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ペルーのシャーマン休暇村に行った話 その2.出発前夜

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ペルーアマゾンのシャーマン休暇村に行ったのは、もう10年も前のことだ。南米にバックパックで一人旅なんて、今でこそ特別ではないけれど、10年前と言うのは、フェイスブックですら、まだ正式に日本には入ってきていなかった頃だ。どうしてそんな場所に行こうと思ったのか、順を追って説明するのは難しい。スピリチュアルの旅路にはよくあることだけど、そこに至るまでの点と線を辿れば、はるか昔まで遡るからだ。

けれども、ごく簡単に考えるなら、直接の理由は3つある。ひとつには、当時、運命的な出会いをした(と思った)人に失恋をし、それを機に、人生のパターンに向き合う必要を痛感したこと。それから、ちょうどその頃、事故によって片目の視力を損ない、ある程度まとまった額の保険金が入ったこと。そして、当時、行きつけにしていた近所の食堂が、ペルー料理店だったことだ。

こうして理由を並べると、まるで突拍子もなく聞こえるけれど、それぞれの点と線は不思議とつながる。スピリチュアルの旅路とは、そういうものだ。

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失恋の話からしよう。と言っても、その頃、私に特定の恋人はいなかった。食事に行く人と寝る人と、話したいことについて話せる人がいれば、それでいいと思っていた。もちろんそんなのは強がりで、実際は誰と付き合おうとしてもうまくいかないだけだったのだけれど。

ある時、大学の先輩が主催した忘年会で、絵本作家志望の男性と知り合った。四歳年下の彼とは、バーカウンターに並んでいた時になんとなく会話が始まったのだが、すぐに引きこまれた。どこからどんな引用を出しても通じるし、100%の知識と能力で話せば、120%を返してくれるような人だった。すっかり意気投合し、翌週のデートで彼の家に行った私は、壁を埋め尽くす本棚とレコードケースを見て納得した。私の家の本棚やCD棚のセレクションと、そっくりだったのだ。生まれて初めて、自分の話を完全に分かってくれる人に出会えたと思った。私はすっかり有頂天だった。

そこから最初の2か月くらいは、めくるめくような恋をした。彼のことは知れば知るほど、当時の私にとってはあまりに理想的な人だった。しかし、その一方で、私は自分の魅力のなさに引け目を感じ、関係はすぐにぎくしゃくするようになった。頭の良い彼は、面倒な年上を相手にするほど、人生に退屈していなかった。どちらかが付き合おうと言って始めた関係でもなかったので、別れようと言うのも妙で、そのままにしておいたら、当然、溝は埋まらなくなった。私は自分にがっかりした。神さまは、こんな思いをさせるために、私を彼に会わせたのかな。あんまりだ。

愛を失うことを恐れるあまり、自分から愛する相手を傷つけ、退けてしまうというのは、私の人生に何度も現われるパターンだった。 私には、もっと愛してほしいと正直に伝えることは、いつもできなかった。

その原因は、よく分かっていた。私は、望まれない子として生まれたのだ(少なくとも、自分ではそう信じ込んでいた)。まだ若くして出会った両親は、予定外に私を妊娠したことで、急遽籍を入れた。父の両親は、それを良く思わなかった。そしてそこから派生する様々なもめごとが、常に絶えなかった。私さえ生まれなければ、みんな幸せになれたのに。幼い私は、いつもそう考えていた。

自分を愛することが大切だと、誰もが言う。調子がよい時に、そう思うのは簡単だ。けれども、ことあるごとに現れて、すべてを台無しにしていく、重たい気分は何だろう。普段は大人しいのに、ここぞと言う時に狂暴になる。食べても食べても、まだ足りないから満たしてくれと泣き叫ぶ、かわいそうな怪物のようだ

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スピリチュアルの道にいる人は、その道の途中で、あらゆる不快や苦しみは、自分が作り出したものに過ぎないという皮肉に気付く。もちろん私もそうだった。自分で自分を痛めつける人生は、もうこりごりだ。

