運命とは、一般的に考えられるように目的地みたいなものではなく、人生を通じて表現する何か、みたいなものらしいです。
人生で、自分が変えられること
母: エリック、運命ってあるの?
エリック: それを話すなら、まず最初にカルマの定義から考えよう。自分で責任を負いたくない問題に対する言い訳として、カルマを持ち出す人が多すぎるから。
母: うん。
エリック: 実際は、カルマなんてないんだよ。誰か偉い人が、君のしたことのプラマイを調整する訳じゃない。それは自分でしなくちゃいけないんだ。でもそうなると、ジャッジメントが出て来る。
母: どういうこと?
エリック: つまり良いとか悪いとかさ。それもないんだよ。こっちの世界には、ジャッジメントの基準がない。従ってカルマもないんだ。目には目をって言うよね?君が誰かを傷つけたら、君が苦しむことになるって。それは一理ある。池に石を投げ入れて出来た波紋が、向こう岸に当たって戻って来るみたいな。でもそれは、みんなが考えるような、懲罰制度的なカルマじゃない。
母: 分かるわ。
エリック: たとえば君が、人生で苦しい思いをしているとしよう。君はこう考える、「前世でのカルマのつけを払ってるんだ」と。人は犠牲者になるのが好きなんだ。自分で人生に責任を持つよりも、誰かのおかげでそうなったと考える方が楽だからね。何もかも自分の好きにコントロールできる訳じゃないよ。でもその状況をどう捉え、自分がどう反応するか、選ぶことが出来る。
母: そうね。
エリック: でしょ。自分がいる状況っていうのは、自分がそこに参加してるってこと。被害者だとか、可哀そうな自分っていうレッテルを剥がそうよ。クソみたいなことなんか、いつだって起きるんだから。神様が救ってくれるのを祈るよりも、自分でアクションを起こそうよ。
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人生で、自分が変えられないこと
母: でも変えられないことについては、どうなの?
エリック: 転生前に、生まれ落ちる環境を自分で決める。貧乏、金持ち、喜び、悲しみ。これらの価値は、全部同じ。どれが良くて、どれが悪いとかはない。君が惹きつけられるレッスンを学ぶためのものだからね。
母: それは別の転生から持ち越してきたレッスンなの?
エリック: そりゃそうさ。たとえば自転車に乗れるようになりたいと熱望したとして、練習中に一回コケたら、もう二度と練習しない。そんなことある?
母: 乗れるようになるまで練習するよね。
エリック: ある転生で、君がものすごくパイロットになりたいと思ったとしよう。でも練習中に墜落して死んだ。それはクソだ。で、別の転生に入る。そこでもまたパイロットにすごくなりたいと思う。君はまた練習するだろう。出来るようになるまでね。
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コントラクト/デジャヴ/自由意志
母: 死も転生前に決めて来るの?
エリック: いつ肉体から脱出するかは決めて来るよ。でも死として計画するものじゃないし、予定外に途中離脱することもある。でもコントラクトは車道の中央線みたいなもの。それは常に人生に現れている。デジャヴは道路標識みたいなもの。それがある時、君は正しい道にいる。でもどうやって運転して、どんな道を辿るかは、完全に自由意志なんだ。でも中央線は、常にある。自由意志もそれを吹き飛ばすことはない。
母: 難しいんだね。
エリック: 自由はあるんだよ。確かに人間が理解するのは難しいかもね。計画を途中で好き勝手に変更しても、最初計画したのとまったく同じゴールにたどり着くなんて、よく分かんないでしょ。
母: 他人の自由意志は、そこに関わらないの?
エリック: もちろん関わるよ。君の人生にちょっかいを出してくる。
母: でも中央線は消えないって訳ね。
エリック: そう。
母: だけど選択をする度に、未来は変わるんじゃないの?
エリック: 選択をしても、未来に影響しないんだ。中央線は必ず人生に現れている。
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アストラル界から見る運命
母: 生きてた時に比べて、運命や自由意志の考え方は変わった?
エリック: 完全に変わるよ。なんでかって言うと、それはもはやミステリーなんかじゃなくなるからね。運命がどのように作用し、それが自分の人生にどんなふうに現れていたか。何もかも明確になる。人生とは何かが分かる。
All About Destiny part 1 on Channeling Erik
All About Destiny part 2 on Channeling Erik
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人生には、変えられることと、変えられないことがあります。生まれた環境や条件は変えることは出来ませんが、その条件は、人生の中で、一つの大きなテーマを設定しています。その大きなテーマこそが、運命であり、ソウルコントラクトです。
ソウルコントラクトとは、私たちが学ぶべきテーマであり、それを通じて得たものを、世の中に伝えることです。自分のテーマに、いつ、どのような形で気づき、いかに自分の糧に変えていくかは、個人の自由意志です。
でもラッキーなことに、学びとは全てポジティブなものです。
たとえば貧しい状況に生まれ育ったなら、豊かさとは決して物質的なものに限らないといういことを、別離の多い人生ならば、別離とは3次元の幻想であり、愛は全てを繋ぐということを、トラウマを抱えているなら、傷を癒すことで人は変われるということを、学び、そして伝えるために、私たちはそれぞれ、ここに生まれてきたのではないかと思います。
闇を光に変え、その輝きを魂の表現として示す力は、全ての人が持っていると私は信じます。