「ジャッジメントを手放しましょう」とかって、この業界ではよく言いますけど、そもそもジャッジメントとは何で、どうして手放した方がいいんでしょうね。
ジャッジメントとは何か
ジャッジメントとは、日本語で言うところの価値判断です。良い悪い、好き嫌いに始まって、勝ち負け、優劣、善悪など、自分の中の価値基準に従って、何かを判断することです。そんなの誰でもしますし、むしろそれがなかったら、どうやって生きていったらいいのか分からなくなりますよね。
スピリチュアル業界で言うところのジャッジメントの対義語にあたるのが、ありのまま受け入れることです。そう聞くと、そっちの方がよさそうですよね。無駄な抵抗や争いがなさそうな感じがします。
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ジャッジメントの根っこは何か
人が何かや誰かに対して否定をする時は、そいつより自分の方が上だ/ましだ/優れてる/わかってる/正しいって気持ちがあるか、逆に自分の優位性や存在価値を脅かすような相手に対してです。
たとえばお局さんが若いOLをこきおろすのは、彼女が自分の優位性を脅かす存在であり、自分の方が上だと思いたいからです。OLが職場でのさばったら、自分の存在価値が危ういですからね。
自分の存在価値を守ろうとするのは、いわゆるエゴの防衛本能ってやつです。
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ジャッジメントの何が悪いか
防衛本能がないよりは、あった方が安全な気がしますね。肉体的な安全に関しては、あった方がいいです。でも精神的な安全に関しては、そうとも言い切れません。
誰かや何かをジャッジする限り、永遠に自分をランキングシステムの中に閉じ込めることになるからです。自分より下の人を作るってことは、自分より上の人がいる可能性をも作るということです。つまりジャッジメントとは、他人だけでなく自分をもジャッジするシステムであり、それを続ける限り、優劣や比較、もっと言えば嫉妬に苦しむことになります。
自分は自分で、他人は他人で、まったく別々の価値と歩む道があると考えた方が、長期的に見ればずっと楽な訳です。
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ジャッジメントを手放すには
これに関しては、内省と考察、実践と練習あるのみで、特効薬がありません。でもいくつかのヒントがあります。以下は手順のようになっていますが、そうでもなく、いくつかのとっかかりとして考えてください。
1.ジャッジメントに気づく
まず第一の手順として、自分のジャッジメントに気づく必要があります。イラっとしたり、むっとしたら、そこにジャッジメントがあります。
2.相手の立場になって考える
個人的な感情で判断せず、相手の立場に立って考えましょう。悪気がなかったりすると、また余計にむかつきますが、その人的には他に選択肢もなく、仕方のないことかも知れません。
3.自分のやるべきことに集中する
今という瞬間にマインドフルになって、自分の目の前のやるべきことに集中しましょう。いくら相手にう※こを投げつけられたような気分になっても、そのう※こを抱え続けるのはよくないです。
4.状況から学ぶべきことを探す
「こんな人間にならないようにしよう」って考えるのは、あんまり健康的じゃないと、個人的には思います。それも優劣を作るジャッジメントですからね。
自分の中でジャッジメントを呼び起こすトリガーとなっているものは何かって考えていくと、いいと思います。どんな点がむかついて、それは自分のどんな信念に基づいているのかってことです。
5.自分のエゴに説得を試みる
自分の信念に気づいたら、それをひっくり返せるのか、自分の良しとすること以外の可能性をどうやったら受け入れられるのかについて考え、エゴに説得を試みます。
6.ハートチャクラにフォーカスする
自分のハートを通じ、相手のハートのエネルギーだけにフォーカスします。人間、誰しも痛みを抱えているものですし、どんな人も根はいい人です。
7.むかつく人の頭に天使が飛んでいるところを想像する
誰にでも天使がいますから、むかつく人の頭にも天使は飛んでいて、ニコニコしています。彼らから見たら、人間のもやもやなんて、取るに足らない小さなことでしょう。
8.一旦、状況を離れる
それでもむかついて仕方なかったら、一旦、状況を離れましょう。むかむかしているよりは、意識的に気分転換する方が生産的です。なんなら永久に離れても、その方がすっきりするなら、それがいいでしょう。
9.一緒に笑えることをする
一緒に笑えることをすると、ジャッジメントなんて一発で吹き飛びます。笑い合うことって、分断の世界を生きる人間に与えられた非常にパワフルなコミュニケーションツールであり、ヒーリングツールです。
笑って誤魔化すなよって話もありますが、笑って誤魔化されてしまうような迂闊な人間でありたいです。