そんな折、偶然にも、別の”チャンス”が巡って来た。職場の同僚と事故に会い、私だけがひどい怪我をし、片目の視力を損なったのだ。二カ月の入院の末、まったく見えない訳ではないけれど、視力はすっかり低下し、ひどい乱視になった。たとえば満月は、輪郭のぼやけた打ち上げ花火のように、いくつも拡散して見える。たーまーやー。

仕事には復帰したものの、回復の見込みがないことを考えると、より負担の少ない仕事を探した方がいいに違いなかった。事故を境に、しばしば片頭痛にも悩まされるようになった。しかし、そのおかげでと言えば妙だけれど、仕事を辞めても半年は暮らせる額の保険金が入って来た。自分の片目を引き換えに、少しの間、自由を手に入れたのだった。

これは余談だけれど、仕事を辞めてから最初のひと月の間に、私はレンタルビデオを50本近く見た。今思えば、それほど自分を抑えていたのだろう。

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その頃、住んでいたアパートの近所には、ペルー料理店があった。夜遅くに行くと、仕事を終えた南米出身と思われるファミリーがテーブルを囲み、見たことのない、あれやこれやのご馳走を並べている。身近な外国のような、その店の雰囲気が私は好きだった。

ある時、私はチキンをイエローペッパーのペーストで煮込んだ定番のペルー料理を食べながら、ふと、壁に貼ってあるマチュピチュやナスカの地上絵のポスターを見た。両方ともペルーにあるなんて、知らなかった。ふむふむ。生きてるうちに、一度は行ってみたい場所だな。

家に帰って調べていると、ペルーのアマゾン川流域ではシャーマンのセレモニーが体験できることを知った。その頃、私はプラントメディシンに凝っていたし、シャーマンの過去世があると言われたこともあって、興味は募る一方だった。よし、これも何かの縁だし、いっちょやってみるか。

わくわくに従って行動しよう!スピリチュアルの世界で有名なセリフを、その頃の私が考えたかどうかは忘れた。そんな悠長ではなく、むしろ、悲しみが高じて、はるか南米に行ってしまうほど、私はやぶれかぶれだったのだ。(つづく)

「ペルーのシャーマン休暇村に行った話 その2.出発前夜」への3件のフィードバック

  1. 誰と付き合おうとしてもうまくいかないとか
    事あるごとに現れて全てを台無しにする
    重たい気分とか心当たりがありすぎます。
    今は準備が整って
    もう一度トライするところです。
    上手くいかなかった部分だけど
    自分をここに連れてきた部分でもある。

    カメラ目線のリャマ
    かわいいです。

  2. 愛を失うことを恐れるあまり、自分から愛する相手を傷つけ、退けてしまう、
    望まれない子として生まれた、
    食べても食べても、まだ足りないから満たしてくれと泣き叫ぶ、かわいそうな怪物…
    まるで自分の話を読んでいるかのようでした。

    私が迎えた転機のころ、
    いろいろな出来事があって1年ほどひきこもり生活をしていた時に
    先に自分が棺桶に入って燃やされる夢を見て、
    そのあとは、小さな自分がカラダを猫のように丸めている夢を見て
    おもわずごめんね、辛かったね、大丈夫だよ。と話しかけたことを
    思い出しました。
    そしてその頃、同じくレンタルビデオをものすごい量みていたので、
    ウケました。(笑

    人生の学びは、せつなくて美しいですね。
    1つ1つがキラキラ輝く宝石のようです。

    ありがとう メタさん。

  3. 何度も読み返してしまいます!!
    メタさんのアウェイクニングの話、最高です。

    いつもの「です・ます」調ではないところからして、グッと引き込まれました。
    文章を読んで、こんなに心地よく、気持ちよくなったことはないんじゃないかと思います。

    アウェイクニングとバシャールとエリックの話の比率、6:2:2ぐらいでもいいと思います!!(笑)
    メタさんのアウェイクニング話、ぜひ書籍化してください!!そのぐらい感動しました。

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