アストラル界から見た執着

※チャンネリング・エリックは、亡くなった20歳の青年エリックがアストラル界からお送りするスピリチュアル学習番組です。

登場人物

  • 母: エリックのお母さん。この番組のMC。
  • エリック: アストラル界の住人

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お母さんのモノローグ

まだ若かったころ、私は自分のこんな考えに執着していました。「私は虐待されて育った可哀そうな子どもだ。私の人生は永遠に傷つけられてしまった」けれども成長するにつれ、私の両親も精神的に問題があったのだと考えるようになりました。それは言い訳ではなく、そのような状況だったと、客観的に把握できるようになったということです。その時、私は、もはや叩かれて怯えている子どもではなくなりました。物事の見方が変わることで、私は自分の中に強さを見つけました。

また私は、エリックの死に対しても執着がありました。その悲しみを手放すことで、私が抱えているエリックの記憶も手放してしまうように思えたのです。その執着は、まるで私のお気に入りのぬいぐるみのようになり、私はいつもそれを抱えて、自分を慰めていたのです。最終的に、そのぬいぐるみは私の友達ではないと、それを抱きしめることは、私の人生を奪うことになると気付いたのです。

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母: 執着は苦しみの種って言うけど、それって本当よね。どう思う?

エリック: 自分自身に対するネガティブな考え方とか、ネガティブな状況とか、他の人の意見に対するネガティブな感情とか、そうしたものに執着するとまったくとんだ目に会うね。君がもし何かに、どうしようもないほど執着しようとしているとしよう。エゴはアイデンティティを必要とするんだ。そうじゃなければ自分が存在してないことになっちゃうからね。だからたとえネガティブなものでも、執着するものが何もないよりはマシだてエゴは考えるんだ。たとえば、子どもの頃に虐待された記憶に執着する人は多いよね。自分は恵まれないっていう固定観念に執着する人もいる。執着は、自分の考え方、信念、固定観念に付随するものなんだ。その背後にはエゴがあって、君の考えは、君が執着しているものの存在をサポートしているんだ。君が執着するものは、君を縛り付けるだろ?それによって選択肢の幅が狭まる。たとえば君は大人になったらオゥールストリートで働いて、株をしたいと思ってるとしよう。

母: 株をする(笑)。

エリック: 君はそれを自分のゴールだと決めている。君はそれに執着するよね。でもそれがうまくいかなかった場合、これまで決めていたゴールの他に、自分に選択肢がない。しようがなくプランBを考え付いて、それをやったとしよう。で、死んだあと、いろんなことが分かったら、君はこう思うだろう。「クソッ、僕のプランBはウォールストリートより全然良かったのに、生きてる間、全然楽しめなかったよ!」なぜなら君の信念とロジックとハートは、全てウォールストリートに執着してたからね。君は悲しむよ。

母: 私も自分の子供時代に執着してたわ。「私は可哀そうなんだ」って。でも余計自分が悲しくなるばかりだった。

エリック: まったくそうだね。

母: みんな自分を悲しませるようなことにばかり執着してるように思えるわね。

エリック: セルフサボタージュ(※訳注:自分を大事にしないこと)だね。でも人は、何らかの役割にも執着するでしょ。「俺は医者だぞ」とか。「自分=医者」にしてしまうのは、それも執着の一種なんだよね。いずれにせよ、執着って言うのは、エゴの指標なんだよ。

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執着するものが何もないとエゴは不安になり、拠り所を求めて執着するっていうのは、すごく分かります。その拠り所がネガティブな考えや状況の場合もあれば、医者の例のように、自分に特別な価値を与えるものである場合もあるんですね。

最初のタイプの執着の場合、続けていると苦しくなるので、たいてい自分でなんとかしようと思います。でももう一つの執着の場合、居心地がいいので、自分では気づかないことも多いと思います。

居心地がいい、気持ちがいい考えって言うのも、一見無害なようで、非常に頑固な執着だと思います。なるべくニュートラルでいるのが最終的に健康にいいような気がします。

お母さんのエリックに対する執着の話、切ないですね。私たちも、ぬいぐるみみたいな存在を抱えていたら、そいつは友達じゃないから手放しましょう。一瞬、残念ですけどね。でももっといいことありますよ。死んでから「クソッ」って思うのも、嫌ですしね。

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