つまり、WAR IS OVER(if you want it)っていうのは、本当に起きるのか。考える人が多ければ、多いほど、良い気がします。
いつも起きてるアセンション
アセンション業界にいて、ちょっとしょっぱいなと思うところは、それが常に起きているところです。
私は古い文献やソースを当たるのが好きなのですが、「現在は変化の時期にあるため、ライトワーカーの人たちは困難に直面しています。恐れを手放しましょう」みたいな一文を見つけ、日付を見ると2007年(古っ)っていうようなことも、よくあります。
全然、状況変わってないじゃん、みたいな。
世界が二つに分かれると言う話も、もうずっと前からあります。
人類が進化し、新しい時代を迎えるという考え方は、何も今に始まった訳ではなく、キリストの昔から、常に言われ続けていることです。ここではないどこか、もっと素晴らしい世界があるというのは、人間の意識の中にほぼ生得的にある感情ではないかとすら思います。
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信じることと、信じないこと
アセンションに限らず、誰でも最初は、スピリチュアルの世界なんて信じられないものです。
私も、もちろんそうでした。興味はあるけど、自分はスピリチュアルではないみたいな。よくあるタイプです。
スピリチュアルの世界で言われていることでも、信じられることと、信じられないことがありました。
たとえば、UFOは信じるけど、スターシードは信じないとか。神社は信じるけど、天使は信じないとか。科学は信じるけど、非科学は信じないとか。そういうのって、よくありますよね。
しかしこの世界に深く入り込むようになった切っ掛けは、自分の持つ、その固定観念に気付いたことでした。
つまり、自分は一体何を信じ、何を信じないんだろうということです。
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信じるためには、何が必要なんだろう?
人は、自分に認識できないものは、信じない傾向にあります。
でもどんな根拠が、どこまで揃えば、その対象を信じられるのか。突き詰めて考えていくと、最終的に分からなくなります。
みなさんも、ご自分の信じるものと、信じないものの違いについて、考えてみてください。なぜ信じないのか、理由がありますよね。でも同時に、それを信じている人もいます。
彼らはどうして、あなたの信じないものを信じられるんでしょうね。
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信じられない理由
何かを信じられない時に、考えらえる理由は、以下の2つです。
1.信じるための十分な客観的証拠がない、もしくはその存在を否定する客観的証拠が十分ある
2.感情的に受け入れられない
これはスピリチュアルに限らず、誰かを信じる/信じないに関しても、同様のことが言えると思います。
2つの理由を、少し掘り下げてみましょう。
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1.証拠がないから、信じられない
事実とは絶対のようで、見る人のフォーカスによって変わるものです。誰でも、自分の主張を裏付ける証拠にフォーカスしますからね。
このような現象は、たとえば歴史解釈の中でよく起きます。また科学的な事実であっても、時代が変われば正当性が変わります。なにしろ80年代にもてはやされたアスパルテームが、今では真逆の評価になってますからね。
しかも、どっちが事実だと言い切れないと思うんですよ。
最終的には、証拠って何だろうって話です。
んー。頭がぐらぐらします。
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2.感情的に受け入れられない
次に、信じられないのは、そもそも感情的に受け付けないからだというケースがあります。
少なくとも、私はそうでした。
私の中にも、スピリチュアルを信じている奴は胡散臭いとか、面倒くさいと思っている心理的な部分がありました。
そして信じている人たちに対し、妙な優越感を感じていることにも気付きました。自分は、彼らよりまともで賢く、妙なものを信じなくても、十分幸せであると。
そう感じている自分に気づいたとき、これって、どうなんだろう?って思ったんです。
みなさんは、どう思いますか?
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信じられないものを信じるのは、どんな気持ち?
信じられるものとは、自分にとってスムーズに受け入れられます。
信じられないものを、信じるものと同様に受け入れようとすると、心の中にものすごい葛藤や抵抗が生まれます。
では、仮に信じたとして、どんな気持ちがするでしょう。
何か良くないことが起きる?
間違ったことをしていると感じる?
自分がばかみたいな気がする?
自分が胡散臭いと思う人と、同類に見られるのが納得できない?
でも、それってどうなの?
人それぞれの答えがあると思います。
私は、一旦全て受け入れることを選びました。単純にその方が、心のイガイガが取れて、視野が広くなるように感じたからです。
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アセンション(仮)
さて、話をアセンションに戻しましょう。
閉店しない閉店セールのように、結局いつもやっているアセンションですが、時代ごとに若干のバージョンチェンジがあります。SFみたいな話から、心の持ちようみたいな話まで、いろいろです。
でも私が面白いと思うのは、いつの時代にも、何かは分からない大きな変化が起きているという考えに、共鳴する人たちがいることです。
社会や人は常に変化するものだと言われれば、そうかも知れません。
でもその変化をポジティブなものと捉え、仮にアセンションという名前で呼んでもいいんじゃないかと思います。
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アセンションなんて信じない?
ちょっと待って!アセンションて、そんな程度の話?って思う人もいるでしょう。
その辺の解釈も、最終的には好みの問題なんじゃないかと思います。なんならUFO大量着陸を信じてもOKですしね。
怪しいものでも全て信じろってことじゃないですよ。自分の信じるもので、自分の現実を作ろうってことです。
アセンションを信じるか、信じないか。それは人それぞれです。信じるとして、どこをどの程度信じるかのバランスも、みんな違うと思います。
本当に信じられるの?って聞かれることもありますが、自分の責任で、自分で決めればいいと思っています。
自分の人生ですからね。
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アセンションはフェニックスか
一年ほど前、このサイトを始めた頃、インターネット上に散在するアセンションサイトの現状を、とても興味深く眺めました。
関連記事:アセンションサイトの寿命から考える アセンションは来るのか?
2012年を最後に、死に絶えちゃったゴーストタウンのようなサイトが沢山あるんですよ。サイトのフォーマットも相当レトロで、それはそれで好きなんですけどね。
しかし、すっかり燃え尽きて灰になったと思っていたら、なんとリモデルされて、活動を再開するサイトが、ここ最近、いくつか出てきたんです。
つまりはシーン全体が、再び盛り上がってきたということなんでしょう。
まさにフェニックス笑。
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最後に
さて最後にアセンションについて、私の個人的な意見をお話ししましょう。
実際のところ「ぐはは!さらばオールドアース!」とかは全然なくて、「なんか楽しいことが起きるんだな」くらいの感覚が、一番正直な気持ちです。
「自分=身の回り=宇宙」くらいに、頭がふかふかパンなので、あまり難しいことは考えていません。
よい世界になるって言う人がいるんだから、そうなんでしょう。私も自分の好きなように生きるぞ、イェイ!と思っています。
でもそれがいい悪いではなく、私はたまたまそう思うというだけです。
別の考え方をする人もいるでしょう。
それで全然いいと思います。
自分の信じるものが、自分の現実を作ります。信じたから良いってことでも、悪いってことでもありません。その考えが、あなたの現実に投影されるというだけです。
いずれにしても、人の心を揺さぶり、大いに刺激する点で、アセンションは興味深い概念であり、現象だと思います。
ていうか、この話題、面白すぎて、話が尽きないわー。