私のアウェイクニングの話 その5.もういない自分


趣味や好みが変わる

今日、私は珍しく映画館に行って、北野武『アウトレイジ最終章』を観たんですよ。出てくる人が本当に悪い奴ばかりで、非常にどきどきしました。北野武は、なんだかんだ好きな監督なので、新作が出れば観に行きます。

かつての私は、映画と音楽と本しか趣味がないような超ド文系で、映画は本当に沢山観ました。どれくらい観ているかと言うと、「エマニエル夫人」をパート4まで観ているくらいです。

今では、そのどれからも、すっかり遠ざかってしまいました。

アセンションサインの中にも、好みや感覚が変わるというのは、必ずと言っていいほど出てきます。以前好きだったものに興味がなくなることは、きっとみなさんも経験されているのではないかと思います。

でも、単純にライフスタイルが変わったり、年を取るにつれ、趣味が変わることもあります。若い頃の趣味をずっと続けている人の方が、珍しいかも知れないですよね。

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もういない自分

「アウトレイジ」からの帰りがけに、確かに「最終章」も面白かったけど、やっぱり二作目が一番よかったな、あれは好きな邦画のベスト5に入る…などと考えていて、あれ?ベスト5のうち、残り4つがあるとしたら何だっけ?となりました。あれだけ沢山映画を観たのに、全く忘れてしまってるんですよ。

好きな映画のテーマにもいろいろあると思うんですが、以前、私が好きだったのは、抑圧の中から自由を求めて疾走/逃走するんだけど、最後は撃たれるとか、刺されるとか、ハチの巣とか、そういう系の映画でした。洋画の有名どころで言えば「タクシードライバー」みたいな。”個の解放による死と自由とエクスタシー”みたいなテーマの映画が好きでした。

その頃の私は、本当の自分になるなんて「ここではないどこか」へ行かない限り、叶わないと思っていたんでしょう。

でも、今考えると、そんな映画を観て、一人カタルシスを得ているような、そんな奴、自分の中にいたっけ?って感じです。それは単純に趣味が変わったと言うより、もういない自分の面影を辿るような感覚でした。

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タイムラインをジャンプする

欠けた部分は、満たされることで、以前、欠けていたことすらも忘れてしまいます。心の傷やトラウマ、カルマなんかも、そのように解放することが出来ます。

そして解放されてしまうと、今の自分のタイムラインからすらも、消えてしまったように感じるものです。無数のタイムフレームが同時に存在し、その中にかつての自分が存在していても、そのフレームとのつながりが、とても微かな手応えになってしまうのです。

それが、タイムラインをジャンプするということなのかも知れません。

などと、あれこれ考えつつ銭湯に行ったら、あろうことか、間違えて男湯に入ってしまい、それが今日一番のびっくりでした。大ジャンプし過ぎました。

きっとみなさんの中にも、もういない自分がいて、望むタイムラインへ進まれていることだと思います。でも男湯に大ジャンプは禁物ですよ。



ちなみに銭湯はフロント式で、脱衣場には私の他にスキンヘッドの人が後ろを向いて着替えていたんですよ。「最近は、尼さんも来てるんだな」なんて思って、ふと見たら、すね毛がめっちゃ生えてるんですよ。でも「尼さん、すね毛が濃いんだな」なんて思って、さらにふと見たら、ち〇こついてるんですよ。でも「最近は、ち〇こついてる人も女湯に来るんだな」なんて思って、いやそりゃないだろと、ようやく自分が間違えたことに気付きました。

尼さんを見慣れ過ぎてるのも、いかがなものかと思いました。