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非二元論ノンデュアリティ 「私がライトワーカーにならないわけ」

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ライトワーカーが辛くなってしまうのは、実はそこがデュアリティの世界だからなのかも知れないです。


ノンデュアリティーとは、非二元論という意味です。善と悪、光と闇などの対立構造を超えて、すべては一つであるという考え方です。とにかくみんな一つって言うのがワンネスなら、区別なんか本当はないと言うのがノンデュアリティだと思ってください。

善悪や優劣を定めるというのは非常に3次元的な発想で、人々の断絶や苦しみを作り出しているのは、二元論的思考に他なりません。いつまでもそんなこと言ってたら、4次元に行けないよって話なのですが。

さて以下にご紹介するのは、Lonerwolfという、オールドソウルに強いサイトからの記事です。筆者であるルナは、自分も以前はライトワーカーに惹かれたけど、経験を重ねるうちに興味を失ったと言います。

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よく人からライトワーカーだと言われることがありますが、私はそうではありません。ライトワーカーが悪いとか、間違っているとは思いませんが、ライトワーカーでいることは、メリットよりもデメリットの方が多いからです。もしあなたがスピリチュアルの成長をしたいなら、この記事が参考になるでしょう。

私がライトワーカーにならないわけは・・・

1.全体を経験するためには、光と闇が必要だから

自分の内部の闇と悪魔をよく知ることなくして、本当の光を見出すことは出来ません。汚れた部分を隠して、自己愛にのみフォーカスしても、それは偏見に過ぎないのです。

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2.ライトワーカーという定義は、そうでない人との断絶をもたらすから

世界に尽くし、他者を助け、スピリチュアルな進化をサポートするという、ライトワーカーの定義は素晴らしいと思います。しかし皮肉にも、ライトワーカーと自らを定義することによって、私たちはワンネスから遠ざかってしまいます。いい人と悪い人、ヒーローと悪者に分けてしまうのです。人生とはそんなにシンプルなものではなく、人間をライトサイドとダークサイドに分けることは、宗教と同じゲームを繰り返しているに過ぎません。

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3.レッテルをつけると、はがれないから

オールドソウル、エンパス、スターシードなどのレッテルやタグは、ある時点までは自分を理解するのに非常に役立ちます。しかし真実を経験するためには、最終的にすべてのレッテルは取り去る必要があるのです。中でもライトワーカーというレッテルは、非常に取り去りがたいものです。自分が正義の側、人類のヒーロー、スピリチュアルリーダーだと感じるのは、気持ちがいいからです。実際は、あなたは光であり、闇でもあるというのが真実です。あなたの内部の闇を否定することは、真実を否定するということに過ぎません。

Non-Duality: Why I’m Not a Lightworker

 


ここで書かれた意見に、私は全面的に賛同します。いいこと言うなーって思いますし、ライトワーカーが陥りやすいめんどくささが、見事に簡潔にまとめられていると思います。自分の問題と向き合うことなく、誰かを非難・攻撃するというのは、誰でも陥りがちなトラップだと思います。しかも自分の優位や正当性を主張するのに、正義や常識など、自分の外側の基準を必要をするのも、また人の常なんですけど、ライトワーカーなのに…って言うのはありますよね。