常々思うのですが、”繊細な人”とエンパスは、似ているようで大きな違いがあります。
”繊細な人”
”繊細な人”と、ダブルクォーテーションを付けたのは、本当に繊細な人と言うより、自称”繊細な人”のことを指すためです。別にエンパスは特別とかって話では全然なく、ベクトルの違いこそあれ、本質的に差はないと思うのですが、その繊細さは世の中を幸せにするのかよといつも思うので、あらためてその違いを考えてみたいと思います。
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1.繊細な人は、ジャッジする/エンパスは、ジャッジしない
繊細な人は、世界を善と悪、光と闇、聖と俗、美しさと醜さに二分します。その区分も分かるのですが、エンパス的には、世界は全て平等に美しさを秘めていると感じるので、あんまり世の中の悪口を言われたりすると、悲しくなります。
2.繊細な人は、世界を良いものと悪いものに二分する/エンパスは、好きなものを選ぶ
繊細な人は、自分は繊細だから、良いものにこだわるということを主張します。それは全然いいのですが、世の中にはいろんな考え方の人がいる訳ですから、答えは自分の好きなもの、自分に合うものを選べばいいだけの話で、良い・悪いのジャッジは割と余計なお世話だと思います。少なくとも悪い理由を力説するのは、健康によくない。
3.繊細な人は、自分を守るためにネガティブなエネルギーにこだわる/エンパスは、自分を守るためにネガティブなエネルギーを手放す
繊細な人は、他人のネガティブなエネルギーには敏感ですが、自分の放つネガティブな言葉には無頓着だったりするのが、エンパス的には一番びっくりします。エンパスは、自分で言うネガティブな言葉にも悪酔いするので、自分で気を付けます。
4.繊細な人は、自分が一番/エンパスは、他人の中に自分を見る
基本のエンパシー能力には、他人の感情が分かるというのがありますが、どうして分かるかと言うと、自分と他人の区別があまりないからです。
誰でも自分の身を守るのは自分の責任ですし、それを最優先において間違いはないのですが、繊細な人は自分を守る上で、敵を作ります。敵の気持ちもたまには考えよう。根はきっといい人だ。
5.繊細な人は、味方の痛みを訴える/エンパスは、あらゆる人の痛みを感じる
繊細な人は、自分の仲間や、自分が味方だと思う存在の痛みは全力で訴えますが、相手の気持ちは割と考えないで、簡単に切り捨てることが多いように思います。
エンパスは敵味方なく人の痛みを感じるので、敵側の気持ちも汲んでしまったりして、妙に中立になったりします。
自分が生きやすくするのに特別のケアを必要とする点では、繊細な人、エンパスに限らず、あらゆる人に言えることですが、エンパス的には、いかにフォーカスを切り替え、スイッチのオンオフをするかが、必須のサバイバルチップになります。