私のアウェイクニングの話 その9.子どもの頃の記憶に還る


スピリチュアルの道のりは、子どもの頃の感覚へと還る旅路のようだという話を、最近、何人かの方から伺う機会がありました。

おそらくみなさんも、同じ気付きを、旅路のどこかで手にしているのではないかと思います。

そしてこれに関しては、きっとみなさんそれぞれが、とても興味深いエピソードを持っていらっしゃることでしょう。

きっと、ある人にとっては、全ての筋書が明らかになるようなものであり、ある人にとっては、断片的な手がかりに過ぎないかも知れません。でも誰にとっても、自らの旅路の物語のプロローグになるようなものではないかと思います。

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私は、まだ一人では散歩に行かせてもらえないような小さな頃から、お寺や神社やお地蔵さんにお参りをするのが大好きで、おじいちゃんやおばあちゃんに一円玉や五円玉をねだっては、せっせとお祈りとお供えをするのが日課でした。やがて、それが高じて小学生の頃には、自分の内面の”神さま”と話すようになり、自分で考えた礼拝を毎日するようになりました。

こうして書くと、不思議なエピソードのように聞こえますが、私にとっては、とんだ黒歴史でした。礼拝ってなんだよ笑。

けれども、アメリカでシャーマン教室に通ったとき、この頃の記憶が蘇るような経験がありました。シャーマンは儀式を始める前に、全員で輪になって手をつなぎ、祈りの歌を捧げるのですが、その時の歌が、私が子どもの頃に考案した”神さま”召喚の言葉とほぼ同じだったのです。フォー・ディレクション(左右前後)と、大地と空、それから自分の内面と身の回りの全てのスピリットに祈りを捧げる歌だったんですけどね。

そこで「なんと!私の前世はインディアンのシャーマンだったのか!」とは全然ならなかったのですが、そういうこともあるんだなと思いました。子どもの頃の素朴な感覚は、ネイティブ民族と自然との結びつきとも近いのかなと思います。

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私にとってアウェイクニングとは、子どもの頃の夏休みに還ることです。何も不安がなく、ただ平和と安全だけが無限に続いていて、むせかえるような光の中、世界が愛の大陸に見えるような、その懐かしい感覚に還ることです。

そして肌に風を感じたり、木々の葉擦れの音に耳を傾けていると、自分が透明になるような気がします。今ここの私が透明になって、全ての時間軸の中に存在している無数の私の感覚と共鳴する、ただその感覚だけが永遠であるような気がします。私にとっては、この2つの感覚以外は、あまり重要ではないです。

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きっとみなさんの中にも、それぞれ懐かしい、大好きな感覚というのがありますよね。まるで何回転生を重ねても、その度に同じことを感じてきたのかも知れないと思えるような、非常に馴染みのある、それでいて上手く言葉には出来ないような感覚です。

私たちの中に最後に残るのは、決して長大なストーリーではなく、愛おしさや心地よさと結びつく、記憶のほんの断片だったり、形のない感覚や感情なのではないかと思っています。

そしてそれこそが、肉体も時間も超えて自分という存在を貫く、私たちの本質的なエッセンスなのではないかと思います。

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そんな感覚は、みなさんの中に、きっと沢山存在していますよね。それらはいつでも、私たちを一番大切な場所に還してくれます。

 

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