまでして、自分が損する生き方を選ぶメリットもないと思います。
5.周りの人から信頼されなくなる
これも本人がよければ、周りのことはどうでもいいのですが、人から信頼されないと、ものすごい生きづらくなりますし、チャンスを逃します。
6.ジャッジメントは不幸のサイン
人を否定するのは、自分の不幸を紛らわし、自分の価値を正当化したいからだというのは、よく言われますね。満たされない自分がいる時に、人はジャッジメントをしがちです。
7.自分の価値を下げる
人を批判する人は、結局自分の価値を下げます。
8.本来の自分に気付けなくなる
「これはこうあるべき」という考え方に縛られると、本来の自分に気付けなくなります。本来の自分とは、愛であり自由であり、努力要らずの現実化が叶う最高の状態ですから、ステレオタイプにこだわることがいいこととは思えません。
9.自分の人生を深刻に考えすぎるようになる
人なんて本来ゆるゆるで、人生も流動的です。完璧な人なんていないですし、間違いや失敗は当然あって、そこから学びます。だから私たちは、いろんなことにチャレンジすべきなんだということを理解した方が、人生は楽しくなります。
9 Reasons Why Judging People Is A Very Bad Habit by Divyani Rattanpal in MensXP
スピリチュアルの世界では、絶対的な善悪の基準はありませんから、「ジャッジメントが悪い」と言っても、倫理的によろしくないという意味ではありません。それが自分のバランスを整えるならやった方がいいですし、バランスが崩れるなら何かを見直した方がいいという、ただそれだけのことです。
完全なノージャッジに生きるって言うのは、もはや趣味の世界です。けれども、ジャッジメントがなくなるほど、人生の自由度が増すのも確かだと思います。
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