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昔、チャネリング教室に行った話

あんまりチャネリング教室に行ったことのある人もいないと思うので、少し経緯は長くなりますが、私の経験をご紹介しましょう。

デジャヴに悩まされる

アウェイクニングのきっかけの話から数年間は、変わらず殺伐とした暮らしを続けていたのですが、ある時を境に、ひどいデジャヴに悩まされるようになりました。

その境目となったのは、事故で入院したことでした。

4人いて、私だけが病院送りになり、まさしく「なんで私がこんな目に」をうんざりするほど味わったのですが、ある夜、病院のロビーで電話を掛けようと思って、ベンチに座った瞬間、「あれ?これって、夢で見たことある…」という、デジャヴ独特の感覚がやって来たのです。

私のデジャヴは、「これってなんだか知ってる」と言うよりは、夢で見た景色を確実に覚えてるというパターンです。

しかしまあ、そんなこともあるだろうと、特に気にもしなかったのですが、退院してからも、似たような経験は続きました。そのどれもが非常に印象的だったのは、自分が願っていたのと、違う選択を余儀なくされた場所で、何度もデジャヴを見たことです。これってひょっとして、全部なるようになってたってことなのかな?と、不思議な感じがしました。

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前世を見てもらう

さらにデジャヴは頻繁に起こり、病気かしらと思って、インターネットでいろいろ調べたのですが、脳生理学にも心理学にもデジャヴについて納得のいく答えは見つからず、最終的にサイキック占い師のもとへ行くことになります。

そこで言われたのが、私は前世でシャーマンをやってるので、訓練すれば予見能力も発達するかもしれないということでした。

へーって思いますが、そんなの見た目で言ってるだろとも思いました。そりゃ確かに私はお姫様よりは、シャーマンぽいですからね。

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同じ前世を何度も言われる

その頃、遊んでいた男の子の話で、前世について興味深いものがありました。

彼がまだ10代の頃、たまたま家にやって来たお兄さんの知り合いに、彼の前世はモンゴルあたりの草原の部族の王子様で、国の権力争いに嫌気がさして、国を捨てて旅に出たと言われたことがあったそうです。でもまあ普通の人なら、へーって思って、忘れちゃいますよね。

ところがそれから何年か後、モロッコだかに行ったとき、宿泊先にたまたまいた人から、まったく同じ内容の話を、彼の前世として聞かされた言うのです。

前世って本当にあるのかなと、なんとなく信じるようになりました。

そんな折、私もまた別の場所で前世を見てもらう機会があったのですが、ここでまたしてもシャーマンだったと言われたわけです。そこで俄然やる気が出て、なぜかチャネリング教室に通うことにしました。

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チャネリング教室に行く

しかしそこはハードコアスピリチュアルな教室だったので、ズブの素人である私にはちんぷんかんぷんでした。アセンデッドマスターとか、DNAとか、なんとか星人とか、今でこそ自分の中では普通の話題ですが、当時はまったく何も知りません。いきなりペアになって、前世を見るワークとか言われても、その片鱗も分かりませんでした。

しかも当時の私はと言えば、ゾンビ映画とテクノとヒップホップが好きな、どう考えてもスピリチュアルとは程遠いタイプの人物でしたので、友達も出来ず、まったくキョドってるだけの変な人で終わってしまいました。

しかしおかげで、スピリチュアルの知識は分厚くつきました。

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懲りずにまた行く

そこからしばらくして、もう一回、別のところにチャレンジします。そこは、ゆるふわスピ系でした。「感じたことを、どんどん言葉にしてみよう!」みたいな。

今でこそ、それはオーソドックスな正攻法だと分かりますが、当時はやはりちんぷんかんぷんでした。そりゃ感じたことを言うくらい出来るけど、なんでそれがチャネリングなのか、意味が分かりませんでした。

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固定観念という、意識の中の壁

そしてやがて気が付くのですが、チャネリングやサイキックという現象に対して、私の中で頑固な固定観念があったのです。

それはたとえば、ある時、いきなり宇宙人が「こんにちは!僕たちは〇〇星人です!」って言いながら話しかけてくるような、そんな感じが正解だと信じて疑わなかったのです。疑う余地すらも、ありませんでした。だって、みんなそうやって会話してるじゃん。

ところがどっこい。

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チャネリングは、もっと自由であっていいはず

アメリカでは、直感リーディング(intuitive reading)というジャンルがあります。見える、聞こえるではなく、直感的に情報を感じ取るというものです。これが結構なポピュラーなジャンルでして、そのためのスクールやワークショップなんかも沢山あります。なんだよ、見えなくても、聞こえなくてもいいんじゃんと思ったら、急に視野が広がりました。

本来、チャネリングとは、誰もが日常的に行っているものだと言います。私もそう思います。それは最終的にはその人にしか分からない感覚を通じて行うものであり、一つの正解モデルがある訳ではありません。

しかしチャネリングだとか言うと、まずブロックとなるのは、その1.”そんなことをしたら人から変だと思われる”、その2.”そんな変なことをするのは馬鹿々々しい”の2点です。そのどちらの場合も、ブロックを作っているのは自分自身に他ならず、その頑固な思いをどうあしらうかが問題となります。

あくまで自分の変わった趣味の範疇でやる分には、なんの問題もないと思うんですよね。むしろどうして人は正しくあることにこだわるのか。正しくないのは嫌だからなのですが、その正しさとは何なのか。正しさとは、所詮、相対的なものでしかないんですよ。その辺を掘り起こしていった結果、飛躍的にいろんなことが分かるようになりました。

上達の最短距離は、自分の感覚を信じ、それを伸ばしていくことです。見える、聞こえる、感じるも、3次元的な感覚とはまた違った形でやって来ます。しかしそれは誰もが、既に受け取っているものです。

あとは気付くだけです。


でも自分の新しい可能性を開く上で、チャネリング教室やサイキック教室に通うのは、とても良いことだと思います。やってみたいことは、何でもやるべきです